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ジャコメッティ展2017の目撃談

前半と後半、一回ずつ。

前半。

アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966年)。

いわゆる「シュルレアリスム時代」の作品も、すでにジャコメッティ。
人間の、空間とのかかわり方。

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《女=スプーン》1926/27年
これは葉書

スプーンで空間をすくう。
横から見ると、わりと自然な女性像であることに驚く。
展示全体を見てから、またこの像に戻る。
これはジャコメッティを象徴する、ジャコメッティの世界を決定する作品かも。

《横たわる女》1929年
これも空間をすくう女。

アンドレ・ブルトン『水の空気』1934年
この本、めくってぜんぶ見たい。

1930年代の彫刻は1934/5年の《キューブ》しかない。
角ばってきたのは、空間感覚が変わってきたからか。

1940年代、作れば作るほど小さくなってゆく像。これは戦争の影響?

《鼻》1947年
これもかなり気になる作品。「鼻はピラミッド」とジャコメッティは言った。
長ーい鼻。ピノキオ。
正面から見てみる。ぶれる。片目をつぶって見てみる。
下からも見てみる。口は笑っている。
表面がもうジャコメッティのゴツゴツ。

作品を吊り下げている紐は、タコ糸のような紐でぐるぐる巻かれている。
揺れにくくするための工夫か。
吊り下げるための、枠の存在がよい。
その枠から、鼻が突き出ているのもよい。

《小さな怪物I》1953年
肉付けたっぷり、量感のある像。プロポーションからいうと女性だが。
なぜ女性ではなく《怪物》としたのか。
人間にはこれほどの量感はない、とジャコメッティが感じていたからか。
それならどうしてこの像を作ったのだろう。
無理やり肉をつけて作ってみたのかな。
試作品? ジャコメッティ本人からすると、現実から離れてしまった失敗作?

《髪を高く束ねた女》1948年
《女性立像》1952年

並べられていた。違いを際立たせるためでしょう。
ジャコメッティにしてはよく肉付けされた《髪を高く束ねた女》。
板状にするべく削ったかのような、二次元的《女性立像》。しおりになりそう。

女はどうやって空間に存在しているのか?

《林間の空地、広場、9人の人物》1950年
《森、広場、7人の人物とひとつの頭部》1950年

解説によれば、ジャコメッティはアトリエのなかを眺めているとき、塑像群が二つのグループを成している、と気づいたらしい。
グループごとにわけたのが、この二つの作品。

どう違うのかと、交互に見る。

《林の9》は、量感がある。ウエストと腕の間に空間がある像もある。量というよりメリハリか。
《森の7》は、平面的。体が葉っぱのよう。

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《林間の空地、広場、9人の人物》 右《森、広場、7人の人物とひとつの頭部》
これは葉書 2枚の葉書

ただし
左は「ザ・コレクション・ヴィンタートゥール」の時に入手した葉書(本展ショップにはなし)
右は本展の葉書
比較のために並べてみました。

右アップ

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木の葉たち

若林奮の銅板の葉っぱを思い出した。参考:若林奮 飛葉と振動(府中市美術館) の目撃談

「広場」はジャコメッティのキーワード。「空地」もか。
原語なんだろう。葉書には原語表記がない。

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《書物のための下絵Ⅲ》1951年
これは葉書

鉛筆書きのもの。
大きな人と小さな人。どちらも細い。
大きな人には手の指の表現がある。
足はどちらも大きく、ブロンズ像と似ている。
この絵には枠がある。《書物のための下絵Ⅷ》にはない。枠ありのほうがいい。

《ディエゴの胸像》1954年 豊田市美術館蔵
4体並んでいたディエゴの胸像のなかでは、これがよかった。
チラシに載ってるディエゴもこれ。やっぱり。

《横たわる女》1960年
アネットを描いたリトグラフ。1929年の《横たわる女》とはだいぶ違う。
ジャコメッティにはちょっと珍しい、柔らかなタッチ。

女は柔らかいのに、そこにいる。つぶれもせずに。なぜか。

《自画像》1964年 リトグラフ
あまり描き込んでいない。
自画像は、本展ではこれ一枚しかなかった。
鏡の中の自分は、距離がつかみにくかったのか。

《男の胸像》1964年 リトグラフ
鼻のあたりの描き込みが多い。

《マルグリット・マーグの肖像》1961年 油彩
これも鼻のあたりの描き込みが多い。正面顔。

《「マーグ画廊」のためのポスター:「アレジア通り」》
題字を印刷したあとのほうがよい。
題字が入る前提で描いたのだろうから、当たり前だが。
このポスターあったら壁に飾りたい。

《ヤナイハラの頭部》1956-61年 ボールペン、青インク、手帖の1ページ (作品リストNo.81)
ヤナイハラを描いた走り描き。その中ではこれが一番。正面顔、鼻の描き込み。
でも油彩のヤナイハラを見たい。
(2020年、ついに見ました。開館記念展「見えてくる光景 コレクションの現在地」(アーティゾン美術館)の目撃談

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《アトリエⅡ》1954年 リトグラフ
これは葉書

幾つかあったアトリエの絵の中ではこれが一番良い。作品になっている。やはり枠。

犬と猫の像は、あまり魅かれなかった。
ジャコメッティは人間ほどには動物に興味を持っていなかったのだろう。
しいて言えば、犬の影が良かった。

《ヴェネツィアの女》全9体 1956年
どれも高さ1mを超える。三角の舞台に並べられている。

解説によれば、
粘土で像を作っては型を取って鋳造することを繰り返したので、ヴェネツィアの女たちはみな同じ粘土のかたまりから生まれたらしい。
ある意味同一人物。
モデルはみなアネットだろうから、ある意味みなアネットの分身。

見ていたら、《林の9》のような量タイプと、《森の7》のような平タイプがあることに気づく。
アトリエでのジャコメッティの気づきを、展示室で追体験する。

前に向けた手のひらが曲面を作る像が、細いスプーンのように見える。
Ⅲとか、Ⅶあたり。量タイプと平タイプの中間的なタイプだ。
1926/27年の《女=スプーン》に回帰している。

後ろの像は、影の頭が舞台に乗り切れていないのが残念。

ジャック・デュパン『ハイタカ』1960年 に載ったアルベルト・ジャコメッティのエッチング
歩く女が描かれている。
本展の歩く像は、みんな男だった。
歩く女の像はないのかな。


そういえば頭部のみの像や胸像はほとんど男だ。
立像は女。

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これは葉書とチラシ

空間へのかかわりかたの、性別による違い。
男は歩くことで、あるいはゴツゴツした顔を持つことで、空間を切りひらく?
女はスプーンですくうように滑らかに空間に入りこむ?
あるいは肉で押してできた空間に存在する?
もしくは木の葉のように、空間をほとんど消費しないのか。

ニューヨークの広場のための《歩く男Ⅰ》《大きな女性立像Ⅱ》《大きな頭部》。1960年。
本展では、この3作品のみ撮影可。
一番大きい《大きな女性立像Ⅱ》は高さ276㎝。

この3作品をのぞきこめる窓辺に置かれているのは、対応する小さな作品。1959年。
なるほどの展示。窓は拡大鏡。
この小さな作品3点は、わざと小さく作ったのでしょう。

大型の作品は、無理して作ったのだろうか?
晩年はわりに背の高い作品が多かったから、そうでもない?

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これはチラシ

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空間との関係。

空間と体の境界線はどこか。
ジャコメッティは、皮膚よりだいぶ内側に設定したらしい。

リオオリンピックのリレーを思い出した。
刀ならぬ体で空間を切りひらく。

ジャコメッティの彫刻の表面のゴツゴツは、存在するために人間が持っているものか。

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壁にジャコメッティやヤナイハラの言葉がありました。
正確に記憶していないが、雰囲気だけ、走り書き。

世界はますます美しい。

現実は、とらえようとすると遠く小さくなる。

不可能に挑戦し続ける。

真の自由。

試行するのみ。

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公式サイトから。

「ディエゴを写実的に再現するのではなく、自分の目に見えるままに形づくろうと試みた」ジャコメッティ

写実的な再現と、見えるままに形づくることとは、違うらしい。

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映像。

ジャコメッティについての映像3分。
見たのですが、これといって頭に残らなかった。
解説や、壁の言葉とかのほうが印象的だったせいか。
脳みそ飽和状態で、映像は切り捨てられたか。

マーグ財団美術館についての映像3分。
ちゃんと見なかった。ジャコメッティ以外の作品もいっぱいあるらしい。
マーグ財団美術館展を開催して。日本で。

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覚書。脳みそを助けよう。

アルベルト・ジャコメッティはスイス人。
でもパリに出てきた。パリが大好き。
アルベルト・ジャコメッティの父、ジョヴァンニ・ジャコメッティは画家。

参考感想文 ザ・コレクション・ヴィンタートゥール

アルベルト・ジャコメッティの一つ年下の弟、ディエゴ・ジャコメッティは職人。そしてモデル。
そういえば、松岡美術館でディエゴ作の猫の像を見た。

会場には、しっかりした年表や地図がありました。

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図録。

会場で見せていただきましたが
彫刻は、一作品につき三枚くらいの写真が欲しい。
無理よね。
そうなるともうジャコメッティの図録ではなくて、写真家の写真集だ。

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グッズ。

スタンダードもお遊びも、いろいろあって、充実。
欲を言えば
 女の立像でしおりとスプーン、歩く男でハサミ
なんてものがあったら面白かった。

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以上、前半(2017/6/22)訪問。

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展示室の外で。

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本の復習。

ジャコメッティの目に映る世界。
『夢・スフィンクス楼・Tの死』

ヤナイハラがジャコメッティから受け取ったもの。
『ジャコメッティとともに』 

『ジャコメッティ エクリ』【新装版】アルベルト・ジャコメッティ 2017 みすず書房

旧版を読んだのはだいぶ前。
展示を見たうえで新装版を読んで、これは、と思ったものをメモ。

おれはすべての
痕跡を失った
森の中の空地を通っていった
すばらしい女たちの痕跡のすべてを
(1932年/33年頃)

森、空地、女たち。
時を越えて、1950年の《林間の空地、広場、9人の人物》《森、広場、7人の人物とひとつの頭部》へと、つながった? 一度は見失った痕跡を、見つけた?

『女は不動で、四人の男は女に対して多少とも歩むのだ。私は決して不動の女並びに歩む男を作ることはできないということを知った。いつも私は女を不動のものとして作り、男は歩んでいるものとして作る。』(ピエール・シュネーデルとの対話 1961年初出)

女は不動で男は歩む。そしてジャコメッティは不可能に挑戦する。

セザンヌの「赤いジレの男」の頭と長い腕との関係について
『ビザンティン絵画でのそういった関係の方にいっそう近い』
『いっそう真実に思われる』(ダヴィッド・シルヴェステルとの対話 1971年初出)

やっぱりセザンヌか。

『私が自然を模写するとき、私が模写するのはただ、私の脳髄のなかに意識としてのこっているものだけだ。つまりそれは私から直接発するものであり、だから全く主観的なものだ。』(ダヴィッド・シルヴェステルとの対話 1971年初出)

脳髄が創造する。
ジャコメッティにとって、ジャコメッティの脳髄が自然から洗い出した世界は美しかった。だからジャコメッティはその美しい世界をそのまま形づくろうとした。

(矢内原伊作のあとがき、『ジャコメッティ 私の現実』より採録)
『彼は非常にマニアックだった。正確に見ようという点でマニアックであり、正確に知ろうという点でもマニアックであった。この二つのことが一人のジャコメッティのなかでどのように結びついていたか、これはこの偉大な芸術家の秘密を解く鍵だと思われる』

メモ的なデッサンが多数収録されている。
1960年の自画像あり。
眼鏡をかけている?
髪が逆立って、風神雷神みたい。

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後半。2017/9/1

再訪して気がついたこと少し。
膝がない。
これは埴輪との共通点ね。
ジャコメッティの彫刻には、立っていても歩いていても、基本的に膝がない。
肘はある。
なぜか。
小さい彫刻だと、膝どころか、脚が二本あるかどうか、股すらあるんだかないんだか、はっきりしないものがある。

アンドレ・ブルトン『水の空気』1934年
猫? 前脚、ヤツデ的な葉っぱ。後脚、さすまたっぽい幾何学形状。
この本、誰かめくりました? 前半どうだったか、面白いと思ったのに覚えてない。
ともかく、シュルレアリスム時代の空気が濃厚。

《大きな人物》1958年
肉付けはしっかりめなのに、下腹がえぐれている。ありえない体形。
1955年のエッチング《横向きの裸婦》は自然にふっくらしている。えぐれていない。
やっぱりスプーンなのか? 《女=スプーン》1926/27年に回帰しているのか?
だとして、どうして?

最初の直観が結局正解ってことは結構あると思う。

女性立像以外で、最後までこだわっていたのは、頭部と歩く男。
頭部へのこだわりは、初期の像から見て取れる。
だが歩く男のモチーフにつながるものは、初期作品に探し出せなかった。
方向を持つ、という点では1947年の《鼻》かな。初期のものではないけど。

アトリエのリトグラフ、細い像を描いても、像より細くはなっていないように見える。
と気づいてよく見ると、二次元作品は、家も椅子も花も人間も、彫刻ほど細くない。

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本展いちばんは決めがたい。しいてあげるなら

《ヴェネツィアの女》全9体 1956年
ずるいが。この中で一つに絞るなら、いちばんスプーンさんだったⅢか。
そうなると《大きな人物》1958年も何か意味を感じて捨てがたい。
決められない。

ともかく、ジャコメッティの彫刻がたくさん並んだ状態を眺めることが出来てよかった。
もう無理だろうなあ。さすがに、この数は。

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見えるままに形づくりたいが不可能。
目ではとらえられるのに、手では取り逃がす?

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ジャコ遊び 

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小さくなったり大きくなったり

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パラレルワールド

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足をすくわれる?

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つつかれる

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◎ジャコメッティ展

会場:国立新美術館
開催期間:2017年6月14日(水)~9月4日(月)

会場:豊田市美術館
開催期間:2017年10月14日(土)〜12月24日(日)

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以上、『埴輪のとなり』掲載のページを修正し再掲しました。

お読みいただきありがとうございます。サポートいただきましたら、埴輪活動に役立てたいと思います。