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開運力で転職を成功に導けるのか!#30

この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。               <み~さん>

第三章 何が何でも海外

<ボストンが待っている>

運はどんなものか説明できますか?

意外に難しいものです。成功者は私は運が良くて成功したとか聞きますが、私の努力で成功を勝ち取ったとも聞きます。

成功したのは事実ですがそこに主観が入ります。例えば宝くじで1億が当たったら運が良いと思う人もいればそれよって引き起こす悪い事を思うと運が悪かったね~なんて言うでしょう。

つまり見えない正体を信じるか信じないかも自分の主観なんです。    私は運の正体はこう思っています。

運とは目には見えないけれど何かエネルギーを持った情報だと思うのです。これは人から聞いた話を右から左へ流すのか、聞いた話をさらに深堀してみるのかでは全く結果が違ってくるのです。

前回の続きですが、
この時期に私が店長と険悪にならなければ「青山みとも」も辞めることは無かったし、また他の店長、社員もそれぞれ不満を持っていて、それぞれ独立を目論んでいたからこそ、結果的に誘われた話に乗ったのです。

「和光」、「青山みとも」で得たことは多かったです。営業の技術、企画イベントの仕方、高級商品を扱い勉強し研究を重ねたることができたことでした。販売トークも商品の長所を的確に判りやすく説明して理論立てて購入に結び付ける方法をしり、セールスの基本を学べました。

この時から営業という仕事に関して、新しい自分を発見したのです。また赤坂という場所柄か何人もの芸能人の衣装を担当できたのも良い思い出となりました。


私が海外への憧れは板前を辞めてからです。吉野家のビーフボール、ダンキンドーナツといい海外に行きたかったのは以前にも書いてきました。

吉野家を辞めてから直ぐに就職した会社がありました。3か月で辞めてしまったヤマトという派遣社員2人と社長と正社員の4人の小さい貿易会社でした。

輸入するのはオマールエビでロブスターとも言われています。レストランのレッドロブスターと言えば分るはずです。会社は築地にあり、毎日、空輸されたロブスターを生けすにいれ、卸先に持って行く仕事でした。なぜ選んだかというと、ボストン支店のスタッフ募集だったからでした。

面接時に3か月も立てばボストンで働けるよ、向こうに行ったら日本向けにロブスターを詰め込む仕事だから体力があれば言葉いらないなんていう話なので、うきうきして入社したものです。

しかし、入ってみると様子が違っていました。先ず休みがない、サービス残業、ルートセールスだと思ったらレストランにロブスターを持って売り込みの仕事でした。

卸先は神様で私たちは奴隷のようなものだと思ったくらいひどい扱いなのです。ロブスター・海老同士が喧嘩をすることが多いので爪に輪ゴムをつけておくのですが「取らないで下さい」と注意して渡しても、「爪が折れたから直ぐに交換しろ」なんて言うのは日常茶飯事でした。

近いならまだしも海老1匹の為に築地から川越にいったりしました。赤坂のあるホテルでは注文品を運んで渡して帰ろうすると料理長が出てきて今日は持って帰れという、理由を聞くと別の会社が安いのでそっちにするからしとしゃあしゃあ言う。

渋々持って帰ると、会社に連絡が来て、競合している会社の海老が良くないので、もう一度持ってこいなんていうことがけっこうあったのだ。持って帰ってくると当然社長に怒られるです。

でもあとからわかったのが、社長が営業をするときに、良くなかった返してくれて良いと言っているんです。だから返品が多かったのです。その事を知ったのは、事務の派遣社員からでした。

そういうことをしているので社員がすぐ辞めてしまうだとか言っていました。しかし、その辛抱も3か月やればボストンに行けると思えば我慢できました。2か月半が過ぎ、ボストンの話など一向にしてこないのでこちらから切り出しました。

「来月からボストンで働けますよね」と聞くと

「え~なに?そんな話はしていないなあ」

「面接の時に聞きましたよ」

「勘違いじゃないのか?」と白を切るのです。私も食い下がってると

「試用期間中だから、もういい3か月で辞めな!いらない!」と言われ次の週で辞めたのです。

そしてダンキンドーナツ、東京観光専門学校入学しそして卒業したわけですが4月初めの和光に入る前にある計画を立てていました。今では誰しも行く、当たり前な海外旅行ですが、当時は海外は未知の場所で未知=危険な場所と思われていて私も当然思っていました。そこで気の小さいところがある私は根性を鍛えるために30日のバックパッカーに挑戦することにしました。

地球の歩き方、ベストセラーな本です。その頃はこの本ができて2,3年目で私はこのDSTツアーに参加したのです。200人ぐらいの学生達がフライトでロンドンに行って30日後にパリから帰国するツアーでした。つまり、30日間フリータイム、宿泊は予約なしの行きたい所を回る一人旅なんです。

ユーレイルパスを使い鉄道で旅をする感じです。何か優雅さえ感じてしまう旅行と思うかもしれませんが実に過酷な旅です。学生ですから余裕も金はありません、当然宿泊先は安い宿を移動先で探すことから始まります。片言の英語は通じません、ジェスチャーでシャワーがあるのかバスタブがあるのかもなかなか通じません、値段はいくらかとノートに書いてもらって決めたりしました。

独りで回ってると危ない場所にも出くわして緊張が多かったことを覚えています。ジプシー、泥棒、ひったくり等多いのです。とくに3月はイタリアの泥棒学校の卒業式があり、みんな各国に散らばって卒業試験が実践で盗むなんて「嘘か誠が」誰が言ったか忘れましたが、私達はそうならないように神経を使いびくびくしたものです。

そしてヒースロー空港に着きました。200名が各地にそれぞれの思いを抱いて散って行きました。私は先ずロンドンの市内観光をしました。地球の歩き方をバイブルにして地下鉄、バスを乗ってみました。特にドキドキしました。

日本ではブザーでしたが当時の二階建バスは降車したい停留所の前で窓の上に紐があり、そのひもを引っ張り知らせるものでした。停留場も判らないので適当に近くと思ったら引くことをしたのを覚えています。

英国と言えばアーガイルです。ショップでボルドー色のアーガイルが全面あったセーターを買いました。3,4千円したかと思いますがそれを着てアフリカに向かう一人旅を開始したのです。注意事項で危険なことが多いと聞かされていましたが実際に数回恐ろしい目にあいました。


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