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ジッポーといっしょ

自分が持っている物の中で一番古い物は何だろうと考えたらジッポーだった。1980年製だから42年前の物だ。その次に古い持ち物はやっぱりジッポーでこちらは1998年製、24年前に作られた物。自分の物持ちの良さもさることながら、ジッポーの丈夫さにびっくりする。

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ジッポーには底面に刻印があり、いつ作られたか分かるようになっている。上の1980年製は製造月までは分からないが、下の1998年製は左に「J」と刻印されている。「J」はアルファベットのAから数えて10番目だから10月に製造されたという意味だ。製造月が刻印されるようになったのは1986年の7月「G」かららしい。

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高校生の頃、皆なぜかこのアルファベットの刻印を「Aに近づくほど良いジッポー」というグレードの印だと思い込んでいた。AとかJとか刻印されていないジッポーは偽物という偽情報さえ出回っていた。今考えるとアルファベットの刻印がないジッポーは1986年6月以前に作られた物だから、「これは偽物だ!」と言われて蔑まれていた物の中には、とんでもない掘り出し物があったのかもしれないと思うと何も知らなかった自分が恨めしい。

ジッポーがこの世に登場するのは今から90年前。ジョージ・G・ブレイズデルが1932年にジッポー・マニュファクチャリング・カンパニーを設立。翌年1933年にその第1号が製造された。現在でもほとんど構造が変わっていないジッポーはロングセラー商品どころの話ではない。

そんなジッポーをアメリカの象徴へ一気に押し上げたのは第二次世界大戦だった。一般用のライター生産を中止して、戦場へ行く兵士用のライター生産として切り替えたのである。これは日本が金属類回収令として庶民や寺院から鍋や鐘を集めていた頃の話だ。1945年の終戦まで軍へのジッポー供給は続き、ジッポー社は一躍有名企業となった。

1950年代になると現在のものとほぼ同じデザインになる。1950年代半ばには冒頭の底面に製造年が刻印されるようになった。当初は品質管理のためだったが、この製造年月の刻印がその後のコレクターたちの琴線に触れることになった。

そんなコレクターたちに人気のジッポーに「ベトナムジッポー」と呼ばれるジッポーがある。1960年代から1970年代半ばにベトナム戦争に従軍したアメリカ兵士たちが使っていたジッポーだ。火を起こすための道具であるジッポーはどうしても戦争と相性がいいらしい。

ベトナム戦争当時、ジッポーはアメリカ軍の駐屯地にあった酒保店(兵士を対象に日用品・嗜好品を安価で提供する売店)で1.8ドルという価格で売られていた。ちなみにアメリカ兵の月給は当時300ドル。当時のレートでは1ドル=360円だから650円くらいで買えたようだ。

兵士たちはそこで買ったジッポーにそれぞれ好きなメッセージを刻み込み、自分だけのジッポーを作り出した。そのためベトナムジッポーには様々なテキスト、イラストが刻まれていて、反軍、反戦のメッセージやホームシックな兵士によるラブレター、自身の所属している部隊のエンブレムなど多岐にわたる。

現在ではコレクター間で高額取引されるほど価値が高く、実際にベトナムに行って収集するコレクターもいる。だが、現在ベトナムのホーチミン市などの市場で販売されているベトナムジッポーは偽物がほとんどで、高額売買されることを知った偽物製造業者が量産している代物ばかりになってしまった。コレクターが自分で自分の首を絞めてしまった典型的な例だ。

アメリカのアーティストであるブラッドフォード・エドワーズは創作活動のインスピレーションを得るため、1990年代にベトナムで実際にベトナムジッポーを収集した。これらのコレクションは「Vietnam Zippos: American Soldiers’ Engravings and Stories 1965-1973」という本にまとめられている。

エドワーズは「私はジッポーのコレクターというわけではなく、これらのジッポーが特定の場所、時間を共有した彼ら兵士の心の窓として存在していることに魅かれている」と語っている。

ベトナム戦争を描いた映画「ハンバーガー・ヒル」では登場人物のアメリカ兵がジッポーを使ってタバコに火をつけるシーンがたくさん出てくる。この映画は徹底的にリアルを求めた戦争映画として有名で、若いアメリカ兵たちの葛藤や残酷さがもちろんアメリカ視点からしつこいほど描かれている。

ベトナムジッポーの画像を見ていると、その持ち主やこれらのジッポーが辿ってきた時間、場所、温度、湿度を想像してしまうのは、昔見たこの映画がいつまで経っても頭から離れないからだ。

明日は生きているか分からないジャングルの中でタバコを吸うために使われたジッポーも、本国では愛や平和や反戦を掲げたヒッピーがウッドストックの会場でマリファナを吸うために使われていたと思うと、ジッポーの持つ普遍性に心が揺れる。

今でもきっとどこかの戦場で、どこかの路地裏で、どこかの喫煙所で、タバコやマリファナや花火に火をつけるために「チン」と小さな音を立てているのだろう。

自分は決してコレクターというわけではないが、冒頭の2つを含めて全部で6つのジッポーを持っている。「私は火しかつけられませんので……」という寡黙なところも気に入っているし、ちょっとやそっとじゃ壊れない頑丈さも頼りになる。そのくせオイルや石がなくなるとまったく使い物にならなくなるというポンコツ感もあって放って置けない。

これは理想の相棒像だと思った。元々道具やガジェットが好きなのでスマートフォンやボールペンにもそれぞれ相棒感を抱いてはいるが、彼らは水谷豊の相棒と同じくらいの速さで入れ替わっていってしまう。きっと死ぬまでポケットの中にいてくれる相棒はジッポーだけだ。

これからまた数年後、数十年後にこのジッポーで誰が火をつけるだろうか。チムニーの内側でゆらゆらと揺れる火に、その人はどんな心の窓を見るだろう。そんな想像をするとこんなに寒い日だってポケットの中はほんのり温かいのだ。

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