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僕にとっての救いのはなし。
中国から帰宅すると郵便受けに憶えのない宅配物の不在通知が入っていて差出人の欄を見ると写真展の主催者名。どうやら、写真展で展示していただいた作品を送ってくださったようで、ああ、そうか。とその日のうちにドライバーに連絡をして引き取りに。
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持ち帰ってみたものの、じっくり見よう。これが続きに続いてもう一ヶ月。
日に日に積み重なる荷物の中、一月前と変わらぬそれを見て、じっくり眺めよう。を盾にして目をそらし続けている自分のいやらしさに気付き(認め)、そういえばと、写真展前に書きっぱなしにしたメモを引っ張り出して読み返し、その後、写真はすぐさま開封。
メモは繰り返し読み返す内容、また、目の留まりやすいところに残しておこうということで自戒を込めて今回ここに書きのこすことに。
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僕は、起伏の少ない日々の合間、それも、下り坂に入る目前でカメラを構えて写しています。
それは例えば、ユーチューブを真剣に見つめる我が子の乾いた瞳であったり、またそれは、昭和の俳優のような威圧感と太々しさを持った公衆電話であったり、さらにそれは、天気予報士が読みを外し、後々、詫びるほどに雨が降った日の街中の情景であったり、もっと言うとそれは、食事後、残ったソースが、偶然、食器に描いた綺麗な絵であったり、この際だから言うとそれは、星の数じゃあ語れないよなあ。と思わせてくれる近所の中華屋のいびつな形をした餃子であったり。
僕の身の廻りにある小さいながら確かな景色です。
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僕のそれらは、見知らぬ人のスクロールの指を止め惹きつけるような煌びやかさはありません。また、諸手を上げて賛同を得れるような説得力もありません。思わず息を飲むような緊迫の状況を写しているということでもありません。
もし、隅々まで美が行き届いた華やかな写真の世界に迂闊に放り込めば、ちっぽけ。と呼ばれ、華がない。と、あしらわれかねない日常の記録です。
でも、時々、考えるんです。生きていくという営みの表層の移ろい、この世は常ならず、という真理めいたものを先々に伝えるのが写真の使命であるならば、華美な写真の世界のそれらと、名を残すことなく消えていくであろう僕のそれらにそもそもの優劣などあるのだろうかと。
僕のちっぽけなリアリティも、現代的で尊く、美しい、と呼べる価値が備わっているのではないだろうかと。
もちろん、未来評価への希望的観測である事は否定しませんし、それは、独りよがりじゃんかよ。と言われてしまえば残念ながら返す言葉は見つかりません。しかし、それでも僕は、日常の写真に希望を抱き、価値を正当化する事で自分を律しながら写真を撮り組み立ててきました。
そんな僕に飛び込んできた写真展の入選通知。
そして、今年の展示テーマの中に書かれたワンセンテンス。
「世界は発見を待っている。」
"気づいて欲しい。人目を引こうと過激になるニュースより、あなたの日常は、美しく、愛おしく、眼をこらすに値することに。色にあふれる世界は、あなたの周りにずっとある。世界は待っている。あなたの発見を。"
写す者にとって、これほど救いになる言葉がはたして他にあるだろうか。
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僕には見つからない。
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