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朝、厄介なんぞイヤイヤ

豪快でいてリアルなセックス、そうして声かけ、あの部屋で、扉の向こうでは祖母の声が聞こえる、というなんとも妙な状況に、声を上げることなしに流されている。というよりも、最近の私は「判断力」という文字を失くし、煙草の銘柄さえコンビニ店員に決めてもらう程度に、日常や他人に流されるということを楽しむ身であるので、二つも三つも情報が重なる場面で、当事者であるのに傍観者になるほか、私の役目なんぞない。

そんな当事者であるのに傍観者、というシチュエーションを客観視している最中、どくっどくっと鼓動の音が近づき、そうしてやっと目を覚ました。それらは夢であった。

夢と気づかぬ夢、これ、相当タチが悪い。やっと状況を把握できたところであったのに、またさらに、現実という厄介なものを捉えなおす作業がはじまる。
(わたしは女で、会社員で、26歳で、恋人はおらず、月曜日で、親友は2人いて、いつか猫を飼いたい…)

こんなにつまらないことはない。自らの肩書き・役割をとらえる作業を、目を覚ますたびに繰り返す。朝が来るたびに。だから朝は憂鬱で、グレーのねずみ色。つまらない。もし、自分が10人存在してくれたのなら、毎日取りかえっこが楽しいだろう。いや、100人でもいい。

感情も夢も行きたい場所も、100じゃ足りないほどあるというのに、体が一つしかないことが憎らしい。目覚ましのアラームが鳴っている。アラームは朝を示すから厭。つまりアラームも厭。厭な朝。朝なアラーム。アラームな厭。

眉間に皺を寄せたまま身体を起こす。

そしておにぎりとたくあんと味噌汁。これだけが救い。目的がなければ朝なんて起きてやるものか。起きれるわけがない。

下北沢へ向かい、靴を認めた。
声を出すことや前向きな姿勢で考えることや運動や酒の効能、ヤマザキショップのレジ横の豆大福の旨さなどを感じ、

そうして、一日が終わっていくまえに、届いた森茉莉の贅沢貧乏。箱入りの単行本を中古で頼んだのだが、これが古臭い。文章は立派で古臭くない。品そのものが古くて、特有の臭さを放っていて、なんだかかゆい。手が痒い。

そうしてまた、明日も朝を迎えるのだろうか。

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