『真夏のシンデレラ』第六話
予想はしてました。予告の時点で条件整いすぎてて、あとこれ実行コマンドたたくだけじゃんって感じだったから。
なんですか? その時のなっつん、かわいすぎんですけど!!! もうかわいすぎて、お台場に花火打ち上げるのに特効会社手配しようかと思うレベル(私、前々前々職ぐらいでやったことあるんすよ、特効スタッフ)。もうね、なんですか? あのシーンは! 萌えて悶えてのたうち回って、その動きで地面に穴掘って大江戸線くらいの地下鉄なら掘削できますよ。マジで。
こんな漫画みたいな展開、現実にそうそうないと思うんですけど、なんか、なっつんがすごく近い存在に感じてもしかしたらこんなこともあるんじゃないかと思わせる、それってやっぱり森七菜さんのすごさなんですよ。回を追うごとに、なっつんを表現しきる森七菜さんがどんどん好きになるんです。このドラマ、やっぱりなっつんが森七菜さんじゃないと成立しないです。もちろん、私、もともと森七菜さんのこと表現者としてめちゃくちゃ好きなんですけど、作品通して彼女を見て、この人とめぐりあえて良かったなって思う、そこまで思わせる人、やっぱり他にいないもん。
そして、私がこの作品でもうひとり、バシバシにシンパシー感じてるキャラクターが修なんですよ。
こいつ、ほんとに昔の私見てるみたいで、ちょっと他人事に思えないのです。
あるんですよ、私も。女の子うちに泊めて何もしなかったの。
そして、人の気持ちどうの以前に、正論で全ツッパしようとする辺りも昔の私にそっくりです。周囲の人からしたらめんどくさいやつだったと思います。人間味がないというか。
修は愛梨と巡り会ったことで少しずつ人間味を思い出してる感じですけど、これもすごくわかるんです。
好きな子にめぐりあって、その好きな子のおかげで「人間に戻っていく」みたいな感覚。すごくわかる。
ドラマは折り返し点に入っていて、今まで散々私、展開と都合の良いシチュエーションに大いにツッコミを入れて楽しんできましたけど、この修の人物描写で脚本の市東さやかさん、すごいわと認識したところがあります。そして、その微妙な修を表現してる萩原利久さんも、素直に役者として頑張ってほしいなと思うに至っています。そして、バカそうな守も、お前、すげえいいやつじゃん。
そして、最後に言わせてください。
おとん、あんたいらんこと言いすぎや。
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