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揺穂の記憶

今日は体に力が満ちており、いつもの、「出勤してからどんなわざわいが待ち構えているかわからないので武装と精神統一をせねば」という胸さわぎがない。月曜の朝のくせに!

なぜかというと、

昨日、読書会があって、私のいちばん好きな本のうちの一冊を紹介させていただいた。上橋菜穂子さんの『狐笛のかなた』という本。
本の中の景色の中に行く、というのを教えてくれた本だった。昔の日本のような場所が舞台なので、昔の日本に行ったことのある人になってしまった。読み終えてから、自分が生まれるずっと前のむかしを懐かしく思うようになった。いま古文が好きな原点はこの物語だと思う。

装丁や挿絵も美しい本だ。特に好きなのは、目次と登場人物紹介のページに、主人公の妖狐・野火がすすき野を駆けるさまが水墨画で描かれていること。

駆ける野火
野火が走り去ったあとの静寂


そして冒頭の、怪我をしたきつねがすすき野を逃げる場面が始まる。もうだめかと思ったときに、主人公の小夜に助けられて物語が始まるのよね。
あれから私にとっても、すすき野はなつかしい。

すすきではなく稲だったが、私も揺れる穂のなかで助けられたことがある。
「揺穂」という名前のついた、稲の波のような黄のネイルをぬって仕事に行った日、キーボードを打っていたら爪の色が見えて、手が止まった。「揺穂だ」と思いじっと色を見ていたら、どこか広い土地で、風に揺れる一面の稲穂が金や銀の波に見える静かなところに立っている気がして、しばらくそれを見た。被っている帽子が風に飛ばされそうになるのをおさえた。電話が鳴った、揺穂がふっと消えてきれいな爪が見えた。呼吸がかるく、さっきまで胸にせりあがっていた焦りや恐怖が取り除かれていた。驚いて笑ってしまった。

あの揺穂がなつかしいのも野火の駆けるすすき野を見てからではなかろうか。またあそこへ行きたいな。蜂蜜で煮たくるみをそば粉の生地でくるみ、茹でてから網で焼いたくるみもちを持って、竹筒の明かりをともして、友だちのところに持って行って食べたいな。

身支度の時間になったので、私のほうはぱんを焼いてきます。小窓の外は青くかすむ早朝です。小夜さんにもこんな朝があったかな。あの記憶がそばにあるので、今日の私は大丈夫。

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