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あの時の「ロッシー」たちは今何を思っているのだろう

「ロシア」に対して思うことがある人は今たくさんいると思うけれど、ひとつの事実として書いておこうと思う。
私は富山県の旧新湊市(現射水市)で生まれ育ったのだけど、富山県はロシアと仲が良かったりする。県の職員がロシア(とりわけウラジオストクが
多い)に視察に行ったり、あるいは向こうから視察に来たり、港がある関係もありロシアとの貿易はそこそこ盛んで人、物ともに交流があるという関係性だ。

それは、当時子どもだった私はあまり実感としてはなかったけれど、それでも富山のローカルのテレビ天気予報では県内や近県の天気、主要都市東京、大阪、名古屋の天気のあと「環日本海地域」というくくりでウラジオストクの天気も(あと、ソウルとか大連も)普通に放送していたし、大きめの港がある射水市内には、貿易船の乗組員らしきロシア人が普通に歩いていた。私の仲間うちでは、特に差別する意図もなくあだ名として町中に歩いているロシア人のことを「ロッシー」と呼んでいた。

ロッシーたちはそこら辺の商店とかチェーン店に普通に買い物に来る。怖いもの知らずのおばちゃん店員は、ロッシー相手だろうが日本語で「ここに出ているだけ」と大量買いするロッシーたちと渡り合っていた(その「おばちゃん店員」には、うちの母親や友達のお母さんを含む)。
町中の案内看板はロッシーたち用にロシア語が併記されていたりする。
少し熟練のロッシーだと「スみませン」と、あいさつぐらいの日本語はカタコトで話せたりする。
ロッシーたちはデカい。そして声もデカいので、小学生的にはちょっと怖いところもあったけど、特にロッシーたちが何か悪さをするわけでもなく、普通にそこら辺の人の一部としてロッシーも混じっている。そんな感じだった。普通に日常に溶け込んでいた。

今、こんなことになってしまっている。あのロッシーたちは何も悪くない。あのロッシーたちは今何を思っているのだろう。

威勢のいいことを言うやつらは、「日常」を生きる人間にとっては何の役にも立たない。それはこれまでの世界の歴史が証明している。これもひとつの事実として書いておこうと思う。

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