567とSNS

コロナがやってきた時、舐めてました。
こんな事になろうとは。
志村さんが亡くなったときいて、他人の死であんなに悲しかったことはなかった。コロナまじこわ!ってなった。志村さんがたまにテレビにうつる度泣いてしまう。なにも知らないのに。その次は三浦春馬さん。なにも知らないのに。

上京してからあらゆるバイトはしてきたし全財産257¥なんてのも経験あるので、大丈夫かと思っていた。就職したり辞めてみたりバイトしてみたり放浪したりリゾートバイトで島に行ったり山篭りもしたり、世の中になにか仕事がある限りはなんでもやってやる!自分はきっと何とかするだろうと思ってた。が、求人すらなくなるとは思わなかった。
安定すると不安になる時がある。飽きる時が来る。
急に全部をなくしてしまいたいときがある。
行きつけのお店のひとに覚えられると嫌になる時がある。
お店を変える。ひとと仲良くなりすぎるとサッとどこかへ消えたくなる時がある。
ずっと一期一会でいたい。あの時のあの気持ちを、してもらったこと、優しくされたこと、忘れてしまう自分が悲しい。…いままでのこんな自分勝手な行動も贅沢だったのだなと思い知る。

フリーランス3ヶ月目でこれからって時に休業を余儀なくされ、本業への疑問などがでてきた。慌てて日払いバイトを探しても求人がなくって、OK余裕、未来は俺らの手の中ていうブルハのラップを脳内再生して乗り切っていた。なーにがおうち時間だっ!なにが丁寧な暮らしだっ!ファッションにするな!こちとらそんな余裕はない!ばかっ!などとハッシュタグおうち時間をみるたびに毒づいていた。これは、、コロナ、、陰キャ要素強化してかないと、ヤラれるなと思った。貯金ない私が悪いのだけど。
幸い、倉庫仕事がみつかり、本業はじまってもまたきてよ!をきちんと実行してくださり、よんでくださる。いまだにたまに、厚意に甘えて都合よくつかわせてもらっている。倉庫の人々、仕事内容も本業とは違った面白さがあり、本業との気分転換にもなっているな。

フリーランス給付金がでる、とわかって、お国がなんとかしてくれるなんて微塵も思ってなかったからか、驚いた。素直にありがてえありがてえ、となった。
そこで、安倍さんがどうたらとかは言えまい…。貰えてない人は、そりゃあ言うだろうよね…。はあ。
給付金も、前代未聞のことだから、色々問題があり、2週間ででる!と銘打っていたものがでなくてホムペをみても、コルセンに電話しても進捗状況がわからず、Twitterでしかわからなくてあの時だけ別垢でTwitterしたんだった。Twitter内もみんな自営や経営者さんなんだろうけど、みんなで励ましあってて面白かった。お金が入った人にはおめでとうを言いあった。愚痴だらけの人、アジテーターの人、こうしたらいいとアドバイスをくれる人、ユーモアで盛り上げる人、様々な人がいた。
盛り上がってる時はおもしろかったが、やはり長くなってくると、内輪ノリみたいのとか、他の人のツイートを挙げて、○○はメンヘラ、や、給付金乞食は経営者としてダメ、や、安倍さんどーのこーのいう右の方などがでてきてしまい、そこで急に興醒め。ネットも段階があるよなあと。それも含め興味深い。自分は「経済回せ!仕事がないと困る」って気持ちもわかるし「怖い、死ぬよ、マスクしてよ、外出しないでよ」みたいなのも、わかるし、コロナかかりたくないけど、飲食も水商売も知人がいるのでなにもいえない。経済は繋がっているから、いづれ自分の仕事も影響が出る。でも、どっちのこともわかるので、黙るしかなくなる…いまだにコロナについては宙ぶらりんでどうも消化出来ていない。自分の考えか他人の考えなのか、まだ見極められてないので考え続けている。
コロナかかりたくないから、マスクと手洗いはしてるけど、電車も乗るし仕事もしてるし、外でご飯も食べている。結婚式といえど県外もいった。謎に罪悪感をかかえてまで。大好きなライブやフェスやクラブは我慢してしまう。館がつぶれていく。アーティストへの応援はお金を落とす、しかないのだけど。配信ライブが増えたことは嬉しい。お家にいながらにしてできるサービスがたくさん出たこともうれしい。
コロナ禍で嬉しいことも増えてはいる。
自分は、お金のつかいかたや時間の使い方、生活や仕事のしかたもかわった。
全てが悪いように見えても全てが悪いってことはなく、どこかしらいい所もある。きっと何事にもということに気づいた。

自分は件の原発の県出身だったのでその頃もTwitterをしていたが、フォローフォロワー関係の(自由に発信したいし知らない人の方がおもしろいから知り合いは一人もいれてない)いわゆるウェーイ!みたいな人々が急に、政治に言及したり、選挙に行こうって言い出したり、私の県の色々をいってきたり、優しくしてくれたりした。放射能おれは怖くないぜ!自慢風な輩もいた。
…人間の多面体を面白く思う。
連絡取れなかった知人もTwitterで見つけることが出来た。家族を逃さないなんてクレイジーなのか?!って知らない外国人からいわれたりした。
一応、家族には、逃げてくる?と聞いたら父親に「そんなすぐにできるわけねーべ!そんなよそで、仕事もすぐにみつからねーわ!」と一蹴された…山奥暮らしなので家族は不便慣れしてるし、サバイバル精神強いから、そういう点で信頼している。呑気に生きてた。ニュースもほんとに1部だよなあ。
特別、ふるさとに愛着もなかったが、震災を機に良いところを他の人がみつけてくれて、へーって思った。ここでも、全て悪いように見えてもなんかしらひとつは良いこと?光みたいなものがあるのだなと感じた。

逃げてきた友人は、元々あそこが嫌だとかなんらか出たい理由があり、震災をきっかけに、出たのじゃないかな。勿論放射能も怖いが。

SNSですきなアーティストつながりで知り合った人とクラブへ行ったりした。いまだに細々と付き合いがある。
SNSは、おもしろいこともあれば、嫌なこともある。
そして、放射能の色々なことを言われたり、これは…!とか色々思うことがあれど、炎上するのも本当に嫌で、Twitterがつまんなくなって、呟きもぱったりやめたんだったな。電車遅延と地震と雪情報見るだけになってしまった。すぐに罰するみたいなのもあの頃から強まった感じ。フリンの炎上報道もすごかったなあ。
みんなそんな聖人君子で生きてる?正しいって何?普通は、ってなに?知らない人をバカにするの何?てぐるぐるした。
そういうことがあるから、ネットではなるべく政治のなにかには言及したりしたくなかったんだけど…(それにまつわる色々が嫌だから)でも、言っていけることは言いたい。ひとは嫌でも…逃げていても政治や国に関わらなきゃな時が、考えなきゃになる時が、1度はあるのだなあと思う。生きてる限り。
友人にもこういう話題はできる人とできない人がいる。なにが分けるんだろうな?

何書いたって何言ったっていいじゃん、フォローしてる、こちらは、ひくほどのあなたの狂気(それ以外でもいいけど)が見たいんですよ。あなたの頭の中見せてくれっ!見せてくださいよっ!て思う時が沢山沢山ある。そうしてそうなひとのみると、心の中でニンマリして、やれやれもっとやれ、って思う。正直さが眩しく思ったりする。のですが、なかなか難しい世の中ですね。
万人を傷つけない優しいことってなかなか難しいですね。
いいね!を押さなくても、心の底からいいね!て思ってる時もある。
沈黙をしている人や…小さな声のひとのなにかを拾えたらいいなあと思う。
検閲されるとわかって書いた手紙の中の真実は何パーセントだろう?そのひとが本当に書きたかった、言いたかったことはなんだろう?そんな事を考え続けている。

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