個人的にしんどいこと①:みんな体の怪我の心配ばかり

周りの人たちがみんな、
夫のことを心配してくれて
私のことも心配してくれて
同じように事故に心を痛めてくれて
全部全部伝わっているし感謝しています。


でも感謝の心の0.005%くらいで少し思ってしまうことがあって。
感謝してるからこそ誰かに伝えるつもりはないけれどよぎってしまう。


私の考えだったり、連絡をくれた人との会話だったりを思い返すと
交通事故に遭ったと聞いたら
「命は無事!?」→「意識はあるの?」→「身体は動く!?」
という段階で気になっていくことが多いのかと思う。
特に夫は体を動かすことが多い職業だから、職場の先輩には脊髄損傷の心配をすごくされた。

だけど私の中では、脳の障害がどのレベルで残っていくのかがすごく気になっていた。

それは事故当日、すごく的外れな会話をしている夫を見たからかもしれない。


夫は頭の怪我(血腫や出血、びまん性軸索損傷など)は手術加療の適応ではなく。
首とか顔面とか諸々の骨折は、いくつか手術の必要があって比較的早期に手術となった。

「夫くんは頑張り屋さんだからリハビリすれば元通り動けるようになるよ。」
「手術すれば一安心だね」
「20代の人は比較的交通事故からの回復も早いですよ。」

いろんな人に励ましてもらった。

だけどそれって、脳が正常な場合でしょ?
骨折だったら、適切な場所に戻してもらってきちんと骨がくっついたら動けるさ。
筋力が落ちただけなら、少し時間はかかったって待つさ。

だけど、記憶することができなくなったら?
徘徊して、無秩序に歩き回るようになったら?
一人家において、火が危ないことを忘れてコンロから火事を起こしたら?

そこまでいかなくても、仕事に責任をもって取り組んでいたのに、
今まで通りのパフォーマンスができなくなったらすごく落ち込んでしまうんじゃないか。

命があって、体の怪我が少しずつ前に進んでるからこそ思えることだとは分かってる。
みんな気を使って、なるべくポジティブな声をかけてくれてるのも分かってる。

だけど、これからそばで一緒に生きていく立場として、
励まされるたびに少し反論したくなってしまう。
体の怪我が落ち着いたってそれで終わりじゃないんだよ。
一生夫と私は、抱えて生きていくんだよ。

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