見出し画像

庵野、松本、時々、卓球さん。

「自分が世界にというよりは、
世界が自分に近づいてくる。」

キョロキョロ目を見開き、時より悩ましい表情を浮かべながらカメラとスタッフを気遣いつつ、松本と庵野は言葉を絞り出す。

amazon prime、庵野秀明ドキュメンタリー「さよなら全てのエヴァンゲリヲン〜庵野秀明の1214日〜」「松本人志+庵野秀明 対談」映像を、私は白飯に梅干しをのせ、食い入る様に見つめていた。

皆さんはチェックされただろうか。

何故にそんな話を?というのも、
7年程前からDVDで「人志松本のすべらない話」シリーズ、ここ最近の「ドキュメンタル」シリーズを拝見した事もあり、
芸人さんて何でこんなに面白いのだろう。
どうしたら私も面白くなれるのだろう。
他人と仲良くなるにはどうしたらいいのかしら。
「tamaさん(筆者)はちょっと変わってるけどええやつやで」ってどうすれば他人が理解してくれるのかしら。
そんな事を10代終わりからずっと思い悩み、考えてきたからだ。
ええやつやでって自分で言うなや笑
と横槍が飛びそうだが。

とはいえ、30代になっても未だ
「やつは何処かおかしい。言ってる事が支離滅裂。時々非常識。人間ではない。宇宙人。」などなど、、ライトに言葉のエアガンを向けられる事もあり、ひいては
「もう関わりたくない。アレと関わると巻き添えになる。ろくなことがない。とにかく喋りだすと手が動かん。(小学生から)」
等、私を分析し場合によっては「ダメ人間」の刻印をおすのである。
ダメ人間なんだけどね。うん!わかってる!

因みに私は「すべらない話」では小籔千豊と兵動大樹の話が割と好きなのだが、読者の皆さんはいかがであろう?
小籔と兵藤は、観察するに連れ、やはりストーリーの組立方、声の張り方や間の取り方、聴き取りやすいトーンやリズム、顔の表情やジェスチャーがピカイチであるなと思っている。一緒に番組に出ているメンバーが話の途中でツッコミを入れても、それに返せる余裕すら伺える。勿論初期の緊張してる彼等も好きではあるが。たまに、千原ジュニア、宮川大輔も凄い破壊力を持っているが安定感において少しブレを感じる事もある。(素人のどうでもいい採点。)

そしてどうでもいい話だが、
筆者は小学3年から6年まで、年に1度開催される「童話お話大会」というものに出場させられ、6年の時だけ地区大会優勝まで勝ち取った経験がある。(ドヤ顔)
5〜15分程度だったと記憶してるが、自分が創った作文を暗記し、全校生徒が見守る中、舞台の上で声を張り上げ、その内容を身振り手振り、時に静かに話すという大会である。
※YouTubeで「童話お話し大会」と検索すると私ではないが、動画が出ます。

1〜6年までの各学年代表6人から1人が、審査員選出により学校代表として、地区内の各学校代表と競って1番を決める。県大会まであった気もするが定かではない。
当時は、体育館入口隅に追いやられ、(マットとか跳び箱が仕舞われてる倉庫の扉の前)、専属講師みたいなPTAの方が体育館の舞台から入口隅っこに立つ私に向かって大声で
「ここまで聞こえる様に声を響かせて!!」
と特訓させられたものである。
体育館の広さとは推定、
15m×33m=495平米(150坪)。
要するに33m近く離れた所から声出しをしていたという事である。
JRの車両1両が20mなので、大体1.5車両分位の距離だ。25mプールをターンして半分まで泳ぐ程度であろうか。"先生のお声は私の心によく響いておりますが、どうもそれを脳が否定しておりまして…いや、むしろ、響かせるのは、私の仕事ではなく体育館の仕事ではございませんか…?"などとグダグダ考えつつ、声が出ないのは自分の性ではなく体育館の性などと、言い訳のオンパレードを頭でフル回転させていた。笑いながら下校していく同級生を横目に小学6年生の私は、"こんな事はおかしい"と頭では否定しつつも、淡々と職務を遂行すべく作文を取り出して読み返し、しまってはまた取り出し、ぶつぶつ小言を繰り返していた。
脚本を握ったエセ女優は放課後の体育館へと歩みを進めたのであった。

とはいえ、人よりランドセルが大きく見える筆者の体格で、でっかい声を体育館で響かせる練習は地獄以外の何ものでもなかった。耳はダンボ並にしっかりきこえる地獄耳であるが。(例えるならダンボ並にデカい耳が正解なのであろうが。)声量とは、腹の底から鍛えねばならんのだ。
口も小さく胴体も手足も短い。首だけ長い猫背のチビ学生は見た目も正に宇宙人であったが、常にジタバタしていた。小学生の私にとってPTAの先生こそ、正に未知との遭遇だったのだ。

なので松本人志なんかの前で覚えた脚本を芸人が披露する。しかも数本(下手すると1本もあたらないのに)を肩がふれる程の近さで、噛まずに笑わせなければならない。そのプレッシャーたるや計り知れないであろうと思うのである。とにかく私の小学生時代は、なんだかんだ大変辛かったで賞を、自分にあげたいと思う。

今となればそれも良き経験であり、
小さい体も首の長さも、
キャラの一つであるが、
ランドセルは今でも背負える
「ロリー・ババ玉」である。
正直一生このばばであろう。

地区大会優勝旗を実家に持ち帰り、さぞ親も誇りに思ってくれたに違いないが、思えばあれが私の人生最大の栄光時代であった。
12歳の秋、栄光時代は終止符を打ったのである。
そんな胡散臭い話はこれ位にして、(これ位の長さが尋常じゃないねん。)むしろその実力があるなら是非仕事に活かして頂きたいと願う上司もいるであろうが、あの経験のお陰で「声がデカ過ぎる」とか、「小さ過ぎて何言ってるかわからん」とか、人生においての言葉のボリュームが調節出来ないという障害事件が発生しているのは、お許し頂きたく願う……

さて、話は松本さんと庵野さんの対談である。

庵野秀明といえば新世紀エヴァンゲリヲンシリーズの生みの親であるが、その前にスタジオジブリで宮崎駿と仕事をしていたりもする。これも庵野秀明個人のドキュメンタリー映像におさめられているが、「風の谷のナウシカ」で怒り狂った王蟲軍団を巨神兵が1発の光線で蹴散らすシーンがあるのだが、そこが庵野秀明の原画である。
宮崎駿でも庵野秀明の事を、

「宇宙人がきたと思った。あいつは友人から借りた背広に裸足の足で、ビーチサンダルをはいてスタジオにやってきた。こいつは面白いと。原画の時は資料に核爆発だけを集めたビデオを持ってきて、ずーっと何度も再生し、観続けていた…あいつ頭がおかしい。って。……机の下から足だけ出てて…」
等と語っている。基本、庵野はスタジオに寝泊まりしてらしたとか。その作品の為であれば命すら削る、集中力の鬼という点、何処か共感を感じるのである。

そんな彼(庵野さん)は、アニメ版(映画でない方)エヴァの完結について酷く世間から批判され、鬱状態に陥った事があったと語っている。

そこにジブリ作品「風立ちぬ」の堀越二郎役(声優)として、声をかけたのがこれまた宮崎駿であった。二人で仕事をすれば喧嘩になるけれど、苦しい時は声をかける宮崎さんの思いやりにグッと来た筆者であった。

「風立ちぬ」は1920年、大正の時代、パイロットを夢みた青年が視力の問題で夢を諦め、零戦(零式艦戦闘機[飛行機])の設計を任されるまでを追った話しで、その青年、堀越二郎と偶然出会い結核で亡くなってしまう菜穂子との短くも尊い、ロマンスや時代背景が描かれている。1920年代は関東大震災であったり、先にも述べた結核という伝染病が流行った時代でもあり、それ故、日本の歴史を知る上で重要な年代でもあると思い、2013年公開当時も多くの若者に観て欲しいとFBから筆者は呼びかけたのだが、その後2021年、新たな菌が猛威を振るうこの時代、このタイミングで、もう1度観てみると、違った部分がみえるかもしれない。現代もまた、1920年代の様に生きにくい時代にどう生きるかが問われ、個人の判断力がその後の未来を大きく左右する時代になってしまったからだ。
そして、ピアノの旋律に包まれながら、主題歌である、荒井由美(ユーミン)の「ひこうき雲」をまたもリピートしてしまいたくなるだろう。
そういえば、風立ちぬの登場人物「菜穂子」という名前で思い出したのだが、これまた小説家、上橋菜穂子の「鹿の王」という作品が9月10日にアニメ映画化として公開予定だったが延期に。とても残念。

上橋菜穂子の作品は筆者の姉の勧めもあり、「鹿の王」含め、「精霊の守り人」であったり「獣の奏者」(アニメ化実写化)も全て読破していたので、凄く楽しみにしていた。
はやく公開してくれと願っている。
鹿の王は黒狼熱(ミツツァル)という病と、その抗体を持つ少女ユナと血の繋がらない父、独角(どっかく)の頭、欠け角のヴァンの物語だ。察するに映画界、また国の意向、色んな事が関わって延期なのではないかと思うが、そんな事考えても仕方がない。
「鹿の王」の映画監督は「もののけ姫」「千と千尋」「パプリカ」「君の名は。」の作画監督 安藤雅司であり、製作スタジオは攻殻機動隊もやってるそうで、絶対面白いだろうなと思ったりしている。期待しすぎもよくないが。

と、またも話が脱線したが、
お笑い界の強者、松本人志とアニメ界の強者、庵野秀明が対談する。それだけでもかなり挑戦的で興味深いし、実際内容を拝見してみると、庵野さんはゴモラにやられるウルトラマンに、エロスを感じるとか、松本さんの口から谷崎潤一郎、春琴抄(しゅんきんしょう[作品])のワードが飛び出したりと、普段の仕事からあまり視えてこない二人の共通点が垣間見えるのだ。
"そこへのエロスって…。"とニヤニヤしてしまう筆者もまたアレなのだが、彼等にみえている世界に私も入り込んでいくとぞわぞわするのである。勿論そこだけピックアップするのは失礼であるので、真面目な話、
「作品というものはお客さんが居てはじめて存在する。」
「映像は変わらない、観る人が変わっちゃう。」
等、深い言葉であったり、
「作品にいくのはいいけど、作品を作った、関わった人達に攻撃がいくのは…自分個人ならまだ仕方がないなと思うけど、関わった人達に…その、まあ、飛び火みたいなのがいくのは、まあ…腹がたちますよ。悔しいですよ。やめてほしいと思いますよ。
まあ、喜んで貰えればありがたい。
おこらしちゃったらごめんなさい。」
という、バッシングに対する冷静だが熱い想いを対談の中で語る庵野秀明の本質を知ることも出来る。
そのほか、
「監督ならこどものままでいられる。
プロデューサーを始めると大人にならなきゃいけない。ほんとにディレクターのあいだは、こどものままでいられる。」等、
松本と庵野という、アニメーション、又、映画・映像・エンターテイメントに関わる仕事をした人間だからとらえられる、組織の仕組みや自由度等の、着眼点に触れる事も出来る。
又、対談のお題に「世界を視野に?」
と出てくるのだが、流石というべきか必然的にそうなるかというか。そんな答えが出てくる。それが冒頭の、

「自分が世界にというよりは、世界が自分に近づいてくる。」

という言葉だ。その意味は、筆者があれこれ言う事はおこがましい話であり、というかしてはならないと思っているので省略するが、ただ、世界のビートたけし(北野武)ともまた違った世界観であるお二人が、とにかく目の前にあるものをつかみ選びながらも、ハイスピードで駆け抜ける。駆け抜けて来た。だから周りがついて来てる。誰よりも好きな事を模索し、研究し、努力してきた結果、賛同があり、批判がある。そんなメッセージが最大に込められている気がしただけだ。
「まだ、駆け抜けられますよね!」と松本が庵野に何かを託してる様にも感じた。
ドキュメントや対談話を観てみたいと思う方への助言としては、ウルトラマンと仮面ライダー、又、シン・ゴジラも観ていた方が楽しめる内容だろう。(シン・ゴジラは監督・脚本、庵野秀明である)
シン・ゴジラでふわっと頭をよぎったが、
音楽界、テクノ界の神様、石野卓球(電気グルーヴメンバー)もあわせて、庵野・松本・石野3人で対談しないかな?なんて願ってしまう筆者もいる。
何故なら、石野卓球は相方のピエール瀧が麻薬事件で裁判を受けている最中、「シン・ゴジラ観てた!」と彼なりのハイセンスな言葉で(本当らしいが)、場を切り抜けているし、松本はワイドナショーで石野の言葉に「僕は大好き。」と発言しているからだ。
実際、石野は先日SUPER SONIC 2021出演時も中盤に、ゴジラのテーマ曲を一部流していた。ちょくちょくかけてる気もするが。
FUJI ROCK 2021 での3日目、電気グルーヴでのピエール瀧との復活、また、その後レッドマーキーエリアでの砂原良徳ことマリン(元電気メンバー)の、「FLASHBACK DISCO」の選曲に鳥肌が立った筆者であるが、
庵野・松本・石野の3人で対談とか、妄想でもスケジュールとか色んな意味で大変ヤバそうな案件であると想像する。

ちなみに、ゴジラのサントラをサンプリングした海外アーティストもいる位、ゴジラは有名ではあるが、それに負けない位、石野卓球という男も世界規模で名が通る方だと私は思っている。
あくまでもいたらない知識ではあるが。
90年代にダウンタウンの番組に電気グルーヴとして3人が出演し、一緒に番組内で話してる映像が何処かに残っていた気もするし、今後、こんな時代だからこそ、人と人が垣根を越えてタッグを組んでも良いのではないだろうかとおもう。

……さて、筆者は一生を通しても話がうまい人間になれない気がするが、この小さなNO味噌と身体で、すべる話をサイコロ無しで転がそうと思う。参加も讚歌するもあなたの自由だが。
そしてこれからも続くであろうか、なかろうか、わからない凸凹道を、ボコボコにされながらも私は歩もうと思う。(何の宣言だ!)
全然埋まらない凸凹道を、瓦礫に埋もれた道外れの使い他人(つかいびと)が、埋めてくれるだろうか。(救いの手を欲しているらしい。)
話がうまい人間にのっけられて、心が更にぼこぼこになるのは遠慮しておきたい所だが。

人間という不確かだが確かにそこに存在する"孤独な瓦礫"という名の魂達は、平坦で平凡な、そして時に難解な会話を散りばめ合いながら、綿飴の様にすぐに消えてなくなる甘い幸せをちらつかせ、凍てついた両者の心に一瞬の灯火を刷り込みあうだろう。
私の凍てついた心がいつか、一瞬でホット珈琲に流れる角砂糖の様に、溶ける日を夢みている。(どうしたんだポエマー?何処でそんな苦味を味わったんだ!)

瓦礫に埋もれた凡人達は、時にその瓦礫を再構築し、人に魅せれないものを魅せる。それが人の生き様であると認識し始めた30代。
庵野のドキュメント、松本・庵野の対談を観て私が感じた生き様や生かされ方。折れる事のない信念と折れざる負えない社会の仕組み。人が人と関わる事が同じ北の方角を指すとは限らないが、針とは刺せるし糸を通せる。時々さびつくのも針であり、人の心である。

そう、ただ誰かの心にほんの少し、
刺さる話が出来ればいいのだと願うばかりである。いくつになっても天才を夢みる凡人街道を、緩やかに曲がりくねりながら真っ直ぐに進もう。

珍道中を。

さあ、行け、凡人。(自分宛)
瓦礫の上に咲く華達よ、冬が近い。(読者宛)



生き抜け。




※国立新美術館で「庵野秀明展」とやらが開催中!…まんまとAmazon様に載っけられる筆者!


言葉を出す為に必要となった音楽▷▷

はなればなれの君へ 〜Belle〜
さよならごっこ 〜amazarashi〜
フクロウ 〜サカナクション〜
翼をください 〜林原めぐみ〜
Everglow 〜Coldplay〜
Mystery Train 〜Elvis Presley〜
Blackbird 〜上原ひろみ〜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?