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遅れてきたGS 5

5.1964年(昭和39年)4月11日~ 明 @金沢

明は、テレビ漫画の主題歌と同じくらいお菓子も好きだった。
特に好きだったのは、「ケンキャラメル」。

狼少年ケンとキャラメルという最強の組み合わせ。
「ケンキャラメル」のおまけがまた楽しみだった。
キャラクターのコロコロ人形。
テレビのコマーシャルをみてすぐに買ってもらった。
ケンの人形、大当たり!
初めて買ったケンキャラメルでケンが当たるなんてと興奮した。
でも、その後はいくら買ってもケンは出て来なかった。

明は、一人で留守番するのに慣れていた。
父親はとうに死んだものだと思っていた。そのことでいじめられたことも、一度ならずあった。
何度か父親のことを質問したことがあるが、その度に、「そうねえ」といったきり、母親はどう答えたものか困った顔をするので、もう聞かないことにしている。
父親不在の家庭の寂しさを何とか埋め合わせようとして、母親は常に明るく振る舞っていた。
「自分のものだと分かるように、座布団に絵を刺繍して来てください」
と保育園の先生に頼まれた時にも、大きな目をクリクリとさせながら、
「お座布団の絵、狼少年ケンにしようか?」
と明の好みを聞いてくれた。
器用な母親はケンの顔を上手に刺繍し、保育園の先生や友達から
「明ちゃんの座布団いいなあ!」
と称賛されることになった。
一生懸命に愛情を注いで育ててくれる母親のことが、明は大好きだった。

明と同様、母親も歌が好きだった。
日曜日には必ず、明と「ロッテ歌のアルバム」を観る。
番組の始まりの
「一週間のご無沙汰でした。玉置宏でございます。お口の恋人・ロッテ提供、『ロッテ歌のアルバム』」
は二人ともドキドキした。

母親は、ロッテのクールミントガムを手放さなかった。
明はよくガムを噛んでいる母親に向かって、「風船やって、風船やって」とせがんでいたが、
「これは風船ガムじゃないから膨らまないのよ」
とその度に気の毒そうに言うのだった。
そして、クールミントガムを銀紙に包んで捨ててしまって、わざわざ10円のチューイングガムを口に入れ、膨らませてみせるのだった。

また、明の母親はとてもお洒落だった。
女性は長い髪が一般的だった時代に、いち早く、アイドル歌手の九重佑三子と同じようなセシールカットにしていた。
「そういえば、『ヘイ・ポーラ』、由美ちゃんと一緒に歌ったんだ……」
明は母親の鏡台の前に座り、そっと口紅を付けてみる。
さらに、タンスから母親の黄色のワンピースを取り出し、ハンガーのまま体にあててみたりもした。
もちろん彼女が帰ってくる前に元通りに仕舞って、口紅もきれいに拭いてばれないようにと気を配った。
その内に、
「お母さん、早く帰ってこないかな」
とだんだん眠くなり、たたみの上で寝てしまった。

この年の10月には、日本で最初のオリンピックが東京で開催されるのだが、彼らは幼すぎて特に興味もなかった。
幼稚園の出席シールを貼る台紙が、10月はオリンピックの絵柄になっていたことには、博臣しか気が付かなかった。
国道8号線沿いを聖火ランナーリレーが通るということで、それを観に行ったことぐらいしか、後年覚えていることはなかった。
日本中を熱狂させた「東洋の魔女」の決勝戦も、日本中を震撼させた「アントン・ヘーシンクと神永昭夫の決勝戦」も、マラソンの円谷選手が必死の形相で競技場に入ってきたことも、彼らの脳裏には焼き付いてはいない。

「東洋の魔女の決勝戦」

「アントン・ヘーシンクと神永昭夫の決勝戦」

「マラソンの円谷選手のゴール直前のシーン」

(続く)

*この物語はフィクションであり、実在する人物、団体等とは一切関係ありません。

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