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母親になりきれない私が「第二のおばあちゃん」と名乗る理由

母親になりきれない私

両親が不仲だったこともあり、幼い頃から
「結婚」にいいイメージを持てなかった。


「私と結婚したら、相手が不幸になる」
「こんな私に育てられたら、子どもが可哀想…」

ずーっとそう思っていた。

結婚出産した今もなお、葛藤している。

妻として、母親としての自分に、
全く自信を持てない。

私は、いわゆるアダルトチルドレン。

診断を受けたことはないが、
ストレスが溜まると食欲をコントロールできなくなる摂食障害。

それから、余裕がなくなると、
自分の感情をコントロールできなくなることがあり…何らかの精神的な疾患。

を患っているもよう。

そんな醜い自分の姿を晒すまいと、
表向きには平然を装って生きている。

が家族の前では、それはそれは醜い。


つまり、いい人を演じている。
ええ格好しいなのだ。

そんな母親のもとで
子どもがまともに育つはずがない。


私の悪影響を最小限に留めたい

だから私は、「母親でいる」ことよりも、
「母親ではない自分でいる」時間を優先している

その分、夫、私の両親、私の姉弟、義両親、保育園の先生、その他身近な大人…

たくさんの人に愛情を注いでもらい、育てて頂いている

一般的な、理想的な母親像
からは、かけ離れた母親である

無責任な親だ
と思う人がいることも理解している

でも、そんな風に葛藤し苦しむ母親がいるんだと
知ってもらえたら幸いである


「母親」になりきれないのになぜ「第二のおばあちゃん」として活動するのか?

私は現在「第二のおばあちゃんとして、あったかいご飯で人と人をつないでいく」ことを自分の使命として活動している。

ずーっと「おばあちゃん」の存在に救われていた。私の醜いどんな姿でも、ありのままを受け入れ愛情を注いでくれたおばあちゃん。

そんなおばあちゃんのように、私も苦しむ誰かの救いとなりたい。

 「母親にもなりきれないのに」
 「偉そうに…」

でも、そんな私だからこそ
同じように苦しむ人に寄り添うことができる

そんな私だからこそ
声を上げて行く必要があると思っている


家庭内の悩みを誰にも打ちあけられずに、
1人で抱えて苦しむ人が減るように…

頼る相手は、家族以外に求めていい
そんな風に思える人が増えるように…


私もそうだったように、

ママの集まりは正直苦手。
支援センターも息が詰まる。

そんな人にとっても、
誰でも自分らしくいられる場も作っていきたい

でもなんだかんだいって、

母親になりきれないからこそ
「第二のおばあちゃん」
として自分の存在意義を見出そうとしているのかもしれない

自分自身がそうやって活動していることで
救われている


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