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季節はめぐり - 第七話

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「私、新歓ライブで先輩の演奏を見てあのサークルに入ったんですよ」

 秋本さんはブドウサワーを片手に、うっとりとした様子で私の演奏を見ながら言った。

「そうなの? 知らなかった」
「何もやりたいこととか無くて。友達に誘われて、なんとなく見に行ったライブで、先輩の演奏を見て。ベースやりたい、って思ったのも、先輩の演奏のおかげですし」
「そこまで言われると照れる」
「だって本当のことですし」

 私も大方満足して、秋本さんにベースを返す。弦と本体を布で拭く秋本さんの姿に、私は少しだけ羨ましい気持ちがした。

「先輩は今も触ってるんですか?」
「……売っちゃった」
「えっ!? あれ結構いいベースじゃありませんでした? たしかフェンダーの」
「うん、五弦のね」
「そんな、もったいない」

 ベースをスタンドに戻した秋本さんはローテーブルに戻ってきて、私と向かい合って座る。

「卒業してから、お金に困ったことがあって。それで」
「あー……」

 秋本さんはそこで言葉を止めて、それ以上何も言わなかった。私もそれ以上詳しいことを伝えようとは思わず、缶ビールを飲み干した。秋本さんもぶどうサワーをあおって、しばらく無言の時間が続く。

 なんとなく、まだそこまで深掘りするタイミングじゃない、とお互いに察していた。

 秋本さんが本当はどう思っているのかはわからない。だけど、私たちは数年ぶりに再会した大学の先輩と後輩、というだけで、それ以上の共通点は何も無い。強いて言えば、今は同じ職場で働いている、というだけ。秋本さんは店に来てまだ三週間。来週からふらっと来なくなるかもしれないし、何ならこの場で怪しい新興宗教とか勧められてもおかしくない。

 だからこそ、私たちはこうやってお酒の力を借りながら、自分の心と相手の心の距離感を手探りで探している。

「秋本さん」
「真衣でいいですよ」

 秋本さんが言う。
 真衣。私は学生時代に、彼女のことをそう呼んでいたのだろうか。まだそこまで思い出せない。

「聞いてもいい? 真衣のこと」

 それは言ってしまえば、ただの好奇心だった。秋本さんには失礼かもしれないけど、それでも、ここまで来て聞かないのも違う気がした。秋本さんと仲良くなりたいのか、と言われると、まだその気持ちには確信が持てない。でも、興味本位であれ、あるいは友達としても、秋本さんのことをもっと知りたいのは本当だった。

 あるいは、もしかしたら。

 私は今、ぽっかりと胸に空いた穴を秋本さんで埋めようとしている?
 最低だ。自分で自分の思考が気持ち悪くなり、頭の中で必死に払いのける。
 秋本さんは優しく笑いながら、二本目の缶チューハイの蓋を開けた。

「じゃあ、話し終わったら先輩のことも教えてください」

 そう言って、私のほうへ缶を差し出す。
 まあ私の話なんて別に面白くもなんともないだろうけど。そう思いながらも、私もレモンサワーの蓋を開けて、二度目の乾杯をした。

「って言っても、先輩がいなくなってからも、普通に学生してたんですよ」

 心なしか、とろんとした瞳で、溶けるような笑顔をこぼしながら秋本さんが話す。

 私が引退した後も、秋本さんはベースとサークルでのバンド活動を続けていた。学業でも(はじめて知ったけど文学部だったらしい)良い同級生に恵まれて、大きなトラブルや悩みも無く過ごしていたらしい。
 三年生から就職活動を視野に、インターンや会社のイベントに参加し始めて、四年生になって就職活動を始めるのと同時にサークルを引退。それから無事に、人材関係の大手サービス業に就職が決まる。

 まじめな子がまじめに大学に通って、まじめに就職した。そんな印象。
 そして、私が一番聞きたいところに時系列が近づいてくる。

「就職はしたんだ」

 私が聞くと、缶を持つ秋本さんの指元がぴくりと震えた。

「はい」

 次の言葉をしばらく待つ。そんなに辛い思いをしてまで話されても後味が悪い。無理して話さなくても、と止めようかと思ったところで、秋本さんはぐいと缶をあおり、深呼吸のように深く、長く息を吐いた。

「私、自分が知らないうちに、頑張りすぎちゃってたみたいなんです」

 缶の飲み口を両手の指でなぞりながら、秋本さんはゆっくりと言葉を紡ぐ。

「自分が良かれと思ってやったことが、ことごとく空回るというか。正しいことをしたつもりが、そうじゃないって怒られて。じゃあ、もっと正しくしよう、って動いてみたら、それも違うって、また怒られて」

 ああ、簡単に想像できるな、と思った。

 この数週間で、秋本さんの人柄はよく理解できた。素直で前向きで、常に正しい選択をしようとする。そして、その選択を簡単に曲げることができない。というより、他に選択肢があるということに気付けない。

 先週、常連客がメニューに無いオーダーをした時、秋本さんは困った様子で「それはメニューに無いので」と何度も拒否していた。優しい人だったし、事態に気付いた私がすぐに取り次いだ(その人のために、オーナーがいつも特別に作っているナポリタンだった)から事なきを得なかった。だけど、相手によっては怒らせてしまうだろう。

「真面目だよね、秋本さん」
「変わらないでしょう、学生のころから」

 ため息混じりに秋本さんが笑う。

 そうだ。学生のころ、たしか、新入生同士ではじめてのバンドを組んだ時。ギター担当の子が楽譜通りに弾いてくれなくて、好き勝手なアドリブを入れてくるって相談してきたの、たしか秋本さんだった。秋本さんは市販のバンドスコアを丁寧になぞって、忠実に、その通りに演奏するタイプだった。

 もちろん、バンド演奏は楽譜通り正確に演奏するものではないし、かといって一人が好き勝手に弾いていいわけでもない。そういう意味で、そこに正解は無い。

 だから、秋本さんだって間違ってるわけじゃない。普通はメニューに無いオーダーなんて取れないし、それを断ることは何もおかしくない。楽譜に無い音を奏でる必要だって無い。

 彼女の選択も、行動も、すべて間違ってはいない。
 だからこそ、その問題に気付くのも、直すのも難しい。

「どこで間違えたんでしょうね。何をやってもうまくいかなくなって」

 私はなんとなく聞いていて心地が悪くなり、唐揚げに箸を伸ばした。

「結局、身体を壊して辞めちゃいました。今年の夏に」
「そう」
「その後は、前に話した通りです。お金が無くなりかけて、仕事を探してるときにカフェに行ったらたまたま先輩がいて、それで」

 時期的に、前の会社を辞めてから数か月といったところか。この季節は四年生になった大学生が、卒業論文やら何やらで忙しいからと言って人手が抜けやすい時期だ。秋本さんが入れたのはタイミングが良かったのもあると思う。後からオーナーに聞いたところによると、秋本さんはオーナーが募集を出す前にお店で「人を募集してませんか」と直談判したらしい。
 秋本さんは空になった缶をローテーブルの上に置き、両手を合わせてぱんと叩いた。

「はいっ、私の話は終わりです! 次は先輩の番!」
「あー」

 正直、面倒くさいな、と一瞬思ってしまう。

「その前に、さ」

 私も空になったチューハイの缶を左右に振る。もうこのローテーブルの上に、中身が入っている缶は残っていない。その様子を見た秋本さんの顔は、心なしか少し赤くなっているように見えた。


 ▼第八話

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