見出し画像

生きる意味も目的もわからない

生きる意味も生きる目的もわからない。
「いずれは必ず死ぬ」と考えると、すべてが無意味に思える。
でも不思議になことに、まったく辛くはない。


生きる意味がわからないというより、見出す必要が無くなったんだろうか?

これまでは「死」という絶対的な存在を受け入れ難かったので、(時に苦しみながら)生に意味を見出そうとしていた。

それが、「死ぬのも意外と悪くないじゃん」と感じる現在に至っては、生に意味を見出す必要性自体が無くなった・・ということなのかも?


「生」という概念自体、錯覚のようなものだと思うようになった。

真に確かな存在は「死」のほうであって、それを存在しないものと無理矢理にみなした時に穴埋め的に生まれてくる概念が、「生」なのかなーと。

この働きの原動力となるものが、「感情」であると思う。
感情があるから好奇心が生まれ、五感をもって周囲を知覚し、意味付けされ、世界が作り上げられる。
「世界が先にある」という考え方は、典型的な「生」の錯覚と言えるのではないか、と思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?