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アメリカン・ウォーターフロントのかぎを借りている

 私の思う現世いちのナイスガイ・BTSのV(キム・テヒョン)の教えによれば、ちょっと落ち込んだ時は昔の異国の曲を聴くとよいそうだ。
 落ち込んでいる。寂しく、誰も私の話を聴いてくれない気がする。気を遣ってばかりでへとへとなのに空回りするし、うまく疲れがとれなくて肌荒れとアホ毛がすごいし、部屋も魔窟、目も疲れたし。30分くらい落ち込もう……と電気を消し部屋をまっくらにした時、このVの教えを思い出した。

 Vは、どれだけ煌びやかな事物に囲まれても秋冬の澄んだ空気をまとい、落ち着いた気持ちで自分の時間を旅することを教えてくれる人だ。

あるインタビューで、ルイ・アームストロングなど昔の音楽を聴くときの気持ちについて、こう語っていた。

気持ちがちょっと落ち込んでいる時に曲を聴いて物思いにふけると、重苦しかったものとかも消えて、気持ちがちょっと楽になるように思います。それと、イメージを思い浮かべさせてくれるんです。例えばある曲を聴いた時は、どこかの地域の夜の通りを歩きながら、前にある何かを見るとかいったことをずっと考えさせられます。

引用元weverse magazine interview
https://magazine.weverse.io/article/view?lang=ja&colca=1&num=212


曲を聴くとき、今ここではないどこかの景色に行ってみることができるのか!
自分はどんな曲を聴くときも、目の前の景色と一緒に味わったり自分の記憶を呼び覚ますだけだったので、知らない世界への逢坂の関がバーンと開いたようだった。

今ここではない場所の音楽を聴くことで、そこへ想像のなかで出かけること。その世界は自分だけのためにあり、1人でのんびり散歩ができるのだな。

現実逃避したかったし、ここではないどっかに行きたかったし、目を閉じたままぼーっとして疲れ目を休めたかったので、今こそVの教えを実行してみることにした。

昔のアメリカの楽曲を探す。Vの挙げたルイ・アームストロングがアメリカの人だったためだ。自分の心境に合わせ、何となく、ひとりきり、という感じのする静かな曲を検索し、ベッドに腰かけて目を閉じ、再生してみる。以前耳にしたことはあったが、歌詞や歌手についてはよく知らず、おぼろげな印象のままだった曲だ。


ニーナ・シモン「リトル・ガール・ブルー」

ひとつのピアノの音で始まる。ピアノの音でできた星が、ひとつ現れ、ふたつになり、遠くからこちらに向けて瞬くようなイントロ。わ、わたしですか。と思う。そうあなた、と言われる感じ。やがて星は雨に変わって降り注ぐ。少し強まり、そこで雨雲がさっと晴れ、低く静かな歌が始まる。おお、景色が見える気がします。

Sit there and count your fingers
What can you do
Old girl you’re through
Sit there, count your little fingers
Unhappy little girl blue

座って指折り数えてみて
何ができるの
元少女、君はもうおしまい
座って小さな指で数えてみて
不幸なリトル・ガール・ブルー
Sit there , count the raindrops
Falling on you
It’s time you knew
All you can ever count on
Are the raindrops
That fall on little girl blue

座って頭の上に落ちてくる
雨粒を数えて
そろそろ気づくときだ
数えられるのは
自分の上に降る雨粒だけだと

音も歌詞も沁み入る。

 ニーナ・シモンについては、ドキュメンタリー映画「ニーナ・シモン〜魂の歌(原題:What Happened, Miss SImone?)」に詳しい。

クラシックのピアニストを目指したが当時の人種差別により叶わなかった。猛練習で培ったクラシックピアノの基礎と有り余る才により、ジャズ、ブルース、レゲエ、ポップスなど、ジャンルを軽々と横断して世界を席巻した伝説的歌手となる。だが多忙や夫からの暴力などにより精神のバランスを崩し、双極性障害に苦しむ。公民権運動に精力的に参加したことで仕事も減り、一時は表舞台から姿を消す。

彼女の内にはのたうつ竜巻のような激情があり、夫婦や家族の問題、暴力があった。雨だれのピアノだけでなく、時には叩きつけるようなピアノに喉を枯らして「クソッタレ!」と歌ったりもしていたし("Mississippi Goddam"。メッセージの籠った、民衆の怒りを代弁した曲で、公民権運動のテーマソング的にも扱われたという)、今にも発狂しそうなひきつった顔で観客席を見渡しておりこちらもハラハラしたり、かと思うとふっと微笑んでリトルガールブルーを弾くので安心するのだが、娘が彼女から受けた暴力を回想するシーンなどはやはり恐ろしく。
感情移入はできず、遠い存在に感じる。とても私ひとりに歌ってくれそうな人には思えない。

それでも、この人の歌う「リトル・ガール・ブルー」という曲は、こんな未来の日本人の小娘をも、1967年のアメリカのコンサートホールへ招き入れて、私ひとりに、と思わせてしまう力を持っている。
彼女を語るうえで、生きた時代とその人生は切り離せないのだろうが、私はただ、彼女の降らせる星と雨が好きだ。

例えれば「どうぶつの森」のとたけけのライブさながら、真っ暗な中にニーナとピアノと自分のみがいる亜空間にいたようだった。曲が終わっても静かな感動が冷めやらず、まだ現実に帰ってきたくなかったので、そのままコンサート会場からふらふら外に出るのを想像してみた。1967年のアメリカ、モントレー州という湾ぞいの街だそうだ。Vのように散歩しよう。日は沈んで電灯が煌めき、足もとはレンガでブーツがこつこつ、大きな旅客船が停泊する港の通り。路面電車の線路、お土産屋……

実はアメリカへ行ったことがなく、映画など現地の映像もあまり見ず、知っているアメリカの景色といえば東京ディズニーシーのアメリカンウォーターフロントくらい(偏見)なので、途中からディズニーシー風の景色になってしまっていることに気づいたが、きれいなのでよしとする。いつか本物のアメリカへ行き、景色の引き出しを増やそうと決意した。そのまま歩き、しばらく現実での憂鬱を忘れてぼーっとした。できたかもしれない。

以後、昔のアメリカの楽曲を聴いてはアメリカンウォーターフロントへ出かける遊びにハマっている。疲れ切った退勤路、駅前のシャッター商店街も、シャネルの香水のCMにもなった"My Baby Just Cares For Me" を聴きながら歩けば、漢方薬局のショーケースが香水の飾られたウインドウに見え、自分までいい香りのお姉さんになった気分で足どりが軽くなる。


いつでも容易く想像できるわけではない。しんと静かな気分で、電燈やレンガや光る水面や喧騒が恋しく、どこかに出かけたくてたまらないときである必要があるので、もって一週間くらいだろうか。7泊8日で、アメリカを夢見るかぎを借りているような気持ちだな。



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※追記

●リトル・ガール・ブルーという曲は、ニーナ・シモンのオリジナルではない。
「ジャンボ」というミュージカルが初出で、サーカス団員の女性の心情を歌った挿入歌だったのを、さまざまな歌手がカバーしている。ニーナ・シモンは少しアレンジしてのカバーのよう。ほかに、伝説的ロックシンガーのジャニス・ジョプリンのカバーも有名で、彼女のドキュメンタリー映画のタイトルにまでなっている。双璧扱いされることもあるそうで、いつか比較してみたい。


●BTSのV(キム・テヒョン)さん。
彫刻も逃げ出すと言われる端正な顔立ちと自由自在の表情ダンスの表現力、3オクターブの声域と深い声、子供のような純粋さと静謐さを併せ持つ現世一のナイスガイ。
そうだ、彼らは今ごろニューヨークにいるという。ニューヨークにいるVを想像しようとするも、ディズニーランドのカントリーベアシアターがあるエリアしか想像できなかった。情けないが、それはかわいい。
熊といえば、Vさんのソロ曲「winter bear」はイチオシ。これも、だれかひとりに向けて歌う曲な気がする。「彼女は青いオウムのよう」という歌い出しが大好きである。





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