Daily drawing/手の思考
手の思考、手は思考する。
学生時代に、S先輩から聞いたフレーズだ。
描くという行為。
紙の上に筆を走らせる。はじまりは、言葉によらない手の動き。軌跡が現れると同時に、思考が立ち現れる。言葉は、そのずうっとうしろから追い縋るようについてくる。追いつかれれば、言語の専制の中に放り込まれ、文節化し、解体され、置き換えられて一般化するかもしれないけれど、連続していた自由なイメージの輝きは失われる。
言葉がはじまりに準備されて創作や造形が始まるとすれば、そこから生まれるのは観念的なもののうちにとどまり、到底概念を示したり自明性を打ち破るものは生まれない。
描くということは、手の思考と言える。手が記憶したこと、身体と行為と光が同時に感応し合う場としての画面に思考が生じる。
職人の技巧や手業といったものとは似て非なるものが、アーティストの描くという行為であり、そこを通して、初めて概念が立ち現れる。
そのために、毎日ドローイング、ドローイング、ドローイング。
日々ドローイング、とにかくドローイング
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