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骨折日記 365日目(手術ふたたび)

365日目 手術日

骨折から365日。
ちょうど一年目のこの日に、再び手術日を迎えることとなった。
今回も家族に送迎を頼み、一度目の時とほぼ同じような要領で病院へ。
まだ受付が始まるには少し早い時間で病院内はどことなく薄暗くひっそりしていたが、整形外科の前だけは今回もごった返していた。
前回の記憶はまだうっすら有り、全体の流れも何となく把握していた。
しかしその記憶がかえって仇になろうとは、始まるまでまるで考えが及ばなかった。

執刀するのは診察でもお世話になっている担当医である。だが、前回の診察から先生が変わっているため、手術としてはまたしても初めてのタッグということになる。
麻酔は今回も前回同様、伝達麻酔だ。これは経験済みで勝手がわかっている。まず左脇から薬液を注入する。手の甲から人差し指、続いて中指くらいまで痺れる感覚がひろがった。
そしてその後、たしか腕の外側からもう一か所・・と思っている間に終わってしまった。
へ?
一瞬声が出そうになる。
ちょ・・終わりですか?!麻酔、足りてます?
すんでのところでこれも呑み込んだ。素人だと思われるのも、ビビってると思われるのも何故だか癪に障る。
平静をよそおってはいるが、先ほどより胸がドキドキしている、気がする。
いやちょっと待て。必死に記憶をたどる。そう言えば麻酔の説明のとき、一か所ないし二か所から麻酔を注入すると言ってはいなかったか。確かそうだった気が、すごくしてきた。そうだ。そうに違いない。今回はきっと、この一か所から麻酔の全量を注入されたのだ。
中指辺りの痺れを感じた後、何となく左腕全体がもやもやして終わった。
つまり全体的に痺れてはいるが、指先の感覚は最後まで残ったままだった。

思えば私は呪われていた。

中学時代のこと。国語の先生は、比較的生徒に人気のある話の上手な楽しい女の先生だった。
授業中にする話題は、教科と離れた自身の持論や体験など、常にウィットに富んだ雑談を交えて巧みに生徒の興味を惹いた。もちろん私も話に引き込まれた生徒の一人だった。
ある日の話題で、先生は自分が盲腸で病院に運ばれた経験を披露。そこで先生は、病院で体重を訊かれても決してサバを読むな、と生徒に力説した。
手術前に行う麻酔は、その人の体重から割り出された効き目の適量がある。ゆえに体重の重さと麻酔の量は比例しているのだと。しかし先生はその乙女心から、自分の体重を訊かれるも実際より軽く申告。その結果、麻酔は途中で切れかけ手術室は大混乱。という、いつもの自らのズッコケ話であった。この話は何十年経った今でもずっと心の片隅に残っていて、手術の話題が上ると必ずと言ってもいいほど思い出してしまう。つまり呪いだ。ということを、私は京極夏彦さんの小説で学んだ。

まあそれは良しとして。

今回執刀してもらった先生からは、何故か「麻酔が効かない時は追加しますから」と、何度も何度も言われていた。そのせいだろうか?
人はたとえ大丈夫でも、何度も何度も「大丈夫ですか?」と確認されると、そのうち本当に自分は大丈夫で良いのだろうかと、妙に不安になるものだ。

そんなこんながありまして、本当に麻酔がちゃんと効いているのかやや不安が残る中、まだ感覚が残っていることをアピールするために、ずっと自分の指先を動かし続けていた。
特に「痛いかどうかの最終確認です」と言われた時はびくびくものだった。
その直前までアピールした甲斐あって「まだ結構動きますね」と気付いてもらっていたのだが、手を思いっきり開いてみるよう指示された時には、いくら開いてみてももう全く動いていないらしく、ちゃんと効いていたようだった。
しかし。
そうは言われたものの、その先は何だか不思議な感覚が続いた。
手術のあいだ脇の下の辺りを止血しておくため、肘を一度立てるように曲げた。それを最後に左腕は目隠しされ、自分の目に触れなくなった。
その後おそらく腕はまっすぐに寝かされたはずなのだが・・私の腕の感覚では、先ほど肘から曲げたその時のままの感触が残り、手術が終わるまでずっと肘を立てているような奇妙な感じがして仕方なかった。

手術が始まってからは思った以上に早く、30分ほどで終了。傷口は今回も簡単な透明のテープと、それが見えないように軽く包帯を巻いてもらう。取りだしたプレートとネジは記念にもらった。

外来に戻ると相変わらず混んでいた。整形外科とは、結局いつ行っても混んでいる科なのかもしれない。

抜釘手術 17730円
三角巾(自費) 616円
抗生剤、消炎鎮痛剤 710円


その日の夜7時頃。
一眠りして目が覚めると、昼間あんなにハラハラさせられた肘から先の感覚はまだ鈍く、どうやら麻酔はよく効いているようだった。
その後夕食を摂り、薬を飲んだ8時頃。
今日一日大変な目にあった左腕が何となくかゆい。しかし不思議なことに、じわじわと痛みを感じ始めてはいたが、まだ麻酔が完全には切れていないのか、かゆいはずの場所を掻いても掻いた感触がなく、全くもってスッキリしない。だが、やっぱりかゆいのだ。
この時私は、前に見たことがあるテレビ番組を思い出した。

手だったか足だったか記憶が定かではないが、体の一部を切断することになってしまった人の話だ。
切断して失ってしまったはずの腕から先(足だったかもしれない)が、時々どうしようもなく痛みを感じることがあるという。しかし無い部分が痛むと言われても、医師にも治療を施すことが出来ない。それが心の問題なのか体の問題なのか、それすらもまだはっきりとはわからない。そういった内容だった。

確かに。
今日私は手術の最中ずっと手の感覚があった。いや麻酔は効いていたので、感覚はなかったというのが本当なんだろう。
ただ上述したように、麻酔が効き始めてからも、自分の感覚がまだ残っていることをアピールするために、手術中もずっと指先を動かし続けていた。もちろん表面上は動いていなかったわけだが、自分の感覚としては割とはっきり握ったり開いたりしている自覚があったのだ。
それを思い出すと「無いはずの手(足)が痛む」という感覚がわかる気がする。これはとてもたまらない感覚だと思う。
体の機能はとても複雑でわからない事の方が多いだろうが、そういった方達が心穏やかに過ごせるような答えが、一日もはやく見つかることを願っている。

世の中にはもっと大変な思いをしている人が大勢いるだろう。
それに比べて私ときたら、自分の身の回りに起こるちっぽけな出来事に振り回される日々・・
それでもそれなりに波乱万丈で大げさに、時には泣いたり笑ったりしながら、今日も堂々と自分らしく、自分の人生を全力で生きるのだ。
それがきっと、人間ってもんだ。


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