お金について考えてみたら、将来的に「お金」は無くなるんじゃないの?ってことになりました。
お金って
ぶっちゃけ
ほしいよねー
だって
お金があれば
働かなくてもいいんだもん
お金があれば
奨学金に頼らなくていいんだもん
お金があれば
お金が無いことで
お父さんとお母さんが喧嘩したり
悩んだりしなくていいんだもん
お金は
あればあるほど嬉しい
多分、お金があり過ぎたら
最初のうちは、買いたいものを買うと思う
今まで手が届かなくて
我慢してきたことに
わくわくしながら使うと思う
けれどある程度、今までできなかったことを経験したら
社会の役に立つことに使うと思う
自分が十分満たされたら、誰かを幸せにしたいって欲求が湧いてくる
心に余裕が生まれたら、誰かに優しくなれる
それを、なんとなく知っているから
お金って
それ自体に価値はない、ただの紙切れや金属なんだよね
お金を発行している国やコミュニティが健全に成り立っているから
物々交換、報酬の代用としての役割を持つお金が価値を持つ
逆に言えば、国やコミュニティが健全でなくなったら、お金はただの紙切れや金属になる。そういう意味では会社が倒産したらただの紙切れになる株券とさほど大差ないんだよねー
そんなお金なんだけど
アナログからデジタル社会の発展・浸透によって
紙幣や硬貨はだんだん
パソコンやスマホ上での「数値」に置き換えられていっている
いわゆる電子決済、仮想通貨なんかがそう
これからどんどんお金は、いまの物理的な紙幣や硬貨から、電子データとしての数値へ置き換えられていく
そうなってくると
なんだか
「数値命」みたいな
「数値増やしたい」みたいな
「数値が減って悲しい」みたいな
ことになっていくんだと思う
お金を実際手にして「ありがたい」という感覚は
今もそうなんだけど
今以上に薄れていくんだろうなぁ
なんというか
紙幣を見て
そのクタクタ加減からこの紙幣の功労や人々の苦労なんかを少し感じたり
新しい紙幣を手にして嬉しかったり
というのが無くなっていくんだろうなぁ
なんか寂しいけどね
「数値」になると
なんかお金感が湧かない
将来的にどこかの国みたいに、お金がほとんど電子化され数値化されたら
それはもう「お金」と呼ばなくていいんじゃないかな
紙幣や硬貨のような
目で見てわかるお金ではないんだし
「お金」→「JPY」または略称「JP」みたいな
(JK、JD、JPみたいな)
「ちょっと さおり、お金貸してぇ」が
「ちょっと さおり、JP貸してぇ」みたいな
グローバル化が進んでいたら
「ちょっと さおり、JPなかったらUS(USD)貸してぇ」みたいな
もちろん貸し借りも、スマホから♪
だから、将来的にお金のことを、お金と呼んでいない社会になっていると、お金について考えると思うのでした。
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