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my body NOT my choice

着ぐるみを着て生きている。

着ぐるみは、身の回りのヒトと同じ形をしている。
ヒトにはオスとメスがあり、私が着ているのはメス型のようだ。そのことにとくに感情はない。ただ、着ぐるみだ、と思う。オス型の着ぐるみを着ても同じように思うだろう。じゃあ、オス型とメス型を混ぜたような着ぐるみなら?オスメスの特徴を全部とった着ぐるみなら?

着ぐるみは着ぐるみだろう。

脱ぎ捨てることはできないようだ。ヒトでなくなってしまうものな。面倒だけれど、私という個体の寿命が尽きるまでに、私というモノの形は得られないような気がしている。着ぐるみを着て生きている。面倒なことに、その上服を、着なければいけない。髪も生えてくる。ああめんどうくさい。

こんなものにコストかけたくない。

着ぐるみに着せる服なので、もはやコスプレか梱包の勢いである。トルソーと同じように着ていればとやかく言われることもない。動きづらいとか汚れやすいとか扱いが難しいとかは論外。アイロンなど冗談ではない。洗濯乾燥機に放り込めばすむ、安価なのを数パターン買って、シーズンの終わりに着つぶして捨てる。
ツイッターにちょろっと書いたけれど、「男性に着せるから越境して見えるフェミニンな服」「女性に着せるから越境して見えるマニッシュな服」「体型の出ない筒みたいな服」辺りで、ランウェイの規範の打破はここのところずっと停滞しているように見える。どんな身体性の人間が着ても「ユニセックス」が成立する日は遠そうである。見てみたいなー、「ユニセックス」。

自分の身体性まわりをなんとなく言葉にするとこんな感じになる。
「私の体は私のもの」って、すげえな。
とりあえず、私にあるのは着ぐるみなので、とてもそんな呪いのようなものは唱えられない。

誰のもんでもねえなと思うときはある。

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