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しおりひも

先日、妻に本を貸した。本棚を眺めながら「この本読んでみたい」と言うので、快くいいよ、と。読み始めてしばらく経ったころ、読んでいるページを開いたまま、本をテーブルに伏せて置いた。「開き癖がつくから、なにか挟んで閉じて」と指摘すると、よそのページからしおりひもを抜き出し、挟んで閉じた。ああ…やったか…と思った。そう思ったのは、どこまで読んだかわからなくなるからではない。私はしおりひもの「扱い」に変なこだわりがあるからだ。

幼いころから「物は大切にしろ」と言われて育った。どこの家庭でもだいたいそう教育されると思うが、とりわけ「本は大切にしろ」と口うるさく言われて育った。「本を粗末にすると、頭が悪くなるぞ」と。そのせいか、本を大切にしすぎる人間になってしまった。いつからか、本の扱いに変なこだわりを持つようになった(頭は良くならなかったけれど)。

「本を大切にする」ということは、本をきれいなまま保つ、できる限り新品に近い状態を保つことだと思っていた。というか今でもそう思っている節がある。多分、親の教えを変に捉えてしまった。

本の開き癖も嫌だし、ページの端を折るのも嫌。余白に何かを書き入れたり、線を引いたりするのも許せない。落書きなどもってのほかだった。

たとえば教科書。
教科書も「本」なので最初こそ大切に扱うのだが、どうしても1年のうちに汚れていく。少しでも折れたり汚れたりすると、たちまちどうでもよくなり、雑に扱うことが多かった。それでも、テスト範囲はここからここまで、とページの端を折ることはしなかったし、日本にキリスト教を伝えた偉人の頭頂部を塗りつぶすようなことも決してしなかった。

しおりひもも例外ではない。いつだったか、気に入っていた本のしおりひもがどんどんほどけていくのを見て、ひどく悲しくなった記憶がある。そのとき、しおりひもは買った状態のまま、最初から挟まっていたページに、挟まっていたままの状態で残しておくべきだと思った。

以来、自分で買った本は全てそのように保管している。読むときは、しおりひもはしおりとして使わず、その本を買ったレシートやスリップをしおり代わりにする。本の下からはみ出ないよう、くるっとUターンしている姿にどこか愛おしさも感じるようになってきた。

このことを何人かに話してみたことがあるのだが、誰も理解してくれなかった。かの宣教師も、日本に来てすぐの頃は誰にも理解されず、こんな気持ちでいたのかもしれない。

「しおりひもはそのまま教」を布教したいわけではないが、今手元にある本の、美しいままのしおりひもの画像をいくつか載せる。

画像1

まっすぐ下りて、外巻きにUターンするタイプ。見てきた中では、この形が一番多い。

画像2

見づらいが、内巻きにUターンするタイプ。この形も多い。

画像4

こちらも内巻きなのだが、見た感じかなり長い。本の縦の長さの1.5倍くらいはありそう。

画像3

Uターンしたあと、クロスするタイプ。ゆったりとした曲線の美しさ。しおりひもの「ねじれ」もない。パーフェクト。

写真を撮りながらふと、本はどのように作られているのか気になった。しおりひもは機械が挟み込むのだろうか。はたまた、手作業で挟み込むのだろうか。機械が挟み込むのであれば、挟み込むページは決まっているのだろうか。手作業で挟み込むのなら、一分間で何十冊分ものしおりひもを挟み込む、凄腕の「挟み込み職人」がいるに違いない。どのように挟み込むのか知っている人がいれば、ぜひ教えてほしい。


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