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フルーツサンドの反則

どうにも苦手というものがある。たとえばフルーツサンド。申し訳ないけれど、あれは大人になるまで受け入れがたい食べ物だった。

小学生の頃だったと思う。ツノの立ち切らない生クリーム、輪切りのバナナと桃の缶詰。それらを薄い食パンではさんだ「フルーツサンドイッチ」を母が作ってくれた。

缶詰のシロップが染みてしまった食パンは、濡れたタオルを噛んだみたいな食感だった。甘ったるいだけの果物の組み合わせは、二口食べて「もういらない」と言いたくなった。

それ以来、店先に並べられた花のようなフルーツサンドを見かけても、遠巻きに眺めることにしている。

苦手だから近寄りたくないなんてことが、恋愛にもある。年下のAくんは、まさにそんな存在だった。

Aくんとの出会いは大学だ。私が所属するサークルに、新入生のAくんが入ったきた。桜が舞い散る春。窮屈なリクルートスーツに身を包み、2足目のパンプスを買うか悩んでいた4年生の私は、初々しいAくんを友達の弟のように扱った。

年齢だけで恋愛対象のスイッチを切るなんて、ずいぶんと傲慢な年頃だった。

Aくんは、よく部室で子犬のように笑い転げていた。かと思えばサークルの資料が入った段ボールを抱えている私に、「先輩!持ちます!」なんて170センチの身長で見下ろしてくるものだから、不意に心拍数が上がった。

Aくんと私は最寄り駅が一緒で、たびたび同じ電車に乗った。Aくんは、「休日なにしてます?」「遊びに連れて行ってくださいよ」なんてセリフを顔色も変えずに口にする。

だから飲み会で「好きなタイプ」の話になったとき、「年上のひと」と答えてしまった。事実、その頃付き合っていたひとは2つ年上の社会人だった。ウーロン茶のグラスが置かれた向こう、斜め向かいに座るAくんがまじめな顔をして唇を結んだのに気づかないフリをした。

Aくんは甘い。愛嬌を振りまいて甘え上手で、3つの歳の差をするりと越えて人の心に入ろうとする。

その甘さたるやフルーツサンドみたいだ。甘いだけのサンドイッチは私には合わないんだよと、5月になってもまだ脱げないリクルートスーツで「お先に」と居酒屋を出た。ひとりの帰り道は、夜に紛れて新緑の香りがした。

ところがだ。6月の梅雨のさなかの日曜日、私はAくんの部屋にいた。

一人用のベッドに、ちいさなコーヒーテーブル。小説がつまった本棚。白い壁にグレーのカーテン。無駄がなくて清潔で、でも姿見の周りに化粧品なんかない空間は、たしかに男の人の部屋だった。

1週間前、夕方の駅でAくんに声をかけられた。顔を合わせるのは、あの飲み会以来だった。私はやっとの思いで手にした内定のあと2年付き合った彼氏にあっさり別れを告げられ、天国から地獄に突き落とされていた。

だからだと思う。「先輩の好きなもの用意するんで」と、日曜日に部屋に行く約束に、「いいよ」と言ってしまったのは。

半分開いた引き戸の先に続くキッチンと呼ぶには狭い通路の台所から、ふわふわコーヒーの香りが漂ってくる。すりガラスの窓は、音もなく降る雨でぬれている。

正直なところ、憂鬱な空の週末にひとりで過ごさずにすむなら誰でもよかった。なのに正しく靴がそろえられた玄関も、きれいに掃除機がかけられたフローリングも、Aくんの部屋は小さな秘密基地のように私を待っていて、それが余計に心を落ち着かなくさせた。

「お待たせです」

かすかに弾んだAくんの声。目の前に、ことりと置かれた水色のお皿。隣にはコーヒーの湯気が立つマグカップ。お皿の上に行儀よく並べられた、白、赤、緑がキラキラしている。

「フルーツサンド、気に入るといいけど」

手を伸ばせば触れられる距離に、Aくんが座る。自分のマグカップを持って、こちらをじっと見ているのがわかる。

まっすぐに切られた断面からのぞく、イチゴとキウイフルーツ。白い食パンも生クリームも、ふわふわとやわらかそう。私は、吸い寄せられるみたいに手に取って、いただきますと一口かじる。

しゅっと舌の上でとける生クリーム。口のなかに広がる甘さ。遅れてやってくる酸味。記憶の中のフルーツサンドに、思わずごめんとあやまった。

「おいしい、でしょ?」

こちらが言葉を発する前に反応で察したAくんが、ニコニコ子犬のように笑いだす。うんうん、と頷いて、おいしいって何回も言って、甘くて苦いっていいなって再確認しながらコーヒーを飲んで、食べ終えて一息ついてからAくんに「なんで?」って聞いた。なんで、フルーツサンドだったの?

「だって、先輩、帰りにスーパーでよくイチゴ買ってたでしょ」

「うん」

「それから、サークルの打ち上げでいつもフルーツパフェ食べてた」

「そうね」

「購買で会うときは、かならずフルーツサンド見てたし」

それはちょっと違う、とは言えなかった。だって、フルーツサンドに憧れていた気持ちを思い出してしまったから。

がんばって試作した甲斐があったと、ピースサインで喜ぶAくんに、またもや「なんで?」と尋ねてしまった。なんで、そこまでしてくれるの?

「だって、喜ばせたかったから」

Aくんの指先が伸びてきて、私の口元に触れた。残っていたクリームをそっとすくいとる。

「先輩、かわいい」

甘い香りがする。やさしい雨が、二人きりの部屋を包んでいる。

背中に回されたAくんの手が、私のそれよりもずっと温かくて大きいことに、ようやく気づいた。認めざるを得なかった。

それからというもの、フルーツサンドは、私にとって、甘く頼もしい。


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こちらの企画に参加しています。


※こんな世界線が選べたらよかったな……と思うくらい、1ミリも実話ではありません。



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