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半年間、指導者をしました。そして、反省しました。【厚木再生工場#まえがき】

はじめに

大学のサッカー部にCチーム(A、B、Cと数えるので上から3番目のチーム)ができるというので、指導者をやらせてほしいと立候補しました。Cチーム自体は、新入部員の1年制を主体としたチームで始まりました。そこに数名の上級生が合流するといった構成でした。

Cチームとしての活動が始まった6月の中旬には、指導者と兼任したことで疲労感が見えるという理由で、カテゴリーを私自身も落としてCチームで過ごすこととなりました。Cチームで活動を始めて間もなく、紅白戦の最中に前十字靭帯を損傷し一線を離れ、指導者と過ごす時期が長い一年でした。

もちろん、数分とはいえそれ以前のⅠリーグ(大学サッカーのBチームリーグ)に出場していたので、若干の口惜しさもあるのですが、指導者としての収穫も大きく、ひとことでは割り切れないシーズンとなりました。6ヶ月近くなった指導者としての反省と総括を備忘録として書き留めようという次第です。

そして、ゆくゆくは私自身のゲームモデルを構築する際のたたき台にしようという副次的な思惑もあります。ご覧いただいた方からコメント等いただければ、参考にしてさらに成長する土台にしていきたいと思うばかりです。

それでは、早速、時計の針を2021年の6月に戻すところからスタートしましょう。

ほんの少しだけ試合に出ました。


当初の構想と2つのミッション

私がCチームの指導者を行っていくにあたっては2つのミッションが与えられていました。これは私が設定したものではなく、チームとしてCチームに対する要求として行われたものでした。

(1)指導部の2名を今後のカテゴリー運営を一任できるように育てる
(2)  Cチームの選手を今後、TOPチームあるいはBチームで出場できる実力を獲得させる

指導部というのは部活内に設置されているサッカーの技術指導をメインとする活動のことで、選手ではなく指導者を目指して入部した2名のスタッフがいました。両名とも現場での指導経験は少なく、カテゴリー運営には不安があったので、将来的にはチームをコントロールし計画的にトレーニングを実施できるようにする必要がありました。

そこで高校時代(若干の)指導経験がある私が、ふたりの指導者としての成長のサポート役(実際には口やかましく文句を垂れただけですが)をやらせてほしいと頼みました。シーズンを終えて、彼らはトレーニングを設計し、ゲームに臨むまでのマネジメントの能力が著しく向上しました。彼らの理解能力は高く、少しの刺激を与えるとそれ以上の反応を示して、様々な方法論を私から獲得し、彼ら自身で発展させていました。ふたりとも、十分にどのカテゴリーでも任せられる指導者に成長しました。本家本元の私とは大違いです。

さて、指導部に話がそれましたが、本筋に戻すとCチームへの指導を始めるにあたって、Cチームの選手の実力を伸ばすという目的のために目標を設定しました。それは、

「最終学年になったときに、関東リーグで試合に出場できる選手を育てる」

というものです。1年生主体のチームとはいえ、上級生も数名いましたが、その選手たちが若干捨象されていますが、育成カテゴリーとしての使命は、この一点に尽きるという思いからこのコンセプトを中心に据えました。そのために、「良い習慣を獲得する」ということをトレーニングの基礎に据えました。

そして、ゲームモデルは、「強烈なプレッシングから、ダイナミックなショートカウンター」をキーコンセプトに、「カウンターを活かすためのボールリサイクル」をサブファクターとして設計しました。

「強烈なプレスはね…強烈じゃなくちゃいけないんだ」


半年間の反省と総括

シーズン当初の計画をお話ししましたが、結果としてはどうだったのでしょうか。

まず、私自身に2つ課題が浮かび上がりました。
(1)あまりにも干渉しすぎる(オーバー・ティーチング)
(2)選手のコンディショニング管理(ケガ人の増加)

ひとつ目の課題に関して言うと、選手の自主性や指導部の2名の主体性を信頼しきって任せることができずに、干渉してしまうことがたびたびありました。気になる点があると言わずにはいられなくなってしまっていたのです。これは組織を属人的にしてしまうと同時に、選手やスタッフのアイデアが生まれることを阻害するものでしかありませんでした。信じて待つ勇気がなかったことは非常に反省すべきでした。

ふたつ目の課題に関しても、選手自身のコンディション管理に還元してはいけない、看過できない問題がありました。選手を鍛えるためのハードワークで、選手が怪我をしてしまえば本末転倒ですので絶対に避けなくてはならないことでした。さらに、気になる点としては、試合での負傷が多かった点も見過ごせません。このことが意味するのは、トレーニングの強度が試合より低いため、強度が高くなった試合でケガをしてしまうということだからです。加えて言うならば、怪我を私自身がしたことも大きな問題です。「ケガしないために、コンディション管理しろよ」という言葉に何ら説得力がありません。

以上、二つの問題点を述べましたが、もちろん悪いことばかりではありませんでした。選手たちは私の遥か想像を超えて成長し、素晴らしい実力を身につけました。(もちろん満足できるものではありませんし、彼らは成長の途上にすぎませんが)

まず、選手たちはプレー以前に主体性が増して、自分たちで問題解決を図るようになりました。ピッチ上で起きる事象に対して受動的だった選手たちは、事象を観察して協力して何かしらの対応を取るべく、コミュニケーションを図るようになりました。ゲームを「つくる」ようになってきたことはとても喜ばしいことです。ただ、もう少しゲームを「こわす」ことも覚えてほしいですが…

プレー面でも当初設定した目標の通り、プレスワークに関しては必要最低限のシステムを抑えることができる選手が増えました。試合においても、何度か前線でのプレッシングからミドルサードでボールを奪取し、得点を奪うケースをつくり出すことができました。

しかし、当初設定した目標の通りの連動性のあるショートカウンターを起動させるという事象に関しては満足のいく成果は出ませんでした。これは守備局面から攻撃局面の連続性がシームレスなものであることを提示できなかった指導者の原因が大きいと思います。つまり、私が悪いのですが、奪い方がいいシーンを多く見られただけに、ゴールを奪うということの難しさを痛感させられる出来事でもありました。

ボールをリサイクルさせて前進する部分については私自身が驚くほど選手たちはポテンシャルを発揮してくれましたし、私自身の指導法の上達に自分で興奮することも多かった局面でした。

選手たちが私の想像を超えるようなクリエイティビティを発揮してくれましたが、「個」の能力と「システム」としての能力を育て上げる必要があるなかで、少し「システム」優位になりすぎたきらいがありました。当初は選手に自信を獲得させるために「システム」優位だったものが、そのまま続いてしまったことが原因でした。ややもすると、選手たちは必要なプレーではなく、私が求める事象を再現することに注力しかねない危険性があったので非常に反省すべき点でした。

マーカー置き職人

厚木再生工場建設計画

以上、大雑把に今シーズンのCチームを指導した半年間を振り返ってみましたが、ここにある成果のほとんどは選手たちが意欲的に取り組んでくれた成果に他なりません。指導者が及ぼせる影響など微々たるものにすぎません。

しかし、そんな微細な部分ではありますが、どのような枠組みで今後とも取り組んでいくべきかは、さらなる検討が必要であることは間違いないでしょう。

そこで、指導者あるいは組織運営のコンセプトを「哲学」⇒「戦略」⇒「戦術」⇒「作戦」の4段階に分けて考察してみたいと思います。この4段階は、「チーム・モデル」⇒「チーム・プラン」⇒「ゲーム・モデル」⇒「ゲーム・プラン」と呼び変えることもできるでしょう。


4段階の図式

今回の規格は、野球界の名将故・野村克也監督の「野村再生工場」にちなみ「厚木再生工場」と名付けることにしました。といっても野村監督のように、他球団で戦力外通告を受けた選手を再び活躍できるように復活させたように、私が選手を育てることができるということではありません。今年一年を振り返り、私自身が今までのボクを洗い流し、将来的により成長した姿生まれ変わって行きたいという願いからこの名前にしました。

それでは、冗長な文章になりましたが、これからもうしばしのあいだ、ぼくのフットボール論にお付き合いください。

では、また次回。



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