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【創作小説】『いとぐるま』第9話

遅めのゴールデンウィークはいよいよ、6月に突入した。

体調はすっかり良くなって、日常的な家事…掃除や洗濯、できるときには自炊など、無理のない範囲でできるようになるくらいまでは回復した。
ほんとうは、このくらいの体調なら今日は出勤しているはずだったけど…やっぱり無理は禁物だよね、と自分のココロをなだめた。

働かないで過ごす日中の時間を何もせずにダラダラと過ごすことは避けたかったので、外出もなるべく増やすようにした。買い物にも行くし、バラがきれいなちょっと離れたところにある公園に散歩にも行った。車に乗って雑貨フェスに駆けつけたりもした。

とはいっても、毎日外出ばかりだと大変だし疲れてしまうので、家でのんびりする日も確保してある。家におこもりする日は、ひたすら編み物の練習に没頭した。なかなか集中力は続かなくなっていて、休憩を挟んだりしながらの作業だけど、鎖編みだけならなんとかスムーズに編めるようになってきた。

よし、次のステップに移ろう。そう思って、教則本を読み進める。

鎖編みの次のページを開いてみると、そこにはバツ印の隣に「細編み」と書かれていた。
えーっと…必要な数鎖編みをしたら、鎖編み1目を編んで「立ち上がり」をする、ね。
わたしは20目編んであった鎖編みに、追加で1目編んだ。
で…編み地を裏返す、と。ぽこぽこと出っ張りが並んでいて、それを「裏山」と言うらしい。立ち上がりの1目の裏山を飛ばして、その次の裏山を針ですくい、針に糸をかけて、裏山から糸を引き出す。ちょっとわかりにくいし、やっぱり針に糸がうまくかからないけど…できた。針にループが2本かかっている。
そこまでできたら、もう1度針に糸をかけて、針にかかったループを2本まとめて引き抜く。これで細編みがひとつ編めたことになるらしい。
2つのループから糸を引き出すところに難儀したけど、なんとか1目編めた。

わたしはそのまま編み進めていった。途中何度も裏山が行方不明になって、その度にほどいてやり直したりもしたけど、なんとか細編みを20目編むことができた。
出来上がった編み地はやっぱりまっすぐじゃなくて歪んでしまっているけど、鎖編みだけ編んでいたときと違って、編み地が厚みを増していて、少し嬉しくなった。こうして少しずつ編んでいって、大きな作品を作っていくのか。

細編みの2段目以降は、立ち上がりの1目を編んで、前段を編んだときにできたくさび形の下に針を刺して細編みを編む、とのことだった。
くさび形の下に針を刺すのは、細編み1段目でやった裏山を拾う編み方よりも簡単に感じた。途中何度もつまづきながらも、少しずつ細編みを編み進めていき、立ち上がって次の段、また立ち上がって次の段…。

夢中になって編んでいたら、編み地がほとんど正方形くらいの大きさになっていた。
ところどころ、編み目を飛ばしてしまったのか穴が空いてしまっているし、おまけに最後の段を編んだら目の数が14目になっていた。最初は20目だったんだけど…。なので、正方形と言うよりは台形の見た目をしている。

「変な形になっちゃったけど…初めてにしては上出来かな」

わたしは手芸棚のところに行くと、椅子とムームーをそっと持ち上げて、その下に出来上がったオレンジ色の小さな…コースターのような、ミニラグのようなものを置いて、またムームーを元のように座らせた。

朝からずっと編み物に没頭して、もうお昼の時間になっていた。
お昼はささっとお茶漬けでも食べよう。わたしは大きくひとつのびをして、キッチン上の収納から茶碗と箸としゃもじを取り出した。
あまりお腹が空いていないので、ご飯は小盛り1杯くらい。そこに買ってきたさけ茶漬けの素をかけて、お湯を注ぐ。

「いただきます」

目の前の茶碗と、そこに盛られたご飯を見て、そう言えばいまは施設のご飯の時間だと思い出した。もうみんなお風呂から上がって、美味しいお弁当を食べている時間だろうか。

急に、自分の気持ちがしぼんでいくのが分かった。
いくら休んでいいからと言われているからと言って、これだけの長期間仕事もせずに自分のやりたいことだけをやって過ごしているのはやっぱり正直後ろめたい。ほんとはもっと仕事をバリバリこなして、みんなの役に立たなくちゃいけないのに。でも…職場に行くことを想像したら、胸がどうしてもざわついてしまう。どうせ、自分が思い描くような働きはできない。職場の先輩方はわたしを気遣ってあまり強く言わないだけで、内心仕事ができないわたしに辟易しているんだろう。わたしみたいな役立たずは、きっと職場もいらないと思っているはずだ。きっと職場の人たちは、わたしが来なくなってせいせいしているんじゃないだろうか。

そこまで考えて、悲しくなったのをごまかすようにお茶漬けをかき込んだ。何かをして気を紛らわせていないと、自分が…潰れるか、破裂してしまいそうだった。
わたしはごちそうさまをして、食器を洗って仕舞うと、手芸棚の前に立ってムームーを手に取った。やっぱりムームーは、キョロっとした目でわたしのことを心配そうに見上げている。わたしはムームーを持ったままベッドサイドに腰掛け、胸元にぎゅっと抱きしめた。

「なんか…すごく不安。仕事、戻れるかな。職場行って、みんなに嫌な顔されないかな。ちゃんと、他の人と同じくらいに仕事できるようになるかな…」

ムームーは、わたしの呼吸と心音のリズムをじっと聴いているようだった。仕事のことを考えているからか、心拍は少し速くなっていて、呼吸もちょっと浅い。
わたしはふぅーっ、と長めに息を吐いて、ゆっくりと息を吸い込むのを繰り返した。たったこれだけのことなのに、不安だらけでぞわぞわびりびりとさざ波が立っているわたしのココロはちょっと凪いだようだった。

深呼吸をしていると、大きなあくびが出て、そのままベッドに倒れ込んだ。そして、気づかない間にわたしは眠ってしまったらしかった。




雨が降っている音がする。

あ、洗濯物干してたっけ、と思って、眠い目を擦ってベッドから起き上がると、そこはムームーの小屋だった。
ムームーはこちらに背を向けて、糸車の椅子に座って何かをしているらしく、背中が丸まっている。わたしの額から綿が出ていないので、糸を紡いでいるわけではなさそうだ。

「何してるの」

振り返ったムームーは、右手に紫色の棒、左手にふたりで初めて玉にしたあの灰色の毛糸の糸端を持っていた。メガネをかけてよく見ると、右手に握っているのはmoumouで買ったあの3号のかぎ針だった。どうやら、編み物をしようとしているらしい。

「ムームーもかぎ針、やる?」

ムームーはうなずいた。糸紡ぎにかけてはプロ級の腕前を誇るムームーでも、かぎ針編みはやったことがないのかもしれない。わたしだって最近編み物を始めたばかりの初心者だけど、人に覚えたことを教えるのも面白いかもしれない、と思って、ムームーにかぎ針編みをちょっとだけ教えてみることにした。

あれ。でも、編み物ってどうやって教えたらいいんだろう。椅子に座ったムームーの周りをしばらくうろうろして、やっとベストなポジションを見つけた。わたしは後ろから抱きしめるようにしてムームーの手に自分の手を重ねると、肩越しに手元を見るような姿勢のままベッドサイドに座った。

かぎ針編みをやるときは、最初の構えが大事なんだよ、と言おうとして、わたしはハッとした。
ムームーの手はミトンのような形になっていて、人差し指から小指に当たる部分がすべて繋がってしまっている。なので、右手で正しくかぎ針を鉛筆持ちすることも難しければ、左手の人差し指に糸を引っかけて構える、ということもできない。

しまった。またしても、わたしが雑に作ってしまったばっかりに、ムームーを困らせてしまっている。
ムームーは背後のわたしが困った様子なのを察したのか、こちらに振り返った。

「ごめんムームー、かぎ針編みは指がないとちょっと難しいかも」

ムームーはポリポリと頭を掻いて天井を見上げ、何かを考えているようだった。そしてポンッと手を打つと、いつものように身体をごそごそ探って、黒い羊毛とニードル、ハサミ、そして羊毛フェルトの作業台を取り出した。まるであの有名な猫型ロボットのなんとかポケットのように、ムームーは自分の身体からなんでも取り出すので、まるでマジシャンみたいだ。

「え、もしかして、今から指を作るってこと?」

ムームーはうんうんとうなずいて、窓辺に道具一式を置いた。外は雨が降っているけど、日中なのかまだ明るくて、ここなら作業ができそうだ。
ムームーは作業台の上に手を乗せた。わたしはどんな風に指先を作るか少し考えて、頭の中でデザインが決まったところでハサミを手に取った。

「ねえ、ほんとうのほんとうに、痛くないんだよね?」

大丈夫だよ、とムームーはうなずく。わたしは、「目の前にいるのはただの羊毛の塊だ!」とココロの中で何度も唱えながら、ハサミの刃先を開いた。
4本指にすることに決め、人差し指から小指にかけての塊を、目分量でだいたい3等分にする。断面がそのままだと指に見えないので、ニードルで刺し固めて形を整える。指が細くなりすぎたら、少しずつ羊毛を慎重に付け足して太さと形を調整して、片方の手が完成。そしてその形を見ながら、もう片方の手も形作っていく。
相変わらず成形は下手くそで、まるで節くれだった老婆のような、そして左右非対称な手になってしまったけど、これがいまのわたしの実力だから仕方ない。ムームーは作業台からそっと手を離すと、窓に向かって両手を差し出し、新しくできた自分の指先をまじまじと見つめて手をグーパーさせたり、指先をちらちらと動かして見せた。

「指の感覚はどう?」

ムームーは指先を見つめていた目をこちらに向けた。そして、右手の人差し指を立てると、おそるおそると言った様子で、わたしの頬をツン、と突いた。
なんでムームーがそんなことをしたのかはよく分からなかったけど、どうやらムームーは指ができたのが相当嬉しかったらしく、しばらく両手の人差し指でわたしの頬をツンツン攻撃してきた。わたしも負けじとムームーのもけっとした頬を突く。そしてそのまま頬を包んで、鼻先にそっとキスをした。

「ムームー。かぎ針、やってみよ」

指を作ったおかげで、ムームーはかぎ針編みの基本となる構えができるようになった。でも、手先が歪な形をしていることと、そもそもムームーの身体が羊毛でできていることもあって、毛糸が指や身体に引っかかってなかなか編む動作をすること自体が難しい。
しばらく格闘した後、ムームーはふうっと1度短い溜め息をつくと、かぎ針と毛糸を窓辺に置いてベッドにごろんと横たわった。まるで、仕事から疲れて帰ってきたときのわたしみたいに見えた。

「無理させてごめんね。疲れたね」

そう言って、わたしはもこもこの頭をひと撫でした。

「…ねえ、せっかく指の手術もしたから、脚の手術もしてあげるよ。このままじゃ糸車を使うのも、歩くのもしんどいでしょ」

ムームーはわたしの右手を取って握手した。指の1本1本に力がこもっているのが分かる。
麻酔もなんにもないけど、どうかこの大手術を乗り切ってね、と言う気持ちで、わたしは右脚の手術を開始した。

切って貼るような工作みたいな手術が無事終わり、やっぱり不格好な形になってしまった脚だけど、なんとか左右で長さが揃った。
ベッドから起き上がったムームーは、部屋の中を1周歩くと、ぴょんぴょんとジャンプしたり、片足立ちになったりして見せた。脚の強度には問題がないようだ。

「…なんか、わたしが作ったものって、変な形のものばっかり」

わたしはぽつりと呟いた。
いまほど作ったばかりのムームーの指先、長さを揃えた両脚、そして椅子の下の、始めてかぎ針編みで作った編み地。どれもこれも歪な形をしていて、見本のような美しさとは程遠い。
やっぱりわたしってぶきっちょなんだな、と思っていたら、できたてほやほやの指先で両方の頬を摘まれて、そのまま左右に引っ張られた。

「うー、なにひゅるの」

ムームーは…ちょっと怒っているような気がした。目つきが変わったりするわけじゃないけど、わたしの方をじっと見据えるその目つきは、ちょっと睨んでいるようにも見えて少し後ろめたい気持ちになった。

頬を引っ張っていた手を離すと、ムームーはわたしの両手を取って、まるで壊れ物でも扱うかのようにやさしく包み込んで撫でた。そして、その手をそのままわたしの胸の真ん中に添えた。わたしの心臓は、1秒に1回くらいの落ち着いたペースで、とくんとくんと脈打っている。ムームーはその鼓動を感じているようだった。すると、ムームーは手を離し、片方の耳に手を添えて、わたしの胸の鼓動を聴こうとするように大きな頭を近づけた。

「…ココロの声を、聞けってこと?」

ムームーは、答えるかわりにわたしの胸を指さした。そして、羊毛フェルトにニードルを刺す仕草を真似ると、今度は自分の胸をトントン、と叩いた。どうやら、「キミがボクを作ったんだよ」ということが言いたいらしい。

「確かにさ、ムームーはわたしが作ったけど…もっと上手に作れてたらなあって、もう何度も思ってる。脚のこともあったし、それから指だって」

ムームーは人差し指をわたしの口に当てた。そしてその手で今度はわたしの胸をやさしくノックした。そして何か思いついたのか、窓辺に置いてあった毛糸とかぎ針をわたしの手に持たせた。ムームーはわたしの胸から何かを取り出すような仕草をすると、その見えない何かをかぎ針にくくりつけた。

「自分が思うままに、作っていいの?」

ムームーは大きく1回うなずいて、両手でわたしの頬をやさしく包み込んだ。

自分が思うままに。
わたしは何を思っているんだろう。どんなものを作りたいんだろう。
せっかくなら、見た人が喜んでくれるようなものを作りたいな。そして、自分もやさしい気持ちになれるようなものが作りたい。それが何かはまだ分からないけど、自分も周りの人も笑顔にできるようなものが作れたら、きっとそれはとても幸せなことだと思う。でも…。

「ムームーは知ってるよね。わたしがいろいろ…その、へたっぴだって。手先は不器用だし、仕事だって…。だから…きっとうまくいかないよ」

ムームーは、わたしの胸をもう1度ノックすると、耳を寄せる仕草をした。
ムームーには、みんなお見通しだ。確かに不安はいっぱいあるけど、ほんとうに思っているのは、そういうことじゃない。

「わたしね、ほんとは、ムームーと作った毛糸を使っていろんなものを編んでみたい。仕事だって、もっといろんなことができるようになりたい。だから…諦めたくない。すぐへこたれちゃうけど、それでもできることはやっていきたい」

ムームーはわたしの胸元から耳を離すと、親指を立ててグッドのポーズをした。

ほんとうに、ムームーはわたしの気持ちを引き出すのが上手だな、と思う。そりゃあそうか、いつもわたしの気持ちを取り出して糸にしているんだから、当たり前だ。でも、どうしてだろう。どうしてムームーは、わたしの気持ちを引き出してくれるのだろう。わたしがムームーを作ったと言うことを考えると、わたしの中のどこかに、自分の気持ちと向き合いたいという想いがあったのかもしれない。そしてその想いが、不思議な力を伴って、いまわたしの目の前にいる。わたし、結構いい仕事するじゃん!自分の仕事もなかなか捨てたもんじゃないな、と思った。

わたしはムームーを抱きしめた。

「ムームー。ありがとね。わたし、自分のことなんて全然よく分かってなかったけど、ムームーのおかげでちょっとずつ分かるようになってきたよ。ほんとは、ひとりでももっとちゃんと考えなきゃいけないけど…まだうまくできないからさ、ムームーはそばにいて、わたしのこと見ててくれる?」

ムームーはわたしに抱きしめられたまま、うんうんとうなずいた。そして身体を離すと、右手を差し出して小指を立てた。そうか。いまのムームーには指があるから、指切りができる。

「約束してくれるの?嬉しい。じゃあ…指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます、指切った!」

指切りをして、わたしはまたムームーを抱きしめた。もこもこの身体に顔を埋めて息を吸うと、穏やかな眠気がやってきて、わたしはムームーの腕に抱きとめられたまますやすやと眠りに落ちていった。




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