『流浪の月』試写感想、公開日前日に思うこと

実は『流浪の月』は公開前にオンライン試写で鑑賞させてもらう機会をいただいていたのだが、今月末に発売される『週刊文春シネマ』の「私の映画日記」の中で触れたほかは、ツイッターやノートに書きあぐねていた。
李相日監督は『悪人』でも『怒り』でもこの社会から排除された人たちを描いてきたのだが、予告で流れているように今回それは「小児性愛者」という、現代社会が最も激しく嫌悪し、排除する存在をメインテーマに据えている。
現段階で、試写に対する映画的評価は高い。だが、このテーマが公開後にどう観客に受け止められるか、海外でどう評価されるのかはまだ未知数だ。それほど危ういテーマだが、李相日監督はあえてそのテーマに、日本のマジョリティのど真ん中で支持されている女優、言ってしまえばポスト吉永小百合的なレールを敷かれつつある広瀬すずを選び、広瀬すずもそれに答えた。

いつか広瀬すずは李相日監督と再び映画を撮るだろう、というのは広瀬すずのインタビューを読む誰もが思っていたことだと思う。誤解を恐れずに言えば、『怒り』を2016年に撮影してから、広瀬すずは李相日監督の話ばかりしてきた。是枝裕和、岩井俊二、野田秀樹、坂元裕二という日本のトップクリエイターに賞賛され続けながら、李相日監督の映画では、という話ばかりしてきた。岩井俊二の『ラストレター』の舞台挨拶で、心に残った手紙、というテーマで、李相日監督からもらったダメ出しの手紙の話をしはじめたこともあった。(この手紙の内容自体が今の風潮では糾弾されかねないものである)その李相日監督は5年も新作を撮っていないにも関わらず。

「広瀬すずの代表作を作らなくてはと思った」と李相日監督は『流浪の月』の舞台挨拶で口にした。それは逆に言えば、「あれほど映画賞を受け、トップ監督に賞賛される広瀬すずにはまだ代表作がない」という意味になる。『海街Diary』は出世作ではあった。『ちはやふる』シリーズでは初めての主演作として大きな成功を収めた。だが代表作、という言葉の意味は出世作とも主演作とも違う。「代表作」というのは、その監督や俳優が何者であるのか、どういう存在であるのかを示すような作品だ。李相日監督は、広瀬すずにはまだそれがない、広瀬すずが何者であるのか、他の監督たちはまだ誰も示せていない、と言ったに等しい。そしてそれはある意味では正しい。広瀬すずが何者であるのか、それを広瀬すず本人さえも探し続け、迷い続けた数年間だったと思う。

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