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わが心の近代建築Vol.21 臨江閣別館(群馬県前橋)
Vol.20では臨江閣本館/茶室「畔堂庵」について記載しましたが、今回は付随し、前橋で行われた1府14県産業共進会(産業見本市)のセレモニー会場/迎賓施設として臨江閣本館の隣に1910年に建てられた臨江閣別館について記載します。
まず1府14県産業共進会(産業見本市)はについて記載すると、明治政府は産業振興のため、地方ごとに共進会(展示会)を開催。
前橋では1910年に第13回一府十四県連合共進会が開かれます。
これは群馬県はもとより、近隣の神奈川、千葉、埼玉、茨城、栃木、長野、山梨、福島、宮城、山形、仙台、岩手、青森の各県、そして東京府が参加して、9月17日~11月15日まで、60日にかけて米・麦・果実・野菜などの農産関係、蚕種・繭・桑苗をはじめとした林業・水産・織物染料・工業製品など約7万点、各府県の産物が展示されました。
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開催会場は…
●現在の県民会館付近を第一会場
●NTT東日本群馬支店付近を第二会場
●前橋女子高付近を第三会場
としてて行われました。また僅かの期間に述べ100万人が来訪。
夜間にはイルミネーションが施され、サーチライトで夜空を照らすなど盛況を極め、1府14県産業共進会に際し、伊香保鉄道前橋線の前橋~渋川間が電化(1956年にバスに代替され全廃)され、これ以降の前橋の地域経済の発展に寄与することになります。また現在の前橋市章に藩主・松平氏の馬印「輪貫」が選ばれたのも、1府14県産業共進会が引き金になりました。
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また後述する臨江閣別館については、伝統的な和風建築の技法尾を取り入れながらも、新機軸の西洋技法を巧みに取り入れた作品になっています。
建築資材には安中市の杉並木が使用され、この建物で圧巻なのは、地上2階建てでありながら、その高さは約15mにも及び、これを可能にしたのは屋根部分の小屋組みで、3角形を組み合わせたトラス構造を用いた西洋的技法府で、特に2階部分には180畳もの大ホールになっています。
また、1階部分には2本の中廊下式が採用され、耐震性も上昇。屋根部分などにも鉄筋を採用し、当時は高級素材だったガラス戸をふんだんに使用するなど、当時の新技法が多く使用されています。
また、本館とも前橋を襲った空襲時には、偶然居合わせた職員の方々の尽力で炎上を免れ、終戦後には消失した市役所に代わり、前橋市役所に活用され、使用が完了したのちは各種イベント時に使用。
また群馬県指定有形文化財だったものが、その優れた建築意匠により2018年には国指定重要文化財に選定されました。
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【たてものメモ】
臨江閣別館
●竣工年:1910年
●設計者:小曽根甚八
●文化財指定:国指定重要文化財
●入館料;無料
●写真撮影:可(商用厳禁)
●参考文献
建物はBS朝日放映「百年名家」を参照
前橋の地域史に関してはWikipediaより抜粋
●交通アクセス:
JR前橋駅下車、バスにて「遊園地坂下」停留所、徒歩5分
●留意点:
臨江閣は本館、別館とも広く一般に貸し出され、展示などの催し物が行われているので、来館前にスケジュールの確認をされることを推します。
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臨江閣別館:
先述のように、一府十四県連合共進会に併せて国内外の要人の迎賓施設として建立。
設計には地元の小曽根甚八氏があたり、従来の和風建築と比較して、高さは2階建てながら約15mにもわたり、屋根構造も従来の和組みではなく、三角形を組み合わせたトラス構造を導入。
また、中廊下式を用いり2階180畳の大広間など、従来の和風建築ではなえなかった建築を可能にしています。
建築部材には、寄贈された50本の安中の杉並木を使用しました。
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車寄せの屋根部分:
一見すると「むくり天井」を採用しているように見えますが、本館部分と同じく、よく見ると屋根は直線的で、蓑甲に「むくり」を与えています。また、懸魚など、伝統的な日本建築の技法を導入しています。
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南側から臨む:
側面部分を見ると屋根に「むくり」が加えられているように見えますが、実際は「蓑甲」う分は直線的で、先端部分のみ「むくり」が付けられています。
また、屋根全体は「トラス構造」でありながら、懸魚や狐格子など、寺社建築で見られる意匠が設えてあります。
また、竣工当時では大変貴重だったガラスがふんだんに使用されています。
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鯱と片肘木:
臨江閣別館では、トラス構造などの西洋の技術を巧みに取り入れる中、屋根上には鯱が乗り、壁部分には片肘木などの、伝統的な和風建築の意匠を巧みにに取り入れています。
なお、鯱はレプリカで、本物は本館資料室に展示しています。
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実際に使用された鯱:
本館1階部分には、実際に使用されていた鯱が飾られています。
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車寄せ:
この部分も天井は格天井になっており、安中市より寄贈された杉の銘木が使用されています。
車寄せ部分の扉のガラス部分も、本館部分と同じく「サジ面」という、スプーンでえぐったような面取りがなされ、ガラス扉のデザインは日本の式台玄関で多くみられた舞良戸風に設えているようにも見えます。
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玄関からガラス扉を臨む:
ガラス戸になっていますが、こちらも日本の伝統的な「舞良戸」に似た造りになっています。
また、ガラス戸から、内部の様子が伺えますが、洋間と座敷の間には、玄関口を仕切りとして大きな中廊下が走っています。
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玄関部分:
玄関部分は格天井になり、厳選した木材を使用。また、玄関部分には、当時、まだ貴重品だったガラスをふんだんに使用しています。
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臨江閣別館 平面図:
臨江閣別館は博覧会の貴賓館のため、迎賓施設の特性上、各部屋とも独立した構成でできており、動線は広くとられています。
また、近代和風建築の特徴として、玄関わきに洋室を備えています。また、2階部分は最大の見どころで、180畳の和室になっています。
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1階60畳洋間:
武道場のような広さを持つ60畳の大空間。
部屋の側面はガラス戸になっており、明るさと開放感に配慮されています。
竣工当時は、机などを並べ、議会や調印式などの正式な場として使用され、下足室があったことから靴を脱いで使用しましたされたことが考えられます。
洋間と呼ばれながら、天井には吹寄格天井、部屋には長押が回され、書院建築の意匠になっています。
また、長押には、10mを超える継ぎ目のない良質な杉材を使用しました。
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1階60畳洋間の長押:
戦後、別館も一時、前橋市役所に活用されていた為、釘などの痕が残されています。耐震改修工事の際に、これらは敢えて直されることなく、市役所庁舎時代の歴史を現在に伝えています。
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1階「北座敷」第1和室:
第二和室、第三和室と竿縁の向きが違うことから、この部屋は独立した和室として利用したことが推測され、床の間も独立して所持しています。
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1階「北座敷」第1和室の欄間:
八角蜀紅(はっかく‐しょっこう)と呼ばれる形になっていて、職人の手の込んだ大工技術御感じます。
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1階「北座敷」第2和室:
竿縁の方向が「北座敷」第三和室と同じことから、この部屋は「次の間」として利用されたことが推測されます。
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1階「北座敷」第3和室:
室内に長押を回した構造で、長押と床柱の造りから非常に高い大工技術で構成されていることが分かります。
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1階北座敷「第3和室」の床の間:
床柱は四方柾でできており、狆潜りは黒柿製、床の間天井は玉杢の鏡板となっています。
長押が床柱に竣功より100年以上たっているのにピタリと合っているところに優れた大工技術を垣間見ることができます。
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「北座敷」と「南座敷」の間の中廊下:
「北座敷」と「南座敷」の間には中廊下が走っていますが、これも明治後期からの近代建築で邸宅で多く見かける手法で、中廊下を持つことにより、各部屋のプライバシーが保たれるようになります。
また、中廊下には、柱が増えることにより、耐震性も増しています。
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南座敷「第5和室」
重要文化財に選定される前は、奥の第4和室とともに、喫茶室になっており、コーヒーなどを愉しめる場になっています。
また、南側にあることにより、前橋公園の景観を楽しめます。
第6和室は重要文化財前は地域の特産品の売店として使用されていましたが、選定以降は、まだ決定していない状況のようです。
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1階「南座敷」第4和室:
天井は4枚の杉板を載せた敷目天井になり、竿縁も北座敷のものと比較して、太いものが使用されています。
北座敷「第3和室」に比較し、平書院が付くなど、それに比較して格式高いものとなっています。
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「南座敷」第4和室の床の間と平書院:
平書院があることにより、北側の部屋と比較して格式高い造りになっています。
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階段踊り場から臨む:
階段の親柱には神社建築などで多く見かける擬宝珠が模られています。また、天井部分を見上げると、真ん中部分のみ竿縁が違いますが、もともとは階段は現在よりも急に設えてあり、真ん中部分は中2階をもうけていました。
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2階180畳和室:
板の間部分30畳と、畳部分150畳、総計180畳の大広間で、臨江閣別館最大の見どころになっています。
また屋根部分など、トラス構造などの西洋技術の導入で、ここまでの広間の建築を可能にしました。
ここでは、共進会の際には晩餐会が行われ、桂太郎、大隈重信、澁澤榮一翁ら、政財界の大物をもてなしました。
また、地元の詩人、萩原朔太郎氏が結婚式を挙げた場所としても知られ、現在も結婚式場などに利用できます。
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2階大広間の床(とこ)部分:
床の間は幅6間、奥行き1間半。両サイドに床柱と床脇、平書院をしつらえたものになっています。
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2階大広間の床の間天井:
床の間天井は、6間巾、杉の鏡板の一枚板になっています。
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2階180畳和室 30畳板の間部分:
昭和30年代には、こちらに舞台が付けられました。板の間はその名残になっています。
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2階180畳大広間の舞台の名残:
先述の写真で舞台について記載しましたが、うっすら見える墨の部分は舞台があった高さの跡になっています。
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2階大広間板の間下:
臨江閣別館の建築当初の骨組みを見ることができ、鉄筋が補強材として用いられました。これも近代和風建築の先進性を垣間見ることができます。
これにより、今まで実現不可能だった2階の180畳和室の竣功を可能にしました。
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2階縁側:
こちらの縁側の天井は、伝統的な数寄屋建築の「木子舞天井」の化粧屋根になっています。また、近代和風建築では、規格外の開口部を可能にしました。
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渡り廊下:
この部分も別館建築時に設えたもので、天井部分には木子舞天井の化粧屋根裏になっています。
なお、この廊下で、本館と繋がっています。
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