母と呼ばれて

見る度考え、涙した。

昭和の終わり。 わたしが高校の2年か、3年生の時に放映されたものである。 主演は藤田弓子。 平凡な務め人の旦那(河原崎長一郎)+2人の息子の家庭に、突然衝撃が走る。 次男は自分たちの子ではないらしい。 赤ン坊の頃にすり替えられていた。 本当の我が子は、某島部にいるのだ。

「血の繋がり」を意識した夫婦は、早速、「本当の子」。 血の繋がりのある我が子を島から呼ぶ。 そして今まで息子だと思っていた子を、島へとやる。 が、都会。 というか、島以外の生活を知らない子にとり、大変だけの日々である。 いきなり「本当の親は僕達だ」と言う知らない大人。 突然、出来る兄。 学校での諸々、等々。

 多くの場合、そういうものを乗り越えて。 「血の繋がりなんて関係ない」を訴求し、完結してゆくのであろう。 が、「~呼ばれて」は違った。 「血の繋がり」というよりは「生活環境」。 根本的な生活背景は、ずっと響くし、崩せまい。 「遠くの親戚より、近くの他人」というけれど、「突然、言われた実の親より、血の繋がりはない日々の親」。 突然、「わたし達が、あなたの本当の親なの。 宜しくね。 」「早く、パパ、ママと呼んで頂戴。 」と言われても、子供は只々、戸惑うだけである。 幾ら本当の親だと言われても、殆ど知らない大人なのだ。

男の子を扱ったドラマだからか? 今でもよく覚えているのは、長男の思っちゃか粘土細工を、腹いせ的に次男が壊す。 見ていた藤田演じる母親が、瞬間的に殴ってしまい、倒れて怪我をしてしまう。 「殴ったのは、悪かったと思っているわ。 でもね、、、」救急箱をそばに手当しながら、優しく語りかける母親に、しかし次男はムッとしているのだ。 こんな事の繰り返しである。

結局、彼らは元に戻る。 良かったんだとわたしも思う。 「血は繋がらなくとも」「親子」「家族」を打ち出し、今でも一生懸命育てている人も多い。 素晴らしいけど、現実は難しかろう。 「母と呼ばれて」素晴らしいドラマであった。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?