東山線


名古屋に、東山線がある。
南関東で言えば、総武線、北関東で言えば、高崎線に匹敵するような大動脈。都心から地方へ、地方から都心へと繋ぐ路線の第一だ。
高校時代のわたしの通学路でもあった。
「あ~あ」
一社(いっしゃ)に住む友達とは、時々途中迄、一緒に帰ったりした。藤ケ丘がわたしの下車駅である。
「何で」数学なんてあるんだろう、ぶん殴りたいねぇ、ソクラテスを、と話がまとまり、
「何で」英語なんてあるんだろう、外国に住む予定もないのに、と意見が一致した。
卒業の時期が近づくと段々、それなりに話が傾いてゆき、彼女は専門学校へ、わたしは地を離れて進学へと夢を分けていった。
愚痴や喜び、悲しみや、或いはどうしようもない怒り、世の中の理不尽やどうしても理解できない様々を、しかしこの電車は分かってくれた。
生意気であった。老成してた。
頭の中は、短歌と俳句、アニメと本でパンパンに膨らんでいた。他が入り込む余裕などなかった。
異常なまでに強かった感受性は、ますます高まり、だからだろうか、様々な面で大変であった。苦労もした。しかし、東山線は優しかった。
今池や覚王山、ひとつ、ひとつ、学校がある名古屋の駅が近づく度に、それでいい、それでいい、と優しい背中を押してくれた。
なでなでし、活力を与えてくれた。
今はどうなっているのだろう。
例の万博以降、当時住んでいた尾張旭は長久手のベッドタウンと化し、藤ケ丘は急速に発展を遂げたと聞く。
東山線の感覚も、変わってしまったのであろうか。

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