見出し画像

---にちようびのアトリエ---日常にもどりはじめるまえに、ちょっと考えてみたいこと①


 幼稚園のとき、楽しく描いていた絵を人とくらべられてから「どんな絵を描いたら自分はここにいていいのか」とまわりの目ばかり気にする子になってしまった。

 そんな経験があったから、自分がこどもの仕事についたとき、大人にされて嫌だったことは絶対にこどもにしない、それだけは決めていた。「遊んでお金がもらえる」というあまりに不純な動機ではじめた大学生のアルバイトだったけれど、今から思えば「くらべない」「評価しない」という絶対的なものさしだけは最初から持っていた。
 それから学童や児童館、幼児教室、保育等、こどもの仕事に何十年と関わってたどりついたのは、造形教室というかたち。でも今は教室という名前さえも違和感がある。なにかをつくるという姿勢をともにする場であればいい。わたしのなかの「くらべない」「評価しない」は、その場ではおおきな声をあげなくても、自分がそうあればいいだけだった。こどもはまなざしひとつで生まれてくる。おおきな人にくらべられてはじめて、ひとと自分をくらべるようになる。

 日々、こどもたちが集団で過ごすなかにあって、おおきな人が「くらべない」をつづけるのはとてもむずかしい。わたしのからだにはそうされてきた経験があるから、頭ではわかっていても、どこかでそう思っていたり、されたことをそのまま次のひとへ渡してしまいそうになる。わたしは何度もそれをやってきた。それでも、あのとき痛みを感じたちいさなわたしが声をあげて、やめて、もうしないで、おねがい、と言うから、わたしはそれを、しない。そしてときにその声は、わたし自身だけでなく、まわりのおおきな人たちに向かっても声をおおきくして伝えなければならないのだった。



 好きな画家は?と聞かれたら、迷わずパウル・クレーをあげる。
 こどもたちと絵を描くようになってから、よく彼の画集をながめた。絵本になるような名の知られた画家のなかで、唯一、心がぐっと動いたひと。回顧展でたくさんの作品をみたとき、なによりも作品の振り幅と、こどものようにあそぶ色彩を全身で浴びてワクワクした。紙のうえの線を追いかけるように、気持ちが走った。教育者としてのクレーの凛とした佇まいもまた、脇の甘いわたしには心地よく感じた。このひと、なんか好きだな。10年前、スイス・ベルンに彼の美術館があるのを知って、夏休み、「ちょっと遠出する」くらいの気持ちで、ひょいと会いに行った。



 ベルンの駅からバスに乗って、丘のうえの美術館をめざす。
 バスは途中、ちいさなベルンの街並みを見渡せる通りを走った。ひしめくレンガ色の屋根も、ながれる川の乳白色も、なぜか目の前にあるのに手のとどかないような存在感。もう既に、クレーの描く童話のなかにいるんじゃないかしら。その証拠に、バス停を降りると一面にひまわり畑が広がっていた。

 正直なところ、展示はさほど印象に残っていない。もちろん印象的な作品や、見たかった絵にはいくつか出会えたけれど、倉庫のような展示室にすこしばかり落胆して館内をぶらぶら散策していた。くすぶりながら階段を降りたところで、creavivaと描いてある楽しげな入り口をみつけた。入っていくと、そこはこどもたちのための場所だった。Creaviva kinder museum。絵本がならび、ちょっとしたあそび場があり、休む場があり、広いアトリエがある。

 ガラス張りの壁一面から夏の陽射しが射しこむ。あの緑の向こうは、きっとひまわり畑のはず。展示室には窓もなく、絵を見ながらあれほど息苦さを感じていたのが嘘みたいだ。もしかしたらこの建物のなかでもとっておきの場所をレンゾ・ピアノはこどもたちのために取っておいたのかもしれないな。いや、それを決めたのはクレー自身か。それほど、その場所は心地よい光と開放感にあふれていた。
 実際になかを歩いてみると、それがよくわかる。高い天井まで放たれた空気。ゆったりとしたおおきな机、刻まれたたくさんの絵の具の色の層。ぴかぴか光る床の木材。ひとつのテーマで、こどもの数だけ描かれた絵がガラスに貼られている。整えられた画材の清潔感。クレーの絵をモチーフにしたパズルが誰かの手のあとを残して、散らばっていた。裏をのぞくと、アジア風の隠れ家があって、遊んで疲れたらここですやすや眠る子もいるのだろう。

 こんな多様な色彩にあふれた場所で絵を描くことのできたこどもは、一体どんなおとなになるんだろうね。すべり台の上で、笑いながらあそぶこどもたちの後ろ姿に、今までわたしが出会ってきたちいさなひとを重ねた。

 帰りの電車の時間もあって、早々に駅に戻ることになったけれど、チューリヒに戻る電車のなかでもずっとあの場所のことをかんがえていた。滞在が短かったぶん、ベルンの街とクレーの美術館は想像の余地をわたしに残してくれたのだ、そんなふうに思いながら。

画像1




 東京へ帰ってきてから、職場の机のみえるところにcreavivaのフライヤーを貼った。それから数年のあいだに机が変わったり、仕事をする場が移動したりしたけれど、そのフライヤーはその後も出番を失うことなく、ずっとみえるところに居続けた。大切なものは、いつだってしずかにそこにいてくれる。ときどき忘れてしまうくらいひっそりと。ちいさなものへのまなざしも、あのとき歩いた陽のあたる場所のことも。
 それは、ちいさなわたしが安心していられる場所、安心していたかった場所だったんだなと最近は思う。消去法でものごとを選んできたから、ずいぶん遠回りをしてしまったけれど、今はなんだかわかる。ちいさなひとは今もわたしのなかにいて、そのひとが、日々、目の前のこどもたちと同じ目の低さでおしゃべりをし続けてくれる。なんだか嫌な感じがするときは、そのひとが誰よりも先に教えてくれる。生きる時間を、こうしてしずかに重ねていることも。

画像2

画像3


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?