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おとんと大連へ:祖父母の足跡をたどって。

2016年4/12~15大連。

なぜか、今年の誕生日はおじいちゃんおばあちゃんがいた大連にもう一度行きたいと思って、おとんにこの旨話すと乗ってくれた。前回の大連はツアーで参加したけど、残念ながらほとんど記憶にない。干支一周+α前。大連より、水師営会見所で写真最前列左のロシアの軍人さんが実は既に亡くなって映ってる。とのガイドさんの説明にかなりの衝撃があったことくらいしか覚えてない…。
今回はエクスペディアで航空券+宿を取った。大連、近いな…久々のANAで。ただ、近い路線だと最新機器のヒコーキではないとのことで、映画が途中で何度も最初に戻るのには辟易した。

空港から市内まで地下鉄が出てるから、ラクチンで行けた。西安は市内まで苦労したが(苦笑)。中山広場で降りて、歩道がすっかり駐車場として機能してしまってる道を歩いて宿に着いた。デポジットの元が必要とのことで、すぐ近くの中国銀行を教えてもらった。まだまだ旅の序盤なのに、着いてすぐに軽く銀行の窓口担当口論になるとは…。大連は日本人が多いと聞いてたから、この想定はしてなかった。

ビザが無いから両替できないだと。はぁぁぁぁ?「去年の西安の中国銀行ではそんなこと言われないですぐに両替してもらえたし、その前の上海も問題なかったんだけど?」とエーゴで伝えたら、「法律が変わった」と嘘つきだした。西安は去年の10月なんだけど?

銀行職員の中で少しエーゴ分かる女の子に、「アリエナイから!大体日本人が中国に来るのにビザ必要ないし。なんなのこの対応?」とかーなり喚いた(苦笑)。自分達のミスに気が付いたのか、問題の窓口担当から別の男性に代わり、丁重にお辞儀をされ、ここまで厳かな両替は初めて。ってくらいの対応だった。頼むからイラナイエネルギー使わせないでくれ…。

大連。目的がないと来ても楽しくない街。おとんがおじいちゃんおばあちゃんがいた当時の地図のコピーを持ってきてたから、それをたどることにした。おじいちゃんが働いてた満鉄の事務所?の建物はまだ健在だった。おばあちゃんが通ってた女学校はたぶんここら辺だろう。という感じ。中山広場に戻り、おばあちゃんが話してくれた噂の大和ホテル。週末にサンデーブランチしてたんだって。そのレストランの名前はグリル。

前回のツアーでは中の見学はしてなかったから、見てみることにした。まずはバンケットルーム。要人達がここでパーティーしてたんだろうか。1階の一室は溥儀さんが宿泊した部屋として公開されてた。2階へ。ここは写真NG。窓から下の階のレストランが見えた。高級ホテルのキラキラ感。2階の一室は資料展示室で、当時使われてたカトラリーの展示があったり、写真の展示があった。

これは!おばあちゃんが少女時代に楽しい時間を一家揃って何度も通った。と話してたグリルの写真があった!その頃のおばあちゃんに会いに来た気がした。おばあちゃんが見せてくれた写真は、ロビーでの一族集合写真だけで、グリルの写真はないと言ってたから、これは見られて良かった。

おじいちゃんは亡くなって今年で30年だから、主におばあちゃんの足跡をたどる感じだった。星海海水浴場に行ってみた。おばあちゃんはこの海での遠泳が楽しかったと話してた。「前回のツアーで来たよな?」とおとん。「マジ記憶にないんッスけど…」「本当かよ?」のやりとり。同様のやりとりはテレビ塔でもあった。記憶に無いって、旅行してないも同然じゃない?

海水浴場への路面電車は新型車両で2両編成。でも本数が少ないから、帰りはバスに乗ってみたり。大連駅で降りて迷路みたいな地下商店街で、我々は1足20円の靴下を真剣に選んで何足か買った(笑)。結果、今回の旅の買い物はこの靴下だけだったという…。

大連港に行っては、引き上げ時を想像してみたり。終戦から2年ほどして引き揚げたとのこと。おとんとしばらく、各々思いを馳せてた。当時の混乱たるやいかほどだったのだろう?当時のおばあちゃんは終戦後すぐに生まれたおじさんを抱えて、最低限の荷物で引き揚げて来たって言ってた。

おばあちゃんとおじさんが生まれた病院も行ってみた。物凄い立派な建物。満鉄の収益で建てたって。1階には病院の歴史年表と展示があった。

ロシア人街にも行ってみた。ここは保存状況が悪過ぎて、廃虚となってる建物があった。おとん曰く、「前回ツアーで来た時に早朝散歩がてらここに来た時はこんなに酷くなかった」らしい。

大連、温泉行きたい!とおとんにガイドブック見せながら言ったら、「熊岳城にしよう」と指定が入った。なんでも、当時満鉄の社宅があって、若かりしおじいちゃんおばあちゃんが住んでいた所と言う。残念ながらガイドブックには、温泉の紹介がチロッと載ってる程度で、熊岳城周辺の地図なんて載ってなかった。「ま、とりあえず翌日行ってみよう」と翌朝駅で切符買うのに時間かかって列車に乗れないと困るから、今のうちに切符買いに行こうと、大連駅に向かった。

中国語で全てのやり取りの自信なんてとてもないから、筆談作戦(西安で絶対中国語話せるようになりたい!ってあんなに強く思ったのに…)で。予め、行き先と「明日朝出たい。往復で」と紙に書いて窓口のシャオジエに渡したら、時間を選べた。途中シャオジエの中国語の聞き取りに苦労したが、早目に出て、向こうでゆっくりして、夕方頃に戻るので切符買えた!なんとかひと仕事やり遂げた。自分は、人生初で中国の鉄道駅で切符を何とか買えたことに感動してた(笑)。おとんは疲れたらしく、早く宿に戻りたいとのことで、この感動を分かち合えなかった。

翌日は自分の誕生日。年齢と一緒の通りで朝イチの写真(笑)。路面電車で駅に向かい、セキュリティチェックを受けて、待合室へ。空港みたいにきれいだった。そして搭乗。発車時刻に間に合うの?というほどの人数が一斉に改札へ。

前回のツアー。思い出した。大連駅が工事中でホームに降りられなくて、線路内歩いたんだ。

車内放送がわからないから、停車駅を数えながらの乗車。きっと次だろう。と思って、念のため向かい合わせの席のおばさんに切符見せたら、次で合ってると教えてくれた。「熊岳城にはおじいちゃんおばあちゃんが満鉄時代に住んでたんです」と伝えたら、おばさんから「おじいちゃんの足跡をたどってるのね?」と言われた。筆談も交えながらのやり取り。降りる前におばさんと旦那さんの三人で写真撮った。謝謝!

熊岳城。降りたは良いが、どこに行きゃ良いのかさっぱりわからず。

おとんが見つけたトゥクトゥクのおじさんに温泉に行きたいと伝えたら、連れてってくれるとのこと。ここから何分かかるのか聞いたら、10分くらい。いくらで行ってくれるの?10元。決まり。

おじさんが休憩もできるし云々言ってくれたが、恐らく彼はまさか父娘と思ってない様だったから、「あのォ、この人は私の父です」と伝えると、真剣に「それじゃ一緒に入れないな…」と言った。どんな温泉施設かわからなかったから、「別々で良いです」と言ったら、「それじゃお金がもったいないから交互に入れば良いじゃないか」ということに収まった。

トゥクトゥクでの自分とのやり取りを、温泉施設の受付のシャオジエ達に伝えてくれたおじさん。シャオジエが施設と費用の説明してくれたけど、一つ筆談でもどうしてもわからない事にブチ当たった。すると、日本語がわかる誰かにわざわざ電話して、その人がシャオジエの説明を訳してくれた。全てがクリアになり、部屋に行く前におじさんに帰りの切符を見せたら、また戻って来てくれると言ってくれた。

温泉♪で、通された部屋の湯船のデカさにおとんと驚いた!デッカ!!秘湯の露天風呂よりデカくね?

先におとんが入った。その間ベッドでゴロゴロ~。

次、自分の番。温泉。入ってすぐは、ぬる目じゃん?と思ったら、大間違い。温泉をナメちゃいかん。温まり方は温泉だから早い早い。すぐに顔汗も出てきたし。ここは来て良かった。本当に。

入浴後は、施設の食堂で昼ご飯。おとんは辛いのを食べられないから、選ぶのに苦労した。

おじさんが迎えに来てくれるまで周辺の散策。特になんもない…。

熊岳城。おとんと自分は温泉に満足した。そして、温泉施設は真新しかった。我々の見解では、ここは近い将来温泉リゾートになるだろうと。人なんて歩いてない。新しい建物がたくさん建ち始めてる。温泉で賑わって欲しいと思う。

約束の時間におじさんが来てくれた。「温泉はどうだった?」「とても良かったです。ありがとうございます!」と話しながら、駅に着いた。おじさん、高橋 克己に似てる…。トゥクトゥク降りて、おじさんと握手して写真撮った。おじさんは受付のシャオジエ達に自分達の事説明してくれたりと親切だった。おじさんを見送った。そして見てしまった!トゥクトゥクの後ろに、連れてってくれた温泉施設の広告が載ってるのを(爆笑)!!ぼったくられた訳ではないから(入浴だけで2人で180元。値切る前の楊貴妃んとこより安いよ?)、良いんだけど、まさかそんなオチとは!おとんとウケた。で、おとんも高橋 克己だと思って、親しめたと言ってた。

年一回のおとんとの旅は終了。ノープランでぶらぶらけっこう歩いた旅だった。大連。恐らくこれが最後だと思う。少しでもおじいちゃんおばあちゃんの足跡を辿れたかな…。

帰国後、おとんにツアーの写真を見せてもらった。確かに、今回行った所で自分写真映ってる…。記憶にないのに写真に映ってるって不思議な気分だった。


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