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開運力で転職を成功に導けるのか!#65

銀座はお客様のレベルの他とは違うことは着物屋で働いている時に感じました。セントラルミュージアム銀座で展示会を開くと地方の展示会よりも高いものが結構売れた覚えがあります。「さすがは銀座!」なんですね。銀座で店を出せれば一流なんだなんて勝手に思っていました。

そんな理由から青山から移転した理由なんですが、蓋を開けみると「なんで~」って心の声が聞こえて来ました。当初は従来からのお客様も喜んで来てくれと思ったのです。しかし、意外な言葉が耳に入って来ました。

「えらくなったものね~」「高く売るんでしょう」なんて勝手に敬遠されてしまったのです。それでも、まあ、銀座4丁目だし一見さんもきっと入って来るからと高を括っていたのはやる前までした。

実際の話、入りやすい路面店でも無く、看板だけで3階の店に上がって来る好きな人もそうそういなかったのです。それでもどうにかなったのは強烈な当店の女医の顧客がほぼ毎日ように来店され、なんだかんだと言って10万~20万を買ってくれたのです。首の皮一枚で綱渡りをしていたものです。

つまり家賃が上がった分利益が減ったことになりました。かれこれ20年やっていると何処に移転しても来てくれる上顧客もいれば、その場所の近くに用事があって来店された人は全く寄ってはくれないものなのだと何回かの移転で身に染みてはいたが、あまりに暇だと気が滅入ったものです。

銀座には古くからいくつかの会社が集まって銀座商店街という組織を作っていましたので、その商店街に入れば年に何度かの冊子を作っていたのでその中に掲載できるので宣伝効果があると考えた私は、銀座で仕事をしている顧客に相談致しました。なんて運がいいのでしょう!なんと!そこの会員だと言うではありませんか!

亘に船って感じで直ぐに紹介をしてもらったのです。その会は銀座の老舗が集まった組合で当店のような零細店舗などは普通では「門前払い」は当たり前なはずでした。

しかし、エンジェルお蔭で入会させてもらいました。紹介があるとないのでは雲泥の差なんですね。しかしメリットよりもデメリットが多い感じました。

老舗が集まっていて月会費は高いだけであとは・・・?って感じでした。結局4年後には組合をやめるのですが、良かったと言えばそこで知り合った福岡に神社を3つほど束ねている年配の女性禰宜の方でした。お父さんは審神者をしていた人でかなり有名な方の娘になるかたでお父さんが存命の時に良く銀座に連れてこられていて銀座が好きになり今では名誉会員になっていた人でした。その人のと知り合ったお蔭で良い運を頂いたと感じています。それが無ければもっともっと苦しくなっていたことでしょう。

その頃、月に3日の富山出張と3か月に3日の福岡出張をして販売会をして売り上げを確保していました。富山はだいたい50万位売れて、福岡は200万~250万位売れていました。銀座は300万~400万円で全盛期から比べたら半分以下になっていましたがスタッフもアルバイトが1人でしたので気が楽くで食ってはいけないことは無かったです。

当店は会員制のインポートブティックでしたのでブランド衣料品を顧客に安く売ることが魅力として長年顧客を惹きつけてきたのです。しかし、商品も当店の魅力にもなっていたのかもしれないが占いをしてもらえることも魅力の一つになっていたのです。

話は戻りますが、銀座商店街の時に会長面接があり、その時運勢を占ったら会長に気に入られ入れたようなものでした。福岡は顔が広いお友達を多く持っている方と知り合いになって売上歩合を払っていましたしたが、占いが出来る事で誘いやすい方法となったようです。

女性は占いが好きですからこれを身に着けると販売に役立つ事を身をもって感じていました。

もし占いが出来なかったらもっと前に会社は終了を迎えていたかもしれないのです。物を売るには商品は当然いいものがいいのですがサービスにおいて占いは大きなメリットになると一般の会社は理解できないと思います。零細企業・個人企業だからこそ個人の魅力が無いと存続は出来ないものです。

そんな折、イタリアのフィレンツエでの買付で魅力のあるブランド品が手に入らなくなったのです。当時、ここ数年「エルマンノ・シェルビーノ」と「ドルガバ」で売上げを作っていたのですが、だんだんと良い品が手に入らなくなったのです。

良し品とは値段が安く売れ筋の服という意味です。なぜかと言うとドルガバに関して前から人気はありましたがシェルビーノに関してはあまり目をつけている人が無くほぼ当店が買いあさっていましたが、なぜか世界でも人気が出て買えなくなったのです。

そして銀座に移転して先行き不安を感じは始めたと同時に買付にも不安が生じてきたものですから、いつ辞めればいいのかなんて考える始末でした。長くやっていると新規顧客が増えなければ先細りになるのは判ります。従来はすでに腹いっぱいになっているのです。長い間売上貢献してもらったていたのです。

しかし、顧客を紹介してもらいその売り上げの手数料を払うやり方はその後、銀座でやってみて結果はついてきました。これはオピニオンリーダーを作りそのリーダーに新規顧客を連れてきてもらい売上の10%を報酬として渡すやり方でした。

これもそうは長く続かないのです。そろそろ身の振り方を考える時期と悟って来たのはそれが24年目の秋ごろだったと思います。

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