「山口敬之は刑事では不起訴になったが民事では・・・」論について

最高裁まで行った民事訴訟では詩織さんに有利な判決が確定しました。
これを以て刑事手続きでの不起訴が間違っていたかのように印象操作する人々があちこちにいます。
「民事では最高裁までもが詩織さんに軍配を上げた。刑事手続きでは裁判になる前の段階で事件が潰された。つまり、民事の判断のほうが正しいのだ」というわけです。

逆です。
刑事手続きのほうは警視庁の5人の捜査員によって精緻に捜査され、検事によって慎重に検討された結果の不起訴です。さらに11人の民間人からなる検察審査会においても不起訴の結果は覆りませんでした。

他方、民事訴訟では刑事手続きよりも少ない資料で判断が下されたのです。
警察の捜査資料は法廷に提出されませんでした。
詩織さんが2年以上にわたって秘密録音していた音声データの中で裁判所に提出されのが検事との会話だけだったことが、資料の不十分さを物語っています。

そもそも、民事訴訟は犯罪の有無を追及する場ではありません。主に金銭的な請求について、あくまでも原告と被告の主張に基づいて裁判官が判断を下すものです。
山口さんには強制捜査権がないので、詩織さんの側が都合の悪い事実を隠してしまったら、手の打ちようがありません。
詩織さんの中学時代の大病と鮨屋のトイレでの失神の関係。これなんか、調べようがありません。

それに、裁判官を神格化するのもいかがなものかと思いますよ。
裁判官に神のごとき叡智があるならば、冤罪など存在しないはずです。
彼らはしょせん公務員にすぎないのです。間違いもあれば、不正も行ないます。

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