『キリエのうた』に見る、主演でもヒロインでもない広瀬すずの可能性

『キリエのうた』の主演はアイナ•ジ•エンドである。新人シンガーに物語を与えるような音楽映画のスタイルというのは映画界に昔からあって、この作品もそのひとつだと思う。
広瀬すずが演じるのは一条逸子(広澤真緒里)役で、さまざまな色のウィッグを変装するように付け替えながら東京の夜を彷徨う若い女性。観客の目を引きつける役だが、主演でもヒロインでもない。見れば分かるけど、アイナ•ジ•エンドのための映画である。たぶん、広瀬すずはそういう「他人のための映画」で演じるのが嫌いではないと思う。パンフレットの中でも、「コロナ禍中に『岩井俊二監督がアイナ・ジ・エンド主演で映画を撮るんだけどどう?』と事務所の方から聞いて、内容も知らないのに『やるやる!』と受けた」という意味のことをインタビューで答えている。主演やヒロインでなくても全然いいのだろう。

実は同じ岩井俊二監督の『ラストレター』でも、岩井監督作詞による主題歌『カエルノウタ』を歌って音楽番組を回り、新人としてブレイクしたのは森七菜であった。
かつて広瀬すずも『海街diary』で長澤まさみ•綾瀬はるか•夏帆ら先輩の下で注目を集めて一躍名を知られるようになったわけだけど、『水は海に向かって流れる』でも當真あみのいいシーンをアシストしたり、下の世代を引っ張り上げるポジションになってきたということもあると思う。

ただそのこととは別に、今作で演じた付け毛の女、一条逸子(イッコ)を演じるのはすごく楽しそうに見えた。理由のひとつは、イッコが善良な人間ではないからではないかと思う。結婚詐欺を繰り返し警察に追われ、(ネタバレになるが)悲劇的な結末を迎える女。物語の本筋とまったく関係ないわりにやたらと観客の印象に残るその役は、広瀬すずの演技スタイルに合っていたと思う。

広瀬すずは「悪役」を演じる機会に恵まれてこなかった。日本映画版の『サニー』で一番輝いていたのは広瀬すずでも池田エライザでもなく、フリーダムな友人を演じた山本舞香だったが、あの映画で山本舞香以上に広瀬すずが輝く役があるとしたら、池田エライザの顔を切り裂く他校の不良少女、最大の悪役を演じることだったと思う。『ネメシス』もここだけの話、橋本環奈が演じた悪の天才みたいな役と逆にした方がお互いに収まりがよかったように感じる。

でもなかなか、芸能界ではそういかないのだ。日本映画で韓国映画の『サニー』をリメイクする時は、主演を誰にするかという所から集客が計算されていく。広瀬すずが主演でルーズソックスをはいて宣伝に回って、というのはかなり早い段階で決定されることであり、「悪役の方が面白くないっすか?」という思いつきでどうにかなる話ではない。

でもかつて、姉の広瀬アリスとの対談で「同じような役ばっかり来る」と愚痴を言っていた、そういう所から、最近の役柄は少しずつズレていると思う。あるいは本人が意図して、別の役柄を選んでいると思う。

清原果耶、杉咲花とトリプル主演で話題を呼んだ『片思い世界』は、監督とプロデューサーの乗った車が真正面から対向車に突っ込まれて瀕死の重傷を負うという、日本映画界に前代未聞の衝撃的な事故で撮影延期になったままだ。(制作のダメージは大きく、3人とも超多忙な売れっ子なので、再撮影の機会が本当にあるのかも不透明である)

杉咲花も清原果耶も、子役経験があったり、幼少のころからレッスンを受けていたりという蓄積がある。そうした実力ある同世代に対して広瀬すずがはっきりアドバンテージを持ってる点を一つ挙げるとしたら「悪役適性がある」ということではないかと思う。

紀伊國屋演劇賞を受賞した野田地図の『Q』で圧巻だったのは第二幕、陽気で純真なジュリエットから喪服のような灰色の衣装に着替え、死霊のような表情で舞台を彷徨う演技だった。何を考えているのか分からない、人気女優なのに夜道であったら背筋が寒くなるかもしれないと思うような不気味な凄みがあった。広瀬すずの俳優としての力というのは技術以上に、そうした不気味なほどのアナーキーさにあると思う。

今回のイッコはそこまで凄みの効いた役ではないが、フリーダムでアナーキーな人間を演じている広瀬すずはすごく楽しそうだ。良い子は天国へ行けるが、不良少女はどこへでも行ける。悪役を演じる広瀬すずは、きっとこの世の果てまで行くことができるだろう。

ここからは『キリエのうた』で気になった部分を月額マガジンで。

ここから先は

800字
絵やイラスト、身の回りのプライベートなこと、それからむやみにネットで拡散したくない作品への苦言なども個々に書きたいと思います。

七草日記

¥500 / 月

絵やマンガなどの創作物、WEB記事やTwitterに書ききれなかったこと。あとは映画やいろいろな作品について、ネタバレを含むのでTwitt…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?