医療はサービス業? 看護サービスとは? 医療業の概念や特徴について解説
※画像はスキマナースから
医療ってサービス業なんですか?
「サービス業」と聞くと、われわれ日本人は「接待」「接客」「おもてなし」という言葉を連想しますよね。
あるいは単に「サービス」と聞くと、値引きや無料、あるいはおまけといったイメージを持ってしまいがちです。
そういったイメージから、医療従事者自身も「サービスで仕事してるんじゃない!」と憤慨される方が、実は少なくありません。
医療は、産業構造上「サービス業」として位置づけられているものです。
では一体、そもそも「サービス」とは何なのでしょうか。
今回は、その業種がもつ概念や特徴について解説させていただきます。
💫この記事はこんな人が書いています💫
サービス業とは第三次産業である
産業構造上の位置づけ
そもそも「産業」とはどういった意味なのでしょうか。
「経済的に価値のある、財のある産物を提供することを"しごと(業)"とする」から産業と呼ばれています。
製品・サービスの生産・分配にかかわるすべての活動を意味していますから、産業のない国は存在しません。
難しいことを抜きにすると「お金を産み出すための仕事」みたいなニュアンスでも通じるかと思います。
そんな産業は世の中に沢山あるわけですが、日本には日本標準産業分類と言って、産業の種類を細かく分ける枠組みが存在します。
ここでその全てを解説するわけではありませんが、ざっくり紹介すると次のようになります。
第一次産業:自然環境に対する直接的な産業。農業、林業、漁業など。
第二次産業:第一次産業で採取・生産したものを加工する産業。建設業、製造業など。
第三次産業:一次、二次以外のサービス産業。日本経済の中核をなしている。
この「第三次産業」という枠組みの中にはきちんと「医療業」という分類が設定されています。
経済産業省の産業構造審議会、なんていうなんかエラーい人たちが集まる会議なんかでも、「サービス産業は第三次産業と同義」と示されています。
サービスの定義
広辞苑によると、サービスとは奉仕、給仕、接待などと記されておりますが、他には物質的生産過程以外で機能する労働とも記されています。
一般に「サービス業」と言われるものは、後者の意味合いがふさわしいでしょう。
農業や林業、漁業のように、何か形に残るものではない。
また、建設業や製造業のように、それらを加工するものでもない。
つまり形として残るものではないが、人々の生活を支え、必要性を満たしている価値ある活動のことをサービス業と呼びます。
教育、交通、小売りなど、形として残るものではないものの、そういったさまざまな活動が我々の生活を支えていることは確かです。
医療とて、お金を出して買うという意味では例外ではありません。
サービスを「形のない商品」として捉えるなら、サービスもまた品質管理が必要になります。
どのように顧客、従業員、組織における価値を高めるかという営利的価値を追求し、実現するためのサービス・マネジメントが重要になってきます。
我が国の「サービス」は奉仕か
しかしながら日本では、サービスという言葉がまだ「おまけ」や「態度のよさ」といった意味で受け入れられているのが一般的です。
サービス業という本質への理解が、他国と比べて非常に遅れていると言われています。
何せ、やれサービスだなんだと聞くと「お、割り引いてくれるのか?」「何かおまけを付けてくれるのか?」と、ついついおもてなしの押し付けをしてしまいがちです。
その認識でいるからこそ、医療業というサービスも「治療して当たり前」「医療は(奉仕という意味での)サービスだ」と揶揄されています。
一方で、ご存知の方もいるかもしれませんが、日本の医療費は年々増加傾向にあります。
暮らしが豊かになり、長生きできる高齢者が増えたことで、高齢に起因する様々な疾患に対する治療が必要になってきました。
だからこそ医療従事者の必要性が重要視されてきている現代ですが、上記のように医療サービスを利用する人の認識が「おもてなし」程度と捉えられてしまえば、その認識のズレから医療者の疲労は蓄積されるばかりです。
医療はサービス業の一つであるとともに、サービス業はきちんとした営利活動であり、決して割引やおまけを意味する言葉ではないということを、医療従事者として伝えたいです。
サービスとは:その5大特性
サービスは一般的に、次の5大特性を持つと言われています。
無形性
生産と消費の同時性
異質性
結果と過程の等価的重要性
消費者との共同生産
一つずつ、詳しくみていきましょう。
①無形性
サービスには形がない、ということは大きな特徴です。
人々はみな、スーパーなんかで「モノとしての商品」を求めて買い物に来ます。
モノとして存在するということは、購入する前にその商品を手に取り、ある程度の品質を目で見て、触って確認することができますね。
ですが、サービスにお金を払うということは「形がない商品にお金を払う」ことと同じです。
つまりサービスという商品は、購入する前に目で見て、触って品質を確かめたりすることができません。
モノとして購入する商品は、購入前にある程度の品定め(評価)ができます。
サービスとしての商品は、そのサービスを経験した後でないと評価が難しいという性質を持っています。
②生産と消費の同時性
お金を支払って商品を買ったり、その商品を使ったり、あるいはサービスを受けたりする人のことを消費者と言います。
一方、商品やサービスを生み出す人のことを生産者と言います。
例えば時計について考えてみます。
時計の生産者は、時計を加工・製造する会社です。
色々なところから集めたパーツを、工場で組み立てますから、時計は工場で生産されていると言えます。
そして時計が売られている場所はお店ですから、消費者はその時計をお店で買うことになろうと思います。
時計は言うまでもなく、壁や机の上に置いたり、手に巻いて時刻を確認するために使います。
つまり時計は建物の中や自分の手に巻いて使う(消費される)と言えるでしょう。
一方、サービスは形がなく、もちろん製造するための工場のような場所もありません。
サービスの中身は「体験する」といった形でしか、その価値を認識することはできません。
つまり「サービスを提供すること」と「サービスを体験すること」は同時に発生する、という特徴を持っています。
③異質性
先ほどの時計を例に挙げると、時計を作るためにはパーツ一つ一つを細やかに製造し、またそれを何重にも点検する人や機械があります。
それらは全て、ある一定の品質を担保するためのマニュアルにそって作られていますから、時計の品質は均質に管理されていると言えます。
一方、形がなく、生産と消費が同時に発生するサービスは、いかにマニュアルが精巧に作成されていたとしても常に均質に管理されているとは言えません。
なぜなら、サービス提供者の知識や経験、サービスを提供する場所、サービスを体験する消費者の受け取り方や体調等の状態によって、サービスの質は変動してしまうからです。
すなわちサービスは、標準化や品質管理が困難であり、日々の教育や訓練が欠かせません。
④結果と過程の等価的重要性
時計を製造する過程は、多くの人にとって重要でしょうか。
ほとんどの人は、時計というものは単に現在時刻を確認できれば、それで満足を得られるはずです。
では食事を提供するレストランではどうでしょうか。
空腹を満たすという結果を得たいだけなら、どのレストランで何を食べても、満足感は変わらないはずです。
しかし、レストランは単に空腹を満たすためだけに食事を提供しているわけではありません。
消費者が食事を楽しめるよう、盛り付け方やにおい、栄養バランス、食器、あるいは店の雰囲気まで、様々な工夫がなされているはずです。
サービスは形のない活動であり、消費者はその活動を「体験」することで消費するわけですから、サービスで得られる体験の過程は、結果と同じぐらい重要であると言えます。
⑤消費者との共同生産
サービスの生産者は言わずもがな、サービスの提供者です。
しかし、ただ一方的にサービスが提供されるというものではありません。
サービスという活動が、消費者にとってより良い効果をもたらすためには、消費者も積極的に参加し、共同して生産するということが大切になってきます。
例えばレストランで振舞われる食事は、レストランがただ一方的に食事を提供していると言えるでしょうか。
レストランを訪れたお客様は、きっとそのレストランに何か魅力的なものがあって、自らの意思で訪れるはずです。
しかも、沢山のメニューの中から、自分の意思で食べたいものを選びます。
また、いざ出された食事を実際に食べる・食べないという選択も、ある意味自由なのです(もちろん、いくらお金を払っているとは言え、食べずに帰ってはいけません)。
さらに言えば、その食事が「おいしい」と感じるかどうかも、お客様次第です。
確かに、サービスの価値を生み出す主体的な存在は、提供者自身です。
ですがその提供は一方的なものではなく、サービスを受ける方も共にその差ビスに参加し、共同して生産していくという性質があります。
看護サービスにおける特性
以上の特性を看護サービスになぞらえると、次のようになります。
看護サービスにおける無形性
当然ながら、注射をする、血圧を測る、身体を拭く、といったサービスは形がありません。
モノのようにストックすることもできません。
看護サービスにおける生産と消費の同時性
看護サービスを提供することと、患者さまが看護サービスを体験することは、その場で同時に発生します。
ですからあらかじめ、提供される看護の品質を点検するということはできません。
たとえ新卒の看護師が高度な技術訓練を受けていたとしても、それが患者さまに実施される看護サービスの質を保証することにはならないのです。
看護サービスにおける異質性
看護サービスの熟練には、数多くの経験が必要になってきます。
だからといって、未熟な看護師にまったく経験を積ませないでいれば、その看護師のサービスの質はいつまでたっても向上しません。
提供する看護師によってサービスの質が異なるのは事実ですから、看護サービスの品質管理がいかに難しいかが分かると思います。
看護サービスにおける結果と過程の重要性
医師の診療の第一目標は、病気を治すことです。
そして看護師は、病気を治すための援助や、病気で困っている方の日常生活のお世話をします。
看護サービスとは、まさに患者さまが「病気を患っている状態から、回復へ向かう」といった回復過程に貢献するサービスです。
看護サービスは「病気が治った」という結果を提供するまでの間に、回復過程の中で様々な処置を施す必要があります。
まさに、結果と同じように過程が重要であることが裏付けられています。
看護サービスは患者さまとの共同が大切
患者さまが病院を訪れ、その病院で医療を受けたいという願望をもって、初めて我々医療従事者は医療を提供できるのです。
さらに、患者さまが積極的に自分の症状について情報提供していただき、自身の治療のためにするべきことを協力していただく必要があります。
いかに良質な看護サービスを提供しようとも、それを受け取る意思がなければ、患者さまが抱える問題は解決しません。
看護サービスは、患者さまのもつ価値観や体験に決定的な影響を与えるため、患者さま自らもサービスに参加していただく必要があるのです。
まとめ:看護サービスはビジネスである
serviceは決して「見返りを求めない労働」というわけではありません。
看護サービスもとい医療サービスは、形のない商品でありながら、確かに生産され、消費されていき、その過程も結果も、患者さまに重要な影響を与えます。
医療がビジネスであり、商品であるのなら、「あの看護師にみてもらうのはイヤです」と言われないよう、看護サービスの品質管理を常に良質な状態で管理する必要があります。
そう言われても簡単には割り切れない側面もあるかもしれませんけどね!
看護師って、辛ぇわ!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?