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季節はめぐり - 第二話

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 秋本さんはとても要領が良いタイプの人だった。
 食器の種類と場所、メニュー、テーブルの番号分けなど、教えたことはすべてわかりやすくメモしている。オーダーを取ったり注文の品を運ぶ練習をしてもらっても全く問題が無い。午後からはいきなりオーダーを取ってもらっても問題ないんじゃないかと思えるくらいだった。

 午前中、一通り教育を終えたあと、ランチタイムが始まる前に私たちは早めの昼休憩に入った。秋本さんはオーナーの手作りサンドイッチを幸せそうにほおばったあと、ホットのアールグレイを飲みながら私に尋ねる。

「先輩、覚えてます? 私のこと」

 その言葉に、私は飲もうとしていたアイスコーヒーのストローから口を離した。

「え、っと」

 目の前に座って愛想よく笑う新人バイトの顔をもう一度よく見て、記憶を辿る。

 秋本真衣。ずっと思っていた。なぜか、聞き覚えがある。
 私自身はあまりその名前を呼んだことがないけれども、誰かが彼女の名前をよく呼んでいた。そんなに昔じゃない、恐らく大学生の頃。でも、絶対に同級生じゃない。ということは、大学で違う学年の子と交流していた場所なんて、ひとつしかない。

「軽音サークル?」

 私が半信半疑で聞くと、秋本さんは一瞬嬉しそうに口角をあげたが、すぐにわざとらしく頬を膨らませた。

「覚えてませんね、その感じ」
「あー……ベースしてた、よね」
「正解です」

 そう、たしか三つ年下の後輩。私が四年生だったころに入ってきた新入生だ。私と同じベースをしていた子だから、おぼろげながらも印象に残っている。

 四年生は夏頃にサークルを引退するから、その年に入ってきた新入生とはせいぜい数ヶ月程度しか接する期間がない。だから、新入生もたいてい二年生とか三年生のほうが仲良くなりやすいし、私も一年生だったころの四年生の先輩なんてほとんど覚えていない。
 なんて、そんなの全部言い訳だけど。とにかく、私が引退した年に入ってきた新入生の顔や名前なんて、ほとんど覚えていない。というか、五年も前の記憶をこうして思い出せていることがまず奇跡に近い。

「よく覚えてたね」
「私がはじめてライブした時、ベース上手いって褒めてくれたじゃないですか」
「褒めた、かも。いや、顔は覚えてる、気がする。ごめん、名前は完全に忘れてた」

 最初のライブ。新入生が主役の初夏のライブだろうか。たしかに、他の子に比べて抜きん出てベースが上手い子がいた。五年前の記憶を呼び起こして、目の前の彼女と照らし合わせる。たしかに、あの頃の面影が残っている。今のほうが髪が短い気がするけど。

「髪、もっと長くなかった?」

 私が聞くと、彼女は少しいじらしげに顔をうつむけて答えた。今の秋本さんの髪の毛は肩に少しかかるくらいで、今朝、エプロンを付けた時から後ろで一つ結びにしている。

「切ったんです、ちょうど先輩が卒業したくらいに」
「ばっさり切ったね、胸元くらいまであった気がするけど」
「切ってみたら案外ラクで、ずっとこれくらいの長さにしてます。先輩は学生の頃から短かったですよね」
「長いと巻いてくるからなあ、本当は伸ばしたいんだけど」
「えー、いいじゃないですか、ショート似合っててかっこいいですよ」

 そう言いながら、秋本さんがマグカップに残っていたアールグレイを飲み干す。私はちらりと腕時計を見た。

「そろそろ休憩終わりじゃないですか?」
「別にまだお客さん来ないからいいけど」
「お客様が来るまでに教えてほしいことがたくさんありますよ、先輩」

 真面目。そうだ、学生の頃の彼女も真面目だった。似たようなやりとりを、サークルにいた時にもしたような気がする。

 グラスにまだ半分残っていたアイスコーヒーを、私はストローで一気に吸い上げた。

「じゃあ次はレジ対応ね。これ覚えたら一通りはできるようになるから」
「はいっ」
「あと食洗機の使い方も。練習でこれ洗おっか。あ、手洗いしないといけないやつもあるから、覚えてね」
「わかりました!」

 私が言うことすべてに、秋本さんは元気よくハキハキと返事する。そして私よりも先に立ち上がってカウンターから丸いトレーを手に取り、私たちが飲み終えたカップと食器を手際よく片付け始めた。

「トレーは片手で持てるようになるといいよ」

 カップと食器が載ったトレーを両手で持つ秋本さんに言う。
 秋本さんはそのまま片手でトレーを持ち換えようとしたけれども、バランスがとれずにぷるぷると手が震え始める。

「お、落としちゃいそう」
「いったん置いて」

 秋本さんを止めて、いったんテーブルの上にトレーを置いてもらった。バラバラに置いてあったカップをトレーの中央に寄せて、食器も重ねてカップに近づける。

「できるだけ真ん中から置いていく、背が高いものも真ん中に寄せて。そしたら安定するから」

 秋本さんから注がれる羨望と感服の眼差しが、少しだけくすぐったい。

「持つときはこうやって、手のひらは軽く添えて指先を意識して支えると水平にしやすい。あ、もちろんたくさん食器があって重いときは両手で持って良いから」

 もう身体に馴染んだやり方で、手本を見せる。ふむふむと真剣に頷く秋本さんを見ている時、ふいに既視感を覚えた。
 前にも秋本さんに、こうやって何かを教えたことがあるような、そんな気がする。でも、それはもしかしたら秋本さんじゃなかったかもしれない。ここの仕事はいろんな人に教えてきたし、トレーの持ち方だって何回も教えた。だから、さっき感じたデジャヴが本当に秋本さん相手のことだったのか、確証は持てない。

 秋本さんにトレーを持ってもらうと、さっきよりは安定して持てているようだった。やっぱり、飲み込みが早い。

「こればっかりはやって慣れるしかないね。カウンターの向こうまで運んでみようか」
「は、はいっ」

 緊張している様子が初々しくて、秋本さんにバレないようにこっそり笑みをこぼした。


▼第三話

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