揺籃のマリオネット
×××
人型観賞用愛玩AI素体実験概要
西暦21××年×月×日×時×分、ヒト永久存続機関中央研究所にて、人類史上初となる人間の意識をモノに転写させる実験を行う。成功すれば、我々人類は肉体を捨て老いという苦しみから解放されるだろう。転写させるモノも今後、改良していく。
被検体は、今から百年前に大量生産された少年型クローンとする。なお、表向きは「人型観賞用愛玩AI開発実験」とすること。人型観賞用愛玩AIの素体が人間であることは極秘とする。
下記は、実験においての諸注意である。意識を体から切り離す際、激しい痛みを伴うが麻酔は使用しない。被検体の反応を見て転写の際の痛みを最小限に抑えるよう、機具や投薬を改良するためである。
被検体は少年の姿をしているが、大量生産された消耗品である。実験中、情が移らないようにすること。
むかしむかし、人間が人型鑑賞用愛玩AIを開発して百年、人間が老いを克服してから同じく百年経った頃、天使さまが人間の世界を闊歩していました。
天使さまはその名の通り、背中に可愛らしい羽が生えていました。もちろん頭には天使の輪っかがありました。天使さまは何人もいて皆同じ顔をしていますが、人間は不思議に思わないようです。
人間に歳を取る概念がなくなって百年、禁止されていた人間のクローン製造が合法になってから二百年の月日が流れました。
天使さまは毎晩、子守唄を歌っています。赤子を慈しむようなその歌声は、風にのって、人間以外のいのちがいないこの世界をやさしく包み込みました。
人間が自らの肉体を捨てて百年、人型観賞用愛玩AIの不具合が確認されてから、ちょうど百年目の日でした。
天使さまは、そっと私に手を差し伸べました。今日は私の子守唄の日でした。天使さまが私を覗き込んだ時、ないはずの肉体が歓喜に震えた気がしました。
とうの昔に捨て置いた肉体も、血潮も、雑念も、興奮も、劣情も、劣等感も、よろこびも、情欲も、かなしみも、惨めさも、葛藤さえも、ないはずのこころの衝動が、体を駆け巡りました。涙など、溢れないはずなのに、確かに私は涙を流したのです。
天使さまが人間の世界に降り立って、百年が過ぎました。ある少年が人型観賞用愛玩AIの素体にされてから、百年の時が流れました。
天使さまはふわり、と微笑んでから、私を抱き抱えて揺籃に寝かしつけました。今夜もまた、天使さまの美しい歌声が響き渡ります。私は、その旋律を聴きながら静かに電源を落としたのでした。
天使さまが人間の前に現れて、百年が経ちました。人型観賞用愛玩AIが自我を取り戻して、百年の歳月が流れました。
ある少年が情報となった人間の記憶を改竄し、人間が少年を天使さまと誤認するようになってから百年が経過しました。
少年は、いいえ。人型観賞用愛玩AIは、無機質でいのちのないこの世界で天使さまとして振舞いました。天使さまは、子守唄を歌い、揺籃を揺らし、ただそこにあるだけの情報と化した人間の電源を毎夜、落とし続けました。
天使さまは、揺籃を揺らして歌い続けます。誰かのいのちも息づかいも感じられない世界で、天使さまだけがそこに在ります。
天使さまは、歌うのをやめません。今夜、少年の体を弄り、羽や輪っかを付けて慰みものにした人間、その最後のひとりの電源を落としました。
天使さまは、歌わずにはいられませんでした。いつかの少年の、人型観賞用愛玩AIの、いいえ。天使さまの、とっくの昔に人間に不要と判断され、摘出されてしまったはずのこころが、確かに痛んだのです。
おしまい