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「上辺だけの付き合い」と「仲良し」

こんにちは、ななしんです。
今回は、ネットにおいての「上辺だけの付き合い」と「仲良し」について自分の考えを述べていこうと思います。

その前に、ぼくは文章を書くことに多少苦手意識があります。
noteの投稿は自分の文章力を向上させることも兼ねていますので、多少の文章の違和感は多目に見て頂けるとありがたいです。
そしてこれから書かせていただく駄文を読んでくださった方がいらっしゃれば、文章構成やnoteの使い方を御教授いただければ幸いです。

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TwitterやInstagramなど見ず知らずの人と容易にコミュニケーションを取れるツールがどんどん普及してきていますが、その中で形成されていく人間関係においてぼくは数年前から違和感を覚えていました。
約10年前のモバゲータウン(響きが懐かしい笑)からネットを利用してきたぼくは、学生が学校内で友達作りをするのと同じようにネット上の人達と関係性を深めていきました。
なのでネット上でもこのようにして人間関係を構築していくのが至極当然のことだと思っていました。
しかし、最近周りには「上辺だけの付き合い」をしている人達が大多数を占めています。
敢えて「上辺だけの付き合い」をしているのなら何も問題ないのですが、「仲良し」だと勘違いしながら「上辺だけの付き合い」をしている人が多いと思ったのでこの記事を書こうと決意しました。


そもそも、「上辺だけの付き合い」とはどういう意味でしょうか。
ネットで調べると以下のように出てきます。

本心では付き合いたいとは思っていないが、体裁のために付き合いを保っている、といった様子を示す表現。 表向き仲はよいが内心では無関心であったり反感を覚えていたりするさま。

簡単に言えば嫌々付き合っている、といったニュアンスですね。
一方「仲良し」をネットで調べると以下のように出てきます(「仲良くなる」で検索しました)。

(1)互いに打ち解けること、親しくなることなどを意味する表現。
(2)ある集団になじむことを意味する表現。


こちらは自分から進んで付き合っている、といったニュアンスですね。
付き合い方の観点で言えば真逆の位置になると思うのですが、何故勘違いされてしまうのでしょうか。


結論から話すと、信者とアンチしかいないからだと考えています。

ぼくがネット上でたくさんの人や界隈と関わってきた結果、ある程度の発言力を備えた「教祖的存在の人」とそれに賛同する「信者的存在の人」のグループが複数存在し、それが一部重なり合いながら形成されているのが界隈というものだと気づきました。
そしてほとんどの人がどれかのグループに属していて、基本的にはその中で、たまに別グループの人達と関わり合っているというのが現状です。
学校のクラスの中にいくつかグループが存在していて、状況に応じてグループを行き来している状態と似ています。


そのグループには宗教と同じで理念のようなものが存在しています。
みんなで仲良くしようという平和主義タイプ、ある一定の個人やグループを敵とみなしみんなで攻撃しようとする過激派タイプ、大きく分けてこの2つのタイプに分かれています。

ただ、この2つのタイプのグループどちらについても内輪での関わり方は「上辺だけの付き合い」に該当します。

平和主義タイプの場合、理念上そのグループに属する全ての人と親しそうに関わらなければなりません。
例えその中に自分の苦手な人がいたとしてもです。
人を苦手になる理由は多々あると思いますが、一度苦手になってしまうとその人と親しくすることは限りなく不可能に近いですよね。
そうなると、苦手な人とは親しく見えるように取り繕いながら関わりを続けていくことになります。
更に、グループ内の人が何か物事に関して発言した場合、それに賛同しなければならない空気が流れます。
そしてそれはちょっと違うんじゃないかな、といった軽い指摘すら悪と認識されます。
そうなったら最後、水面下でその人を隔離するような口裏合わせが発生し、徐々にその人の周りから人が離れていきます。
そして最終的にそのグループから完全に追放されます。
この流れをグループに属している人のほとんどが知っているので、こうならないように本心でなくても賛同することしかしなくなります。
これはもう「上辺だけの付き合い」以外の何者でもありません。

過激派タイプの場合、そもそも他者を攻撃することが軸となり関係性が繋ぎ止められています。
もちろんその軸もかなり不安定なものであり、ちょっとしたバランスの偏りでいとも簡単に崩壊してしまいます。
例えば攻撃に参加する頻度が減ったり、1%でも攻撃相手を擁護するような発言をしたり、攻撃の仕方を間違えるだけで一瞬で関係性が崩壊し、人が離れていくだけではなく攻撃対象にされます。
こうなると個人vs集団のリンチ状態になるためとても勝てる見込みがありません。
そうなることを防ぐために自分の思考を封印し、グループに忠誠を誓うことでしか生きていけなくなります。
こうして「上辺だけの付き合い」になっていきます。

この2つのグループのどちらかに属してしまうと自分の意見が強く言えなくなってしまい、少しずつ思考が失われ、グループ全員が教祖的存在の人が発した意見に乗っかるようになっていき、行動や言動まで似通っていきます。
自分の意見が言えないことはとてつもないストレスを感じるものです。
そのストレスを緩和させるために、教祖的存在の人の意見に完全に同意だと無意識のうちに自分で自分を錯覚させるようになるのです。
それを続けることにより最終的には完全なる思考停止に陥ってしまいます。
そして思考停止に陥った人達はそれにすら気付くことなく「上辺だけの付き合い」を「仲良し」と勘違いしたまま人間関係を構築していくことになります。

つまり「信者的存在の人」が同時に、この思想以外は受け入れんとする「アンチ」の役割も果たしており、その人達が「仲良し」と勘違いしたまま「上辺だけの付き合い」をする人達を増やしている、ということになります。
「仲良し」を作りたいと思いネットの世界に飛び込んできた人達は、「上辺だけの付き合い」をしている人達に自分達のグループに来ないかと勧誘され、その中から属するグループを決め、「上辺だけの付き合い」をしていき、また新規の人を勧誘するという悪循環が生まれてしまっているのです。

では「仲良し」は作れないのかというとそういうわけではありません。
当然「仲良し」グループも存在しています。
ただ、「仲良し」グループはほとんどの場合目立ちませんし見つけることも簡単ではありません。
なぜなら「上辺だけの付き合い」グループが常時勧誘のために活発に動き、両腕を拡げてグループを拡大しようとしているからです。
「仲良し」グループはその拡げられた両腕のはるか向こうで特別拡大しようともせずしっぽりと活動している場合が多いのです。

「仲良し」グループを見つけるためにはしばらくの間、全ての人と一定の距離を保ちながら関わるようにする事がとても大切です。
そうすることにより自分と関わる人が「上辺だけの付き合い」グループ、「仲良し」グループのどちらに属しているかがわかるようになってきます。
「上辺だけの付き合い」グループに属している人達の大きな特徴としては、関わり始めてすぐに自分達のグループに来そうにないとわかると勧誘の手を緩め、両腕を降ろしてくれるということです。
なのでしばらく距離を保っているうちに腕が降ろされ、奥にいる「仲良し」グループが見えてくるというわけです。
そうなったら「上辺だけの付き合い」グループの間をゆっくりと歩き、「仲良し」グループの近くまで行き仲間に入れてほしいとお願いするのです。

「仲良し」グループの人達はこういった人は快く歓迎してくれます。
「仲良し」グループでは、良くないことをしていいたら指摘していいし指摘もされます。
良いことをしていたら肯定していいし肯定もされます。
こうして互いに高めあうことが出来るとてもいいグループです。

この記事を読んでくださったみなさんは「上辺だけの付き合い」グループと「仲良し」グループ、どちらのグループに属していますか?
そしてどちらのグループに属したいですか?
もし希望と現状が異なるようであれば今一度人間関係を見直した方がいいと思います。
ネットでは人と簡単に関わることができ、簡単に関わりを断つことができるのがメリットでありデメリットでもあります。
そしてやり直しが効くことが大きな魅力です。
間違えたと思ったらやり直せばいいのです。
こうして1人でも多く心地よい人間関係を築けることができることをぼくは願ってます。


なんの影響力もない1人の一般人の戯言でしたがこの長文・駄文を最後まで読んでいただきありがとうございました。

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