私の心の中の、お墓の金色の文字。
「あなたの、親類が眠るお墓の文字は何色ですか?」
これ、みなさんなんて答えますか?
私は「金色」です。
でも、普通はこのような結果だそうです。
私は一言目に「金色」と答えました。続くものとして、うーん確か白とかかなあ…と。でも、そして私のこの質問をした人も「やっぱり普通が金色だよね?!」と言っていました。
でも、実は「お墓の文字が金色」は九州地方の話のようなのです。
地方出身ではないけれど
私は、東京生まれ埼玉育ち東京在住です。でも、両親の実家が奄美大島のため、お墓参りは奄美大島。私のこの質問をした人も、九州の出身でした。
もちろん私だって、ケンミンSHOWなどをみて「地方によっては“当たり前”と思うことが違う」という常識くらいはもっています。奄美大島の方言が通じないことも、多少本州とは違う常識ががあることもわかっている。
でも「お墓の文字」は、盲点でした。
まさか違うなんて、と思うものでしたし、「お墓の文字が金色」というのは、他の地域の人からすると「ありえない…(派手派手しい…)」と思われるものであるということも、初めて知ったのです。
パラダイム、っていうと簡単だけど
7つの習慣でいうところの「パラダイムシフト」、と言葉でいうと簡単ですが「お墓の文字は金色ではない」ということ「そちらの方がマイナーである」ということは大きなパラダイムシフトでした。
関東という割と「スタンダードになりがち」な常識の中で生きてきた私としては、衝撃的だったんです。
そして同時に思いました。
自分が当たり前だと思っている事の多くは、おそらくそのほとんどは「お墓の金色の文字」なんだろうな、と。
例えば、それは7つの習慣との関係性
それは、私と「7つの習慣」との関係性もそう。
あたり前に思ったり、会社で共通言語となっていることが、外から見ると異常なことだったりする。スタンダードだと思っている事の多くが、実はマイナーな自分のまわりの一部分の人の間だけで起こっている事だったりする。
毎日触れているからこそ、気づかない。
その希少性や独自性に気づかない。
そんな「私の心の中の、お墓の金色の文字」に、私はどれだけ気づけているんだろう?
そう思うととても不安になるのです。
今日は、ちょっと弱気
7SALONのこと、これから新しく進めようとしている事。
自分の「金色の文字」だけを見つめて私は進めてしまっていないかな?
実現したいという熱意も思いも大事だけど、自分とは違うパラダイムで物事を見たり受け容れるようにならないと、きっともっと伝わらなくなってしまうな、という壁に最近はぶつかっています。
今日はちょっと弱気なままで。
燦然と輝く「心の中の金色の文字」を、大事にしながら。
そして、「そんなのお墓なのに派手でおかしいよ!」という人の声も、きちんと想像しながら。
この年末年始は、もう少しゆっくり考えてみようと思います。
(こんなことの、お話し(相談)相手いつも募集中です)
今年もあと4日。
良い終わりにしましょうね。おやすみなさい!
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