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季節はめぐり - 第四話

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 秋本さんは最初の一週間で基本的な仕事の内容を完璧に覚えて、次の週には客の来店から支払いまで、基本的な仕事は難なくこなせるレベルになった。そのさらに次の週、つまり彼女が入ってきてから三週目にもなると、数か月働いた大学生とほぼ同レベルで仕事をこなすようになった。

 彼女のシフトの組み方は私とほぼ同じで、定休日を含めて週に一日か二日休む以外は、開店から閉店までフルに入っている。といっても、このカフェは午前十一時に開いて午後五時頃にはさっさと閉めてしまうので、拘束時間としてはそこまで長くない。

 そんなわけで、お店を出るタイミングが秋本さんと重なることも多くなり、私は秋本さんに誘われて毎日一緒に帰るようになった。少し遠回りになるものの、電車で来ている秋本さんを駅まで見送ってから家に帰るのが日課になっていた。
 お店から駅までは歩いてほんの五分ほど。そのわずかな時間に、私たちは毎日、ぽつぽつと話をした。最初は、仕事のこと。それからカフェのこととか、オーナーのこと。
 毎日少しずつ、お互い何かを探るように、私たちは話題を広げていく。

「先輩、帰ってから何してるんですか?」
「ごはん食べて寝る」
「えぇ……趣味の時間とか無いんですか」
「趣味が無いからなあ」
「む。私、最近韓国ドラマにハマってるんですよ。今度一緒に見ませんか?」

 秋本さんは、なぜか私に懐いている。というか、正直、ちょっとうっとうしさすら感じる。私は犬を飼うのには向いてないだろうな、と秋本さんと話していて思ったりした。

「先輩は、どうしてあのお店で働いてるんですか?」

 ある日、秋本さんにそう聞かれた。

「あっ、就職的な意味じゃなくて、このあたり、他にもいろいろ飲食店あるのになって」
「家が近いから。あと、雰囲気良いし」
「わかります。シックな感じで落ち着きますよね、あのお店」
「変なお客さんも来ないしね」

 秋本さんはうんうんと何度も頷いた。

「オーナーもすごく良い人で安心しました」
「秋本さんは、なんであの店?」

 私が聞くと、秋本さんはにこりと嬉しそうにこちらを見た。

「先輩がいたから」
「えっ」
「私、あのカフェ行ったことあるんです。そしたら、お店もとても気に入ったんですけど、先輩が働いてるのを見つけて、一緒に働きたいなーって思って」

 どう反応するべきか、私は迷った。私、この子にそこまで好かれているのか、という驚きがあった。秋本さんと話すたびに何度も大学時代のことを思い出そうとするけど、正直まだそんなに思い出せていない。
 とくに、彼女との関係性が全く記憶にない。記憶にないということは、そんなに交流は無かったはずなんだけど。

 もし明奈に聞いたら、何か知っていたのかな。そんなことを考えてしまう。明奈と話すことなんて、もう二度と無いのに。

「就職、しなかったの?」

 私が聞くと、秋本さんは一瞬表情を曇らせたあと、うーん、と言葉を探した。踏み込みすぎた、と思い、慌ててフォローする。

「いや、言いたくないなら言わなくていい、ごめん」
「あっ、違うんです。話すと長くなっちゃうなーって」

 駅の中へと進み、すっかり見慣れた改札口にたどり着く。自動改札機が四、五台設置されていて、コンビニが併設されているだけの、どこにでもある小さめの駅。それでも利用客は多いほうで、スーツや小ぎれいなワンピースを着た人たちが、次から次へと足早に改札口を出入りしていく。そんな中、私たちは改札口の前で立ち止まっていた。

「今度、ゆっくり話しませんか? そうだっ、宅飲みしましょうよ! 私、先輩の家に行ってみたいです」

 秋本さんの突然の提案に、私は、え、と驚きの声を漏らしてしまう。

「待って、うちは無理、めちゃくちゃ散らかってる」
「じゃあ、私の家でもいいですよ、どうですか?」
「あー、えっと」

 めんどくさいな、という気持ちが半分。秋本さんの話を聞いてみたい、という気持ちが残り半分。それは単純に好奇心で、私が卒業したあとのサークルのこととか、秋本さんの就職活動のこととか、聞きたいことはたくさんあった。それに、そこから私と秋本さんの大学時代の関係を思い出すきっかけが掴めるかもしれない。

「いいよ、いつにする?」
「やった! じゃあ、明後日の仕事終わりでどうです?」

 急だな、と思いつつ、今の私には大したプライベートの予定も無いので、予定表を見なくても承諾できる。

「明後日ね」
「はいっ、あ、電車来ちゃう! ありがとうございます、先輩っ」

 早口に言いながら、秋本さんは笑顔でぶんぶんと私に手を振って、瞬く間に改札の向こう、人混みの中へと消えていった。私は手を振り返すタイミングを逃して、しばらく一人でぽつんと佇んだ後、踵を返し、駅を出る。

 しばらく歩いたところで、私はスマートフォンのカレンダーアプリを立ち上げた。
 いたるところに灰色のタグで「バイト」と、赤色のタグで「定休日」としか入力されていない、殺風景な予定表。数か月前までは、桃色や黄色のタグで色づけていた明奈との予定で彩られていたはずなのに。もちろん、今そのページを見る気はしなくて、私は迷いなく明後日の日付を選択する。

 「秋本さん」と入力して、予定の色は、水色にすることにした。


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