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猫のひたいほどの踊り場にいたねこ

急な階段のある家に住んでいた。

どれだけ急かというと、階段をのぼるときに上の段に自然手がとつく。もはやハシゴに近い。下りでうっかり足を踏み外すと、盛大な音を立てて落ちた。おしりが痛かった。

茶色くピカピカした古いだけの階段の先には、踊り場があった。踊り場といっても、その先に階段があるわけではない。正方形の、人がひとり立つだけのスペースがあり、突き当りは漆喰の壁とすりガラスの小窓。左に私と妹の畳の部屋、右に兄のフローリングの部屋。踊り場は、二つの部屋と階段をつないでいた。

つるつるした木の床の踊り場からは、階段下の台所がふしぎな四角形に切り取られて見えた。時折、割烹着姿の母が通る。

私はよく、踊り場に座って猫を抱いた。

***

はじめての猫は茶トラだった。ある日、手のひらにのるサイズの子猫が家にいた。兄が9歳で私と妹は5歳か6歳かそのあたり。猫がもみくちゃにされないわけがない。

外と中を自由に行き来していた猫は(当時は珍しくなかった)、ごはんと寝るときくらいしか家に寄り付かなかった。学校から帰宅すると、第一声で「タマはー?」と探すが、いない。いても、すぐに外へ行く。そのわりに、母や父の膝には乗る。外で見かけて名前を呼ぶと、知らんぷりして通り過ぎる。

ある年の冬、激しい喧嘩をして傷を負った猫は、あっという間に死んでしまった。

しばらくして、子猫がやってきた。三毛猫だった。とんでもなく大人しい猫で、三人の子どもに代わるがわる抱っこされても、スンっとした顔でじっとしていた。たまに玄関から外に出てしまうと、数メートル進んだところで慌てふためきながらダッシュで戻ってきた。

白の毛が多い三毛猫は、カリカリが欲しいときだけ、にゃあと、か細く鳴いた。味海苔が好きだった。食卓の上に刺身や焼き魚があっても、けして手を出そうとしなかった。黄土色と黒に近いこげ茶と白のまざった毛は、やわらかかった。

この三毛猫の次にもう一匹猫を飼ったのだけれど、私がいちばん好きだったのは、二番目の猫だ。三毛猫だから、ミケ。

***

学校から帰り、急な階段をのぼる。

まだ兄がいない右の部屋をのぞく。午後の陽が差し込むなか、ミケは、定位置の椅子の上でまるくなっている。

丸い背中をなでると、手のひらがあたたかい。猫は、陽の光をあつめる。脇の下に手を入れてもちあげると、猫がにゅるんとのびた。うっすらとミケは目をあけて、私が踊り場に座ると膝の上でまた丸くなる。

毛並みに沿ってなでると、一層と白い毛がつやつやとした。たまに、わざと毛を逆方向に波立たせた。それでも、ミケは寝ている。ひくひくとヒゲが動く。耳はうすくて、中がピンクだ。鼻先も同じ色をしている。しっぽは、お団子のように短いから、ミケとおんなじように静かにおしりについているだけ。

よく踊り場で猫を抱いていた頃の私は、10歳とか、11歳ぐらいだったと思う。

なにかを話すわけでもなく、ただ猫を撫でる。猫はこちらのことなんかお構いなしに、ただ寝ている。手のひらも膝も、あったかい。私がいて、猫がいて、二つは抱き合いながらつながっているのに、ほんとうに別々だ。私とは別の、やわらかくてかわいい猫が、正方形のちいさな踊り場にいつもいる。

踊り場で猫を撫でながら、私は世界との距離をそっと測っていたのかもしれない。そのときの気持ちは、海をただ眺めているときと、とても似ている。

***

急な階段のある家に住んでいた。上ったさきには正方形の踊り場があって、きれいな毛並みの猫がいた。

大人になった今でも、ふわふわと、お日様の匂いのする猫に触れたくなったとき、私があの場所にいたことを思い出す。

膝のうえですぴすぴと眠る猫がいた踊り場は、やさしかった。



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