友達と過ごす時の自分。今こうして文を連ねている自分。どちらが本質で偽りなのか。時々そう思う。 私は私に様々な面があることを自覚している。 例えば私はとあるアーティストが好きなので、ライブへ行くことがある。その時、曲を聴いて感動し、泣いている人を何度も見たことがある。私ももちろん愛があるつもりだ。楽曲への思いも。なのに心は冷めている。私はライブを心の底から楽しんでいないのでは?笑っている私は好きなふりをしているのでは?そう感じてしまう。それがとても悲しい。 他にも私は負の感情
遅いですが自己紹介をしようと思います。 ・現在、学生をしています。 一応受験生。 一番嫌な時ですね。直前期ですし。 こんな時にnoteに現を抜かしている場合では無いですよね。 重々承知しています。現実逃避ですよ。笑 そんなわけで文章が拙いと感じたり、面白みがないと感じることもあるとは思いますがそこは多めに見ていただけると助かります。 ・このnoteを始めたきっかけについては尊敬しているアーティストの方がnoteに投稿をしていて。 私は文字を書くのは好きですが神経質な所があ
私は疑問に思う。何故テレビや映画で禁忌とされる死が起こるのか。 なぜなら、少なからずテレビや映画等で死について身近になり、影響を受ける人もいるだろう。ホラー映画やスプラッター映画に影響を受け再現しようとする人もいるかもしれない。 これは良くないことだろう。 何故それらで扱われるのか私なりに考えてみた。死によって抱えたトラウマや悲痛な記憶を乗り越える、これがよく美談として扱われている。確かにそのストーリーは感動する。死は生きていたら避けられないものであるから、実際にあった出来