伊藤詩織訴訟の東京高裁判決は山口敬之メルマガで

伊藤詩織訴訟の東京高裁判決を手に入れました。
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手数料は100円でした。

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判決文を部分的に読んでみた感想は「一審の裁判官と同じレベルの不正判決だな」というものでした。
最初から「詩織さんを勝たせる!」という不動のゴールを設定して、全ての証拠と証言を取捨選択した。そんな印象を受けました。
私も勘違いしていたし、おそらく山口さんも彼の弁護士たちも気づかなかったことは、一審も控訴審も法律構成がどうとか証拠能力がどうとかといった次元での審理ではなかったということです。
裁判官の箱庭のような狭隘な価値観に合致しない主張と事実はすべて否定されるか無視されてしまったわけです。

日本の民事訴訟の裁判官はこの程度なんですね。
この事件に関心を持たなければ、私はたぶん一生「裁判官は高潔で公正無比な聖人」みたいな勘違いをしていたことでしょう。
実際は「ごまかし、ごまかし、ごまかし」のトンデモない連中でした。

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かつて読んだドストエフスキーの小説「カラマーゾフの兄弟」の中に、親殺しの濡れ衣を着せられたドミートリーの裁判劇があります。
「物語の最後で冤罪であることが明らかにされるのだろう」と期待しながら読み進みましたが、豈図らんや、ドミートリーは親殺しの判決が下されてシベリア送りになってしまいます。
当時、青臭い高校生だった私には、許しがたい不条理な展開でした。

今回の高裁判決は、私に「カラマーゾフの兄弟」の裁判劇を思い出させてくれました。

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