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開運力で転職を成功に導けるのか!#64

2008年 『リーマンショック』がありそれによる不況があり、当店もその影響は受けて売り上げも落ちました。それでも何とか売り上げを確保するために頑張った結果、2年後の2010年には元の売上には戻らないものの、もう大丈夫かなと言えるぐらいにはなって来ました。そんな矢先に大震災です。

2011年3月11日、東日本大震災により私自身が激変しました。これまで売上至上主義的な考えで20年やってきたのですが、この時プツンと糸が切れた感覚がありました。あの大参事の世の中です。半年たっても当店の顧客は戻っては来ませんでした。

私自身も苦境を目の当たりにしたことで、大きく価値観を揺さぶられたのです。お金が大事だと思わなくなった”というわけではないです。お金は“大切なものだけど、もっと大切なものに気づいた”ということだと思います。たぶん当時は誰もがそんなことを思っていたのではないでしょうか?

たぶん、その頃から会社をいつ辞めればいいのかなんて漠然と考え出した時期でもありました。その当時、売り上げは減っておりましたがまだ月に600~700万円は出来ていたので直ぐに辞めるまでは決心できなかったのです。

そんな時に銀行から震災不況で制度融資をかなり薦められ低利率だったものですからかなりの額を借りてしまいました。人は資金が潤沢になると気持ちも余裕が出て借りている資金なのに自分の金と思い込み堕落してしまったのもこの時期でした。

そんなことから2011年3月から売上は減り続けいたのにも係らず結構のほほんと営業をしていたのかもしれません。2年後には借りた資金も底が見えてきました。資金が減れば仕事より再びもっと大切なものがあるのではないかなんて思うのです。お金があるうちに辞めよう、解散しようと思ったのです。

起業から20年、共に働いてくれた店長に会社の解散を告げました。店長は資金が底をつくのが見えたのでしょう、それに20年働くと雇用保険もかなり長くもらえるようで、意外に納得してあっさりと辞めてくれました。あまりにもあっけなく辞めたので嬉しくもあり悲しくもありって感じでした。

残っている店はその頃、青山店と富山店でした。すでに従業員はアルバイトが1人いるだけで営業を続けていました。富山は月に3日だけの営業で、その間にイタリアに買付に行っていましたので年に4度ほど青山店の営業は月に15日間位でした。でも一人でやって行く分には利益がでたものです。

その頃、銀座で不動産業をやっている知人から銀座に良い物件があると言われました。銀座に店を出すなんて夢のまた夢な話です。場所は1丁目で裏通りで10坪の路面店があるというのです。家賃はそこそこ高かったが銀座でやれば良い客もとれるならと思いその気になりました。

もう誰に相談することも必要はありません。自分で即決めです。しかし、青山店をどうするか?少なくとも大家さんに3か月前に言わなければならず、10月末退店をするという解約を申し出ました。

私としては銀座の路面店で出来ると有頂天になっていた2週間後、突如悪い知らせが来ました。それも淡々と言うのです。「審査はだいじょうぶか?」と再三念を押したのにも関わらずです。知人からこの店舗は他の飲食店に貸すことになったので白紙になったと言うのです。これには私も怒りましたが怒ってもどうしようもない事ってあるのです。

これが世の中で、人を当てにし過ぎたのかもしれません。反省になる出来事でした。まあ私が大家なら条件が良い会社に貸すものです。

思わず夢見た銀座がシャボン玉のようにパチンと消えてなくなったのです。その上にせっかちな私は青山店に入る後釜を探していました。それが直ぐにみつかったのです。後釜に入るブティックは表参道にあり、ちょうど良い条件だと言って当店に入ることにしたのです。

その会社も私と同じようにすぐさま退店の手続きを不動産屋にしてしまったからです。本来なら訳を話してご破算に出来たかもしれませんが、私も見栄を張っていたのでしょう、四面楚歌状態に陥ったのは自分のせいでした。

銀座の店も新しい物件は見つからないことが続きました。これは今まで頼んでいた知人ではラチが開かないと感じ、違う銀座の不動産屋に連絡したのです。

棚からぼた餅!運がいいとはこのことなんでしょう!銀座4丁目に古いビルがあり、いつか壊すことになっているが後5~10年は大丈夫な物件を紹介してくれたのです。やはり見に行って即決しました。即決しなければならないのは既に退転まで2か月を切っていたからです。

この場所は審査も無事に通りました。22坪、東銀座駅前のビルで3Fに入ることができたのです。34歳で独立を考えた時、どの場所で起業するかと考えた場所は銀座でした。その銀座の話はもろくも、あっという間にはじけたのを思い出しました。結局、新宿でやることになりました。

それにしても、それから21年目にしてやっと銀座で店を開くことが出来たのです。「夢は叶う」と自慢したい、「銀座に店をもったんだよ」なんて叫びたい気持ちがいっぱいでした。でもそんなのはオープンする前までの話でそんなことを言っていられなく焦った状況に追い込まれるのはオープンしてからでした。



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