詩織勝訴は東京地裁の汚い詐術〜3つのポイント〜

伊藤詩織さんが受診した産婦人科医のカルテの記載、『coitus(性交)AM2~3時頃、コンドームが破れた』。
これが真実ならば、山口敬之さんによるレイプなど存在しなかった、ということになります。

カルテの『AM2~3時頃』の記述は、詩織さんが「Black Box」で主張した早朝5時のレイプを否定するものです。
他方、山口さんが主張している午前2時の合意のある性行為の時間帯とピッタリ一致しているのです。

のみならず、最初に詩織さんが警察に訴えたであろう、「意識がない状態でレイプされた」という主張も無力化します。
なぜなら、『AM2~3時頃』と医者に申告できたということは、彼女に意識があったということですから。

すなわち、詩織さんの主張のすべてが嘘ということになります。
訴訟自体が成り立ちません。

それなのに、東京地裁は詩織さんを勝訴させてしまいました。山口さんに330万円の賠償を命じました。
これって、職権濫用罪ではないのですか?

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カルテの真実性についての分析は、権藤しま氏の論考が完璧の域に達していると思いますので、どうぞリンク先で読んでいただきたいと思います。

詩織さん事件のカルテについて思うこと
権藤しま
2020/07/10 15:26
https://note.com/gond523/n/n4c8b6b90ad78

私は別の視点から、カルテの信用性を否定した東京地裁判決のデタラメぶりを批判したいと思います。

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まず、伊藤詩織さんと山口敬之さんの主張の違いについて軽くまとめておきます。

・詩織さんの主張:
早朝5時ごろ、目覚めたら山口さんにレイプされている最中だった。トイレに逃げ込んで体中に傷やアザがあることに気づく。ベッドに引きずりもどされて、暴力的にレイプされかけて膝を負傷。

・山口さんの主張:
性交渉は午前2時ごろ。詩織さんから誘ってきた。

事件があった時間ですら、二人の間で一致していないのです。

しかし、この事件には、第三者による間接的な記録が存在します。
その一つに、詩織さんが事件当日にアフターピルをもらうために受診した産婦人科のカルテがあります。
そこにはこんな記載が。
『coitus(性交)AM2~3時頃、コンドームが破れた』
この一文を素直に読めば、前述のように、詩織さんの主張は嘘、ということになります。何といっても、医師というプロフェッショナルによって、事件当日の詩織さんの生の声が記録されているわけですから。

しかし、東京地裁の判断は違いました。

JUSTICE FOR NY
裁判資料
https://www.justiceforny.com/cont7/32.html
『(4) 原告の供述の信用性に関する被告の主張について
ア   被告は、イーク表参道のカルテには性交渉が4月4日午前2時ないし3時に行われた旨の記載があることから、原告自身、同時刻において意識があったことを認めていると主張する。
 しかし、本件行為時に避妊具が使用されていない点は当事者間に争いがないところ、イーク表参道のカルテには、避妊具が破れたなどと客観的事実に反する記載がある点で、記載内容の正確性に疑義がある。
 もとより、アフターピルの処方のみを目的とする診療で、患者から詳細な聴取がされていないとしても不自然とはいえないこと、原告がイーク表参道を受診したのは本件行為から間もない時点であり、アフターピルの処方の対象となる性交渉の詳細を述べることに抵抗を感じていたと考えられることからすると、原告の曖昧な申告に基づき、カルテに不正確な記載がなされたとの疑念も払拭することができない。
 そうすると、イーク表参道のカルテの記載内容に依拠して、原告が4月4日午前2時ないし3時頃に意識があったと認めているということはできない。』
※ 読みやすくするために改行をほどこしました。

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一般的に判決文というものは悪文ですが、それを差し引いても、上の文章は分かりにくいです。
たぶん、裁判官も不正をやっている自覚があったのでしょう。
それで尻尾をつかまれないように、抽象的で曖昧な、意味のとりづらい文章にしたのでしょう。
一読して理解できなかったとしても、アナタの頭脳に問題があるわけではありません。

では、判決文のおかしなところを三つに絞って指摘したいと思います。

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1)『客観的事実に反する記載がある点で、記載内容の正確性に疑義がある』

使用しなかったはずの避妊具が破れたとカルテに書いてある理由は、次のうちのどちらかです。

a. 詩織さんが医師に「破れた」と申告したから。つまり、嘘を言った。
b. 医師の誤記。

どちらが真でどちらが偽であるかを検証すべきなのに、判決文は何故かaの「詩織さんが嘘を申告した可能性」を初めから排除しています。
aが真実であるならば、医師は詩織さんの「コンドームが破れた」という申告を正確に記載していたことになります。
しかし、東京地裁判決はこの点を完全に無視しました。

そして「カルテの記載の正確性」の問題を前面に押し出して、「詩織さんの嘘の可能性」を隠してしまったのです。
こういう小汚い詐術は、判決の他の箇所にも出てきます。

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2)『原告がイーク表参道を受診したのは本件行為から間もない時点であり、(中略)性交渉の詳細を述べることに抵抗を感じていたと考えられる』

医師は、『性交渉の詳細』など尋ねていませんし、詩織さんも『性交渉の詳細』など述べていません。

「Black Box」P61
『妹に、どこか近所の店で洋服でも見ていて、と声を掛け、一番近くにある産婦人科へ出かけた。そこは、結婚前に診察を受けるブライダルチェックをメインにした小綺麗な病院だった。受付を訪ねたところ、予約がないと診察できない、という返事だった。
 とにかく緊急なので、モーニングアフターピルだけでも処方して下さい、と必死で頼み、何とか診察室に入ることができた。
 対応してくれたのは、四十歳前後のショートカットの女医さんだった。
「いつ失敗されちゃったの?」
 そう淡々と言い放ち、パソコンの画面から顔も上げずに処方箋を打ち込む姿は、取りつく島もなかった。』

つまり、『性交渉の詳細を述べること』というのは裁判官が創作した観念的道具なのです。いわば嘘。

なぜ裁判官はこんな嘘を捏造しなければならなかったのでしょうか?
それは次の結論を導くためです。

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3)『原告の曖昧な申告に基づき、カルテに不正確な記載がなされた』

この『曖昧な申告』というのは何を指すのでしょうか?

法廷での詩織さんへの本人尋問によると、医師には「明け方」と申告したということです。
となると、判決文の『曖昧な申告』の内容は、「明け方」ということですね。

つまり、東京地裁の裁判官が創作した設定のもとで、「『性交渉の詳細を述べることに抵抗を感じていた』詩織さんが「明け方」という『曖昧な申告』をしてしまったから、医師が『詳細な聴取』をせずにカルテに『AM2~3時頃』という『不正確な記載』をした」という理屈が組み立てられたわけです。

しかし現実には、2)で指摘したように『性交渉の詳細を述べること』など求められていませんでした。
『性交渉の詳細を述べること』など存在しなかったのだから、詩織さんが心理的な抵抗を感じるはずもないので、次の『曖昧な申告』にはつながりません。
この時点で因果関係が切れています。

そもそも「明け方」と申告されたなら、医師はそのままをカルテに記載したでしょうに。
この点から考えても東京地裁の判断には無理があります。

要するに、東京地裁の裁判官は詭弁を組み立てるのに多大な努力をしたのでしょうが、詩織さんの「明け方」発言の真実性を証明できていないのです。

しかも、前述したように、判決では詩織さんが嘘をついている可能性を完全に無視した結果、「詩織さんが嘘をついていないことの検証作業」は放棄されました。
つまり、詩織さんが当時医者に『AM2~3時頃』と申告したにも関わらず、後になって「明け方」と主張を変遷させた可能性は依然生きているわけです。(常識的に考えれば、こちらが真実でしょう)

すなわち東京地裁判決は嘘を混ぜ込んだ曲芸的なレトリックであって、それ以上でもそれ以下でもありません。何も証明していないし、何も検証していないのです。
いわば空文。

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【まとめ】

何度も繰り返しますが、判決は、詩織さんが嘘をついている可能性を全く無視しています。その上で、詩織さんの主張のみを重視して、これに反する主張・事実は軽視。
あえて『性交渉の詳細を述べること』という嘘を創作した上で、信用性の高い事件当日のカルテさえも『不正確な記載がなされた』と無効化しました。
東京地裁の無道ぶりは明らかです。

この手の詐術は判決のそこかしこに見られます。
詩織さんを勝訴させるという揺るぎない意思があるのか、それに都合が悪い事柄は「そもそも存在しない」扱いです。
その上で、すべてを詩織さんに有利に解釈して行けば、当然のことながら詩織さんが勝訴します。

普通の人は裁判官が嘘をついてまで詩織さんを勝訴させるなんて夢にも思わないから、「第三者的な立場のプロフェッショナルな裁判官が詩織さんを勝訴させたのだから、やっぱりレイプはあったんだ」と合点してしまうでしょう。
そして、東京地裁の不義不公平な判決が、あたかも水戸黄門の葵の印籠のような効き目を発揮してしまいました。
「裁判官=公正中立の権威」という前提を疑わない真面目な人ほど、この罠に引っかかってしまいました。

この事件の偉大な教訓は、訴訟など裁判官の匙加減でどうにでもなる、ということです。
日本はこんな社会だったんですね。

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