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「吉岡里帆はグラビアの仕事が嫌だった」というSNSでの拡散から切り取られた発言全文と、本人が本当の意図を語ったインタビュー

緊急性の高いテーマなので、文章にはこだわらず、要点だけを書きます。
埼玉県施設での水着撮影会の野党からの抗議、そして中止と中止撤回というトラブルにからんで、SNSで以下のようなツイートが拡散しています。

商業誌の仕事と9万弱のフォロワーを持つプロのライターのアカウントですが、記事の一部をスクリーンショットで切り取り、最初のツイートを読んだフォロワーが実際のインタビュー記事にアクセスすることはかなり難しい状態です。(その後、スレッドに記事リンクが追記されましたが、ほとんど拡散されていません。閲覧数を見ても、ツイートのスレッド追記されたものはタイムラインにのりにくい傾向があるように思えます。)

ツイートの中の文字を手打ちでグーグル検索に打ち込み、かろうじて引用元の記事に辿り着くことができました。

2017年の6月に掲載された、She isという女性向けメディアで行われたシンガーソングライター、吉澤嘉代子との対談記事の中での発言です。上記リンクでも読めますが、そのくだりのほぼ全文をここに引用したいと思います。

----------She is  引用--------------

—(CDB注:編集部発言)フィクションやフェイクという話で言うと、吉岡さんが以前おこなわれていた、グラビアの話もうかがえたらと。前にイラストレーターのたなかみさきさんと吉岡さんのグラビアについてお話ししたことがあって、なかでも「紐の細さがすばらしい」という話をしまして。

吉岡:紐は細いに限りますよね(笑)。

吉澤:(笑)。

吉岡:あの時間もある種、文字通り切り売りの時間だったんです。だって私は水着姿なんて絶対出したくなかったし、両親からも、「本当に結婚するような人にしか見せちゃだめ」という教育を受けてきたから。それを、全国区の、ワンコインで買える週刊誌で披露して、1週間後には廃棄処分されて。こんなに脱いでも、翌週には別の女の子のことを見るんだろうなと思うと、自分のその「旬すぎる時間」みたいなものがすごく辛かったです。

吉澤:そうですよね……。

吉岡:でもこれを言うと、ファンでいてくれる方たちはすごく怒るんですよね。「応援している人をバカにしてる」という手紙をいただいたこともあります。でも決してバカにしているわけじゃなくて、やりたくないというのは私の偽れない本当の気持ちで、でも、そう思いながらも脱ぐことに意味があると思っていました。嫌なんだけど、自分の夢をつかむために、それをやってほしいと求めてくれる人がいる以上、その人たちに応えるのが私の生き方だということに抗えなかったんです。

私が本当に自分の好きなことだけをする人間だったらーーつまり、人に染まるんじゃなくて自分の色に染めたいような人間だったら、グラビアはやっていなかった。でも、誰かに染められたい以上は、これもやらなければと思ったんです。だから、自分で選んだという自信はあります。同時に、「私は最初にこういうハンデを抱えるんだ」というのもお芝居をしていくうえでの覚悟に繋がりましたし。

吉澤:ハンデと言うと?

吉岡:人は、脱いだ人を「脱いでる人が芝居している」って見るんですよ。脱がない人のことは、はじめから「この人は芝居する人なんだ」という目で見ます。その壁ってすっごく厚くて高くて、自分で自分の首を絞めるみたいな行為をしてしまったと思うこともあります。でも、時間が経って、それがよかったと言ってくれる人がいるのは、やっぱりすごく嬉しい。今となっては、グラビアは本当にやってよかったです。

吉澤:すごく素敵な話。

吉岡:グラビア撮影用の水着って、本当に冗談じゃないくらい痛いんですよ……! スタイリストさんが素敵だって思った布でつくっていて、ゴムとかが入っていないんです。

吉澤:そうなんだ、完全にフィクションなんだね。

吉岡:市販の水着はちゃんと伸びるし守ってくれるけど、私が着ていたグラビア用の水着は、人に見てもらうための水着だったから、ゴムが入っていないどころか、革紐や伸びない布でできることもあって。皮膚に食い込むくらいぐっと縛るから、次の日も跡が残っているんですよ。食い込ませることでお肉がちょっと盛り上がって、それが色気になるという。

—たんに「服を脱いだ」のではなく、文字通り、身体や人生をかけた物語をつくりあげて提示しているわけですね。

吉岡:だから、週刊誌を見るときに本当に考えてほしいのは、写真に写っている子たちは、一世一代の賭けをしているということ。消耗品になることを前提に脱いでいることも含め、いろんなことを思いながら、そこで笑顔でいるんだよっていうのをわかってほしいなと思います。

----------She is  引用ここまで-----------

この記事の中で確かに吉岡里帆さんは、当初はグラビアに抵抗があったこと、両親にもそういうものを否定する教育を受けたことを語っています。男性ファンにそうした内面があったことも知って欲しいと言及しています。しかしインタビュー全文を読めばわかりますが、ここで吉岡里帆さんが語っていることはもっと複雑で、繊細なニュアンスを持った「グラビア出身であることの肯定」なわけです。

少なくともプロのライターがこの記事を読んで

「吉岡:人は、脱いだ人を「脱いでる人が芝居している」って見るんですよ。脱がない人のことは、はじめから「この人は芝居する人なんだ」という目で見ます。その壁ってすっごく厚くて高くて、自分で自分の首を絞めるみたいな行為をしてしまったと思うこともあります。でも、時間が経って、それがよかったと言ってくれる人がいるのは、やっぱりすごく嬉しい。今となっては、グラビアは本当にやってよかったです。」

の部分をまるごと無視し、『「グラビア撮影は嫌だったと言ってる女優さんは結構多い (中略)吉岡里帆「水着姿なんて絶対出したくなかったが夢をつかむため抗えなかった」』と短絡的に要約するのは疑問です。意図的に落としたのか、あるいは単にネットで流れてきたスクショを転載しただけなのかもしれません。というのは、SNS上で吉岡里帆のこの記事は何度も切り取られ、拡散しているからです。

あまりにその回数が多いので、She is 記事のインタビューの翌年2018年には文春オンラインで不正確な引用と拡散に苦言を呈するインタビューまで行われています。

上記でも読めますが、以下引用します。
--------文春オンライン引用-------------

吉岡 グラビアの話、なんかどんどん違う方に話が拡散してて、すごく困ってるんです。全然言いたいことと世間で書かれてることが違っていて。初めは戸惑いもあったけれど、グラビアの仕事ができて、今思うとすごく感謝してて、この仕事をしてる人たちにリスペクトがあるという話をしたのに、「嫌だった」ということばっかりバーッと書かれてしまって。こうやって知らない間に違う情報が流れてくんだと、ほんとにショックでした。初めてグラビアのお仕事を頂いた時は、その瞬間は確かにやったことないし、やる予定もなかったので、動揺したんですけど、でもやっぱりやればやるほど、やりがいを感じているんです。担当してくださった編集部の人も、今でもずっとつながりがあって。昨年も一緒に仕事をして、一番の応援者でいてくださっている人たちです。

―― 事務所の先輩にも、グラビアから女優という道を作った、酒井若菜さんがいらっしゃいますね。
吉岡 朝ドラに酒井さんが出られていた時にご挨拶に行ったことがあって、そこで「頑張ってね」「応援してる」って言ってくださって、すごく嬉しかったですね。酒井さんの現場とかも勉強しに観に行ったこともあるんですよ。

――吉岡さんにとってグラビアのお仕事は、一言で言うとどんなものだったんでしょうか。

吉岡 カメラマンさん、ヘアメイクさん、スタイリストさん、そこで出会った皆さんとは、切っても切れない繋がりができました。本当にかけがえのない人たち。グラビアの仕事をさせていただいたことは今でも感謝してるし、あの時間がなかったら今の自分はない。そのぐらい、やってよかった仕事だと、胸を張って言えます!

そして同時に、間違った情報で、関わった方やグラビアを見て応援して下さっている方達を悲しませてしまい本当に申し訳なく思っています。こうやってテレビや映画に出させて頂ける様になって深く思うことですが、言葉には良くも悪くも絶大な力がある。違う意味、時には正反対に解釈されることもある。自分の発する言葉に対して、責任を持ち真摯に対峙しなければと日々考えさせられています。

-----------引用ここまで----------------

2018年にここまで明確なメッセージを出しているにも拘わらず、グラビアの性的搾取論争が起きるたびに吉岡里帆さんの発言は一部だけ切り取られ、グラビア批判に使われてきました。中には「She is」の全文、文春オンラインの記事を読んでさえ、「そんなのは業界の立場があるからフォローしてるだけ」と無視してまた一部だけのスクリーンショットが拡散されます。「そこだけが本当であることは私たちが決める」とでも言うように。

言葉だけでは足りないのだろうか、とでも言うように、2020年に(注•最初は勘違いして2022年と書いていましたが、2020年と指摘があったので修正します)吉岡里帆さんは「里帆採取」という写真集を出版しました。全体的にアーティスティックな、クオリティの高い写真集ですが、その中には、あえてグラビア時代を肯定するかのように緑のビキニ姿も収録されています。出版の前後には「週刊プレイボーイ」にグラビアとして帰還したことも話題になりました。

当時は、さすがにここまでやればもうあの一方的な引用もなくなるだろうと思いました。でも今年、また同じような引用がされ、数千人がリツイートし、1000万の閲覧がされています。それはまさに吉岡里帆さんが最初の記事で語った

吉岡:人は、脱いだ人を「脱いでる人が芝居している」って見るんですよ。脱がない人のことは、はじめから「この人は芝居する人なんだ」という目で見ます。その壁ってすっごく厚くて高くて、自分で自分の首を絞めるみたいな行為をしてしまったと思うこともあります。

という「首をしめる呪い」そのものに見えます。

WEB媒体の記事はある時、経営的な事情で突然閉鎖され、図書館にもどこにも残らずに消えます。そうなれば誰も発言の検証ができなくなり、ただ意図をもって切り取られたスクショだけが回されることになります。そうなる前にお願いしたいことがあります。

このnoteを拡散してくれとは言いません(拡散してくれたらありがたいですが)。しかしせめてこれを読むあなたの言葉で記事を読み、感じた自分自身の言葉で感想を書いて欲しいと思います。誰かがスクリーンショットで切り取った「呪い」をクリックひとつで拡散するだけではなく。

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