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予感

大学受験の冬、神社にお参りしてから学校へ行っていた。入試まで三週間、できることを全てやったうえ、さらに他の人がやらない方法で神頼みし、全国の受験生の中でぬけがけしようと企んだ。一時間半早い電車に乗り、遠回りして公園を通り、けやきの樹の覆いかぶさる鳥居をくぐった。
拝殿の正面に立つ音のない瞬間が好きだった。気持ちを真空にし、鞄を地面に降ろし、右手を左手より少し下げて柏手をうった。
境内にある稲荷神社にもお参りした。小さく細い鳥居をくぐり、白い陶器のきつねにお参りした。二匹のきつねの間にお猪口が置いてあり、朝早いのに酒がつがれていることがあった。私も、小さなみかんをお供えしたことがあった。あれは適切だったのだろうか、翌日にはなくなっていた。

なぜあの神社にお参りしようと思ったかは思い出せない。
私の場合、きっかけが思い出せないことのほうが、重要なことなような気がする。

無事受験が終わり、お礼のお参りもした。引っ越して行きづらくなったが、思い出したときやつらいとき、たまにたずねた。
数年まえ、就職してまた近くに帰ってきた。ある日、職場のギャラリーの前で大泣きしてしまったうえ、明日どうしても嫌な謝罪がある、というときに、まだ帰りたくなくて(帰ったら眠るようで、眠ったら明日が来るので)、泣きながらあてもなく歩いていたら神社の方に来ていたので、お参りした。
(こんばんは、明日、どうかどうかお守りください)

風の強い日で、けやきがゴウゴウざわめいていた。梅が咲きそうで、おいしそうな蕾が天蓋のようにひろがり無数に見えた。それで急に思った。

(ていうか、優しくておいしそうできれいな草木たち、なんだか私はあなたたちと一緒に働きたい気がするのだけど、だめですか)

考えたこともなくて、なぜそんな発想になったかわからないが、一度思いついたら止まらなくなった。で、期間限定だが、その神社のある公園を管理する事務員として働くことになった。こんなに願いが叶うことは人生でそうそうないと思う。
苦労もしたが、きれいなものをたくさん見た。雨でずぶ濡れになったり、腰を痛めたり、怒られて泣いたり、虫だらけになったりもしたが。全部嫌になって、反対方向の電車に乗るやつをやってあわや帰れなくなったこともあったが。
草木の名前を多く覚えた。まだ朝になる前の朝日も、透ける花びらが降って重なった絨毯も、太ったねこも、暗殺が起きそうな大雪も、きれいなものを見たら何度見でもしてよく、いつまででも見ていてよかった。

数年経った。今は別の場所で、一瞬でも夢見心地になれば討たれる環境で勤務している。既に何度か討たれた。
さすがに、辛くても涙が出なくなってきた。
そういえば、就職した年、意地悪なまだむ、ありけり。若いパートタイムの女性を見て、「あの人も生意気に擦れてきたね」と噂しているのを聞いた。
私も一部、「生意気に擦れてきた」のかもしれない。

今朝、急に思い立って、午後にさるすべりの海をたずねたところ、白いさざんかが咲きこぼれていた。かつての上司が庭に出てきてくださり、少し話した。

「あなたがいた一年は、最良の年だった。庭が、あなたに担当してもらえて喜んでいるのが、私にはわかった」
何も言えなくなり、かろうじて「ウー、私にとってもここは、ユートピアで、パラダイスで、本当にきれいで、本当にきれいで」

師匠にとっても最良の一年だったという、あの一年のこと、今すぐに説明しようとしても「きれいだった」としか言えない。特に口でもっと正確に言おうとすると、言いなずんだ震え声になるし(私はいつもその喋り方をして職場で討たれる)……

でも、書き言葉ならもっと詳しく伝えられる。
何度もいろんな角度から想起し、時間をかけて書いては消しを繰り返すと、「きれいだった」をもっとひらくことができて、緻密に積み上げれば、触れられそうな位に現前させることもできる。私はそれを、詩と小説で知り、信じるようになった。ことばによって見える景色のほうが、目の前の現実よりも重くなってしまうよう語ることは可能なことのはずだ。
だから早起きし、着席し、修練をつまねば。
と決意していたことを、また今日思い出しました。

帰り道、またお参りしてきた。お稲荷さんにもお参りした。
呼ばれた方に行くのみである。


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↓高校生のころ、神社へ続く公園の道を歩きながら聴いていた曲。アニメ「RDGレッドデータガール」のEDを、主人公・鈴原泉水子を演じた声優・早見沙織さんが歌ったもの。

誰かが私を呼ぶの
どこかで私を呼ぶ
「予感」伊藤真澄

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