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日本のHIPHOPカルチャーは、映画BREAKIN'から始まった!

今更聞けない英単語のひとつである
HIPHOP。
日本では、ラップミュージックや
ラッパー達のファッションを指して
言うことが多いですが、HIPHOPとは、
本来、NYで生まれたBREAKIN'
(背中や頭で回るアレね)という
ダンススタイルを指しているのです。

しかし、時代と共に意味合いが変わり、
今では、ラップ(またはDJ)、ダンス、
グラフティの3つの要素の総称を表わす
言葉になっています。

このカルチャーは1980年前半に、
映画のプロモーションの為に来日した
NYのROCK STEADY CREWという
HIPHOP集団が持ち込みました。
(7th street調べ文責負わず)

彼らが日本人に与えたインパクトは強烈で、
普通に夕方のニュースに流れたり、
笑っていいともに出演したりしてましたね。

頭や背中で回るなんて当時の日本では
誰も考えも付きませんでしたから、
私もビックリして見ていた記憶があります。

公開された映画の中には、
WILD STYLE やBEAT STREETという
NYのHIPHOPシーンを題材にした
歴史的に有名な映画もありましたが、
私的には、LAの有名ダンサー揃い踏みの、
このBREAKIN'(邦題ブレークダンス)が
1番インパクトがありました。

興行的にも一番のヒットで続編も
日本公開されました。

この映画の主演であるシャバドゥーは、
非常に個性的なダンスを披露しており、
ティーンエイジャーの私の小さな
脳ミソには、シャバドゥー個人の
ダンスとインプットされました。
(実際はグループダンスでしたが。。。)

何故なら、この映画の趣旨が
「個性的であれ」だと感じたからです。
人真似するという発想が、まず出来ませんでした。
ですから、BREAKIN'で披露された彼の
印象的なダンスを、そのままコピーして
テレビで踊っているタレントや
バックダンサーには強い嫌悪感を抱いていました。

ディスコに通いだしたのも、その頃でしたね。
そこでも、シャバドゥーのダンスを
真似する人で溢れていました。
キャッチーで真似しやすい
ダンスだったからでしょうね。

そのダンスは当時、ファンキーとか
ファンキーフルーツという名前で
呼ばれていました。私は、彼らに
負けないようにとオリジナルテクニックで
勝負を挑みましたが、ギャラリー受けするのは、
いつも彼らの方でしたね(泣)

私のようにダンスに興味を持つ人もおれば、
DJプレイやグラフィティに惹かれる人達も
同時発生していったのです。
今ほど情報が簡単に手に入る時代では
ありませんでしたが、各々学習意欲は凄まじく、
HIPHOPカルチャーはゆっくりと静かに
熟成され現在に至っています。

私と同年代の方が、
今のHIPHOPはリアルでない的な
コトを言ったりしますが、
我々が元々サル真似してたんだから
何言ってんだって感じです。

若い人達のスタイルを否定することは、
絶対にしてはいけないことだと思います。

最初は模倣から入り、
自身のフレイバーを加えて
自己表現を完成させる。

ルールはこれだけ。

「個性的であれ」

ご支援賜れば、とても喜びます。 そして、どんどん創作するでしょう。たぶn