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仕事とは「道端に落ちているうんこ」である

自分には先延ばし癖がある。

子どもの頃、夏休みの宿題を期限内に終わらせられたことは一度も無かったし、現在に至っても仕事そっちのけでYoutube見たり漫画見て無為に時間を消費してしまう。そして、期限当日にキレ散らかしながら死ぬ気で徹夜してなんとか間に合わせるという行き当たりばったりな生活を、大人になってからも懲りずにずっと続けている。

こんな自分に対して「いつまで経っても学習しないアホ」と自己嫌悪していた時期もあったが、今となってはそれすらも通り越してただ周期的にキレ散らかすヤバい人になりつつある。

「毎度なんとかなってるのだから、変わる必要は無い」と自身の無意識で結論付けているのだろうとは思うが、毎度感情を荒げるのはとても疲れるし、同じことを繰り返すうちに流石に飽きてきた。

そこで「そもそも何故自分は仕事をこんなに先延ばししたがるのだろう?」という疑問を持った末に至った結論が、タイトルの通りである。


仕事とは「道端に落ちているうんこ」である


仕事の本質はエントロピーを低く保つことであるから、必然的にその対象物はエントロピーが高いものに帰結する。そして人間は、エントロピーの高いものに対して生理的に不快を感じる。

この高エントロピーに対する忌避感が、仕事着手までの異様な抵抗感に繋がっているのではないか。(まさに、道端に落ちているうんこを踏まないように、そして五感からシャットアウトするように)

さらに、先延ばし癖を持つ人々(自分含む)がそういう時に他者に助けを求めないことが多い点にも、納得のいく説明ができる。
つまり、仕事とは「道端に落ちているうんこ」なので、そんなものを他者に押し付けるわけにはいかないという倫理感が働いているのだと思う。その強烈な臭さや汚さに発狂しそうになりながら、「これは自分一人で処理しなければならない」という使命感に駆られ、他者を頼るという選択肢を自ら否定し、しかし自分ではどう処理すれば良いのかわからず、ただ悪臭を放つうんこの側で立ち尽くす。なんという悲劇だろうか。


打開策は、ある。それは「掃除」である。
先程述べた通り、うんこは生理的に忌避の対象であるが、掃除の意志を持つことでその忌避感をエントロピー低減欲求へと昇華することができる。結果、積極的にうんこを掃除しようというマインドを整えることができる。このマインドに至るスイッチとして、まず身近な場所の掃除に着手する・・ということである。

この仮定に基づき、しばらく自身で実践してみようと思う。

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