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幸田露伴の小説「五重塔6~10」

         その六

 「何をののしり騒ぐか」と、上人が下された鶴の一声に群雀(ぐんじゃく)の輩(やから)は鳴りをひそめて、振り上げた拳の隠すところも無く、禅僧の問答で有りや有りやと云いかけられたように、一喝されて腰砕けのような格好になる者もあり、まくり上げた袖をきまり悪そうにおろしてコソコソと人の後に隠れる者もあり、天を向いた鼻の孔から烟(けむり)を噴くほどの驕慢な怒りに意気高ぶっていた為右衛門も、少しは恥じたか首を垂れ掌をもみながら自分が起こした事だが仕方なく、事の次第を我田に水を引きながら申し述べれば、痩せて皺(しわ)のある顔に深く長い法令線の皺溝(しわみぞ)を一層深めて、にったりと徐(ゆる)やかに笑われて、女性のような軽く軟らかな声も小さく、「それならば騒がなくともよいこと、為右衛門そなたが素直に取り次さえすれば済むものを、サア十兵衛殿とやら儂についてこちらへおいで、とんだ気の毒な目に遇わせました」と、万人に尊敬され慕われる人は常人とは別の心の在り方、無学を軽ろんじず下の者をも侮らず、親切に温和にやさしく、先に立って静かに導きくださる後について、迂濶な気質にも慈悲が浸み透って感涙を止めかねる十兵衛、だんだんと赤土のしっとりとしたところ、飛び石が画のように敷かれているところ、梧桐(あおぎり)の影深く四方竹(しほうちく)の色ゆかしく茂るところなどを通り過ぎて、小さな折戸を入れば、コレと云う花も無い小庭はただもの寂びて、有楽形(うらくがた)の灯籠に松の落葉が散りかかり、苔むした方星宿(ほうせいしゅく)の手水鉢(ちょうずばち)は見る眼の塵を洗うばかり。
 上人は庭下駄を脱ぎすてて上にあがり、「サア貴方もこちらへ」と云い添えて、手に持たれた花をさっそく釣り花活けに投げ込まれると、十兵衛も中々に怖(おめ)ず臆(おく)せず、手拭で足を叩くのも忘れ草履を脱いで、のっそりと三畳台目の茶室に入り込み、鼻を突き合わすばかりに上人に近づき座って黙々と一礼する態度は、礼儀に慣れてはいないが充分に偽りの無い真(まこと)の心を表し、何度か直ぐにも云い出そうとして、尚も開きかねる口をようやく開いて、舌の動きもたどたどしく、「五重の塔の、お願に出ましたのは五重の塔のためでござります」と、藪から棒を突き出したように尻を持ち上げ声の調子も不揃いに、やっとのこと胸にあることを額や腋の下の汗とともに絞り出せば、上人も思わず笑いを催されて、「何か知らないが、儂を怖い者と思わないで遠慮なくゆっくりと話すがよい、庫裡の土間に座り込んで動かないでいた様子では何か深く思いつめて来たことであらう、サア遠慮をなく急がずに、儂を友だちだと思って話すがよい」と、あくまでやさしい心添え。十兵衛は脆(もろ)くも、フクロウと常々悪口を受けている眼に早くも涙を浮べて、「ハイ、ハイ、ハイ、ありがとうござりまする、思いつめて参りました、その五重の塔を、コウ云う野郎でござります、御覧のとおり、のっそり十兵衛と口惜しい諢名(あだな)をつけられている奴でござりまする、しかし御上人様、本当でござりまする、仕事は下手ではござりません、知っております、私は馬鹿でござります、馬鹿にされております、意気地の無い奴でござります、虚は中々申しません、御上人様、大工は出来ます、大隅流は子供の時から、後藤と立川の二ツの流義も合点致しておりまする、させて、五重塔の仕事を私にさせて頂きたい、それで参りました、川越の源太様が見積もりをしたと五六日前に聞きました、それから私は寝ません、御上人様、五重塔は百年に一度、一生に一度建つものではござりません、恩を受けております源太様の仕事をとりたいとは思いませんが、アア、賢い人はうらやましい、一生一度、百年一度の好い仕事を源太様はなされる、死んでも立派に名を残される、アアうらやましい、うらやましい、大工となって生きている生甲斐もあろうというもの、それに引き代えこの十兵衛、鑿(のみ)や手斧(ちょうな)を持てば源太様であっても誰であっても、打つ墨縄(すみなわ)に曲ることはあっても、万が一にも後れを取るような事は必ず必ず無いと思うのに、年がら年中長屋の羽目板繕(つくろ)いや、馬小屋の箱溝などの数(かず)仕事、天道様が知恵というものを俺には下さらないから仕方がないと諦めていても、下手な奴等が宮を作り堂を請け負い、見る者の眼から見れば、建てさせた人が気の毒なようなものを築造(こしら)えるのを見る度(たび)ごとに、内心自分の不運を泣きますハ、御上人様、時々は口惜くて技倆(うで)もない癖に知恵ばかり達者な奴が憎くもなりまするハ、御上人様、源太様はうらやましい、知恵も達者なら技倆も達者、アア、うらやましい仕事をなさるのか、俺はヨ、源太様はヨ、情けないこの俺はヨと、うらやましいのがツイ昂じて女房にも口をきかないで、泣きながら寝ましたその夜のこと、五重塔を貴様作れ今すぐ作れと怖しい人に云い付けられて、慌てて飛び起きざまに道具箱へ手を突込んだのも半分は夢で半分は現実(うつつ)、眼が全く覚めて見れば指の先を鐔鑿(つばのみ)に突っかけて、怪我をしながら道具箱につかまって、いつの間にか蒲団の中から出て居た詰らなさ、行灯の前にボンヤリ座ってアア情けない詰らないと思いました時のその心持ち、御上人様、解りまするか、エエッ解りまするか、これが分って呉れれば塔も建てなくてもよいのです、どうせ馬鹿なのっそり十兵衞は、死んでもよいのでござりまする、腰抜け鋸(のこ)のように生ていたくもないのですハ、その夜それからというものは真実(ほんと)、真実でござりまする上人様、晴れている空を見ても、灯りの届かない室の隅の暗いところを見ても、白木造りの五重の塔がぬっと突立って私を見下しておりまするハ、とうとう自分が造りたい気になって、とうてい叶わないとは知りながら、毎日仕事を終えると直ぐに夜を徹して五十分の一の模型をつくり、昨夜で丁度仕上げました、見に来て下さい御上人様、頼まれもしない仕事は出来て、したい仕事の出来ない口惜さ、エエッ不運ほど情けないものはないと私が嘆けば御上人様、なまじ出来なければ不運も知るまいと女房がその模型を揺り動かしての述懐(じゅっかい)、無理とは聞えないだけに余計泣きました、御上人様どうかお慈悲に今度の五重塔を私に建てさせて下さい、拝みます、こここの通り」と、両手を合せて頭を畳に着け、落ちる涙に塵を浮べる。

注解
・法令線:鼻から口の両端に出来るシワの線。
・有楽形の燈籠:有楽流茶道の祖、織田有楽斎の好んだ形の灯籠。宝珠は無く、天辺から足元まで丸みをおびている。
・方星宿の手水鉢:正面に星の字が彫られた縦長の四角柱状の石で出来た手水鉢。
・三畳台目の茶室:三畳の畳と台目畳(一畳の四分の三の大きさの畳)で造られた茶室。
・大隅流、後藤流、立川流:江戸時代の大工集団各自の工法、後藤流は建築彫り物。
・鑿・手斧・墨縄:大工道具、鑿は孔掘り、手斧は面削り、墨縄は線引きに用いる。
・長屋の羽目板:一ツの長い家を幾つかに内壁で区切って数家族が住む家(長屋)のも木製の外壁、
・馬小屋の箱溝:馬小屋の排水のための箱型の溝。
・数仕事:出来栄えでは無く、数で稼ぐような仕事。
・鐔鑿:一定の深さまでしか彫れないようにつばを付けた鑿。
・腰抜け鋸:腰が甘いので押す時に曲る鋸。

       その七

 木彫りの羅漢(らかん)のように黙々と座って、菩提樹の実の珠数を繰りながら十兵衛のとりとめもない述懐に耳を傾けておられた上人、十兵衛が頭を下げるのを制し止めて、「解りました、能く合点が行きました、アア殊勝な心掛を持っておられる、立派な考えを持っておられる、学徒共の手本にもしたいような、儂も思わず涙がこぼれました、五十分の一の模型とやらも是非見に参りましょう、しかし貴方に感服したからと云って今直ぐ五重の塔の工事を貴方に任すと、軽はずみに儂一人の独断では決められない、これだけはハッキリと断っておきますゾ、いずれ頼むか頼まないかは正式に儂からではなく感応寺から知らせましょう、ともかく幸い今日は暇があるので貴方が作った模型を見たい、案内してこれから直ぐ貴方の家に儂を連れて行ってはくれないか」と、少しも偉そうにすることなく、筋道明らかに言葉素直に云われて、十兵衞は満面に笑みを含んで、米つきバッタのようにむやみに頭を下げて、「ハイ、ハイ、ハイ」と答えていたが、「願いをお取上げ下されましたか、アア有難うござりまする、私の家へお出(い)で下さりまするか、アア勿体ない、模型は直ぐに私メが持ってまいりまする、御免下され」と云いさま、流石ののっそりも喜びに狂って平素には似ず、大袈裟に一ツぽっくりと礼をするや否や、飛石に蹴躓(けつまず)きながら駈け出して我が家に帰り、帰ったヨとの一言も女房に云わず、いきなり模型を持ち出して、人を頼んで二人して息せき切って感応寺へと持ち込み、上人の前に差し置いて帰ったが、上人がこれを熟々(よくよく)視たところ、初重から五重までの釣り合い、屋根と庇の勾配、腰の高さ、垂木の割り振り、九輪(くりん)の請花(うけばな)や露盤や宝珠(ほうじゅ)の体裁まで、どこにも厭やなところが無く、水際立った細工ぶり、これがあの不器用そうな男の手に成るものかと疑うほど巧みなので、ひとり密かに感歎して、「これ程の伎倆を持ちながら空しく埋もれて、名も出せずに世を経る者もある事か、傍眼(はため)にさえも気の毒なものを、当人の身となってはどんなに口惜いことであろう、憐れこのような者に、出来ることなら手柄を挙げさせ、多年抱く心願をかなえさせてやりたい、草木と共に朽ちて行く人の身はもとより因縁和合の仮の姿、たとえ惜んでも惜んで甲斐なく止めても止まらないが、たとえ大工の道は小さくとも、それに一心の誠を傾け命をかけて、慾も大概は忘れ、卑劣な念(おもい)も起こさずに、ただただ鑿(のみ)を持って能く穿(ほ)ることを思い、鉋(かんな)を持っては好く削ることを思う心の尊さは、金にも銀にも比べ難いのに、わずかに遺す機会もなく、徒(いたず)らに墓の土に埋め冥途の土産にすると思えば、憐れ至極なことである、良馬が主を得ない悲しみ、高士が世に容(い)れられない恨みも、結局は同じこと、よしよし、儂が図らずも十兵衞の胸中に理想の五重塔の微光を認めたのも縁である、この度の工事を彼に命じて、彼の誠の心にせめて少しは報いてやりたいと思うが、フト気付けば川越の源太もこの工事を熱心に希望する、そのうえ彼には本堂や庫裏客殿を作らせた因縁もあり、しかも見積書まで早やくも出して、私が見たのは四五日前、伎倆は彼も鈍くない、人の信用は遥かに十兵衞を超えている、一ツの工事に二人の大工、コレにもさせたいしアレにもさせたい、どちらにしようか」と、流石これには上人も迷われた。

注解
・羅漢:阿羅漢の略、悟りを得た仏道の聖者。(五百羅漢など)
・因縁和合の仮の姿:一切のものは因と縁が和合して生じたもので、その姿は仮のものである。

       その八

 「明日の朝八時頃までに当寺へ来られたい、かねて其方(そのほう)が工事を仰せつけられたいと願い出た五重塔の件について、上人が直接にお話しするとのことなので、衣服等の失礼の無いように注意して出頭せよ」と、厳かに口上をのべるのは弁舌自慢の円珍で、唐辛子をむやみに好んで食うたたりが鼻の頭に顕われた滑稽な納所坊主(なっしょぼうず)。普段なら南蛮和尚と云う諢名(あだな)を呼んで冗談口をきき合う間柄だが、本堂を建立するうちに朝夕顔を合わせて自然と狎れ親しんだ仲も今は薄くなった上、使いの僧らしく威儀をつくろい、人さし指と中指の二本でともすれば頭のてっぺんを掻く癖のある手を、法衣の袖に殊勝くさく隠しているのに、源太も敬いつつしんで承知の意向を頭を下げながら答えたが、如才のないお吉は吾夫をこのような俗僧にまで好く思わせたいのか、帰り際に出したまま残して行く茶菓子と共に幾らかの銭を包んで、「是非に」と云って取らせたのは、思えば怪しからん布施の仕方である。円珍は十兵衛の家にも来て同じ事を述べて帰ったが、サテその翌日になると源太は鬚を剃り月代(さかやき)をして衣服を改め、今日こそは上人が自ら我に御用を仰せつけられるだろうと勢い込んで庫裏を通って、とある一ト間に待たされて座を正して控えていた。
 様子こそ異なるが、十兵衛も緊張して導かれるままに通って、人気の無い寒さが湧く一室の中に唯一人じっと座って、今や上人から呼ばれるか、五重の塔の工事一切をお前に任すと云われるか、もしや自分には命じられないで源太に任すときめられて、自分は断る為に呼ばれたのか、そうであったらどうしよう、浮かぶ瀬も無い埋れ木の自分の身の末に、花の咲くことは永久に無くなるだろう、ただ願うのは上人が自分の愚かしさを憐れんで自分に命じられることだけ、九尺二枚の唐襖(からかみ)に金鳳と銀凰が翔(か)けり舞う箔模様(はくもよう)の美しさも眼に入らず、ボンヤリと闇路(やみじ)に物を探るような思いを空(くう)に漂わしているところへ、例の利口気な小坊主が出て来て、「方丈さまがお呼びですのでこちらへお出で下さい」と先に立って案内すれば、素早く、望みが叶うか叶わないかがきまる時だと、魯鈍(ろどん)な男も胸を騒がせ導かれるままに随って、一室の中へズイッと入る途端に、こちらをギロリッと見る眼も鋭く怒りを含んで斜(はす)に睨(にら)むのは、思いもかけない源太であって、座には上人の影もない。事の意外に十兵衛も歩みを止めて突立ったまま、一言もなく見つめ合ったが、仕方なく畳二ツばかり離れたところにようやく座り、力無く首も悄然と自分の膝に、勢いのない泣きそうな眼を注いでいるのに引き替え、源太郎は子犬を見下ろす荒鷲が風に向って千尺の巌(いわ)の上に立つ風情、腹に十分の強みを抱いて、背を屈(ま)げなければ肩も歪めないスッキリ端然(しゃん)と構えた、風姿と云い面貌(つらがまえ)といい水際立った男振り、万人が万人、好かずにはいられないような天晴小気味よい男である。
 しかし、世俗の見解には堕ちない心の明鏡に照らして、アレもコレも共に愛して、表面(うわべ)の美醜には心を寄せない上人、何れを採ろうかと昨日までは選び兼ねておられたが、思いつかれることがあってか、今日はわざわざ二人を呼び出して一室に待たせ置かれたが、今しも静々と居間を出られ、畳を踏まれる足も軽く、先に立った小坊主が襖を開ける後からスッと入って座に着かれると、二人は恭(うやま)いつつしみ同時に頭を下げてしばらくは上げることも出来なかったが、アアいじらしくも十兵衛が辛くも上げた顔には、未だ世馴れない田舎の子が貴人の前に出たような羞(はじ)をふくんだ紅味(あかみ)がさして、額の皺の幾筋の溝には滲み出た汗を湛え、鼻の頭に玉を湧かせ、腋の下では雨となる。膝においた骨太の指は枯れた松の枝のように頑丈な作りであるが一本一本ワナワナと震えて、一心にただ上人の一言を一生の大事と待つ可笑しさ。
 源太も黙して言葉なく耳を澄まして御下命を待つ、何方(どちら)になるか分かりかねて気を揉む二人の心を汲み知る上人も、また中々口を開らくキッカケがなく、しばらくは静まりかえっておられたが、「源太と十兵衛ともに聞きなさい、今度建てる五重塔はただ一ツで、建てようというのはそなた達二人、二人の願いを双方とも聞き届けてはやりたいけれど、それはもとより叶い難く、一人に任せば一人は嘆き、誰と決めて命じるにも基準がある訳ではなし、役僧や用人等が判断できる事でも無く儂にも判断は出来兼ねる、そこでこの判断はそなた達の相談に任せる、儂は関わらない、そなた達の相談の通りに取り上げてやるので熟(よ)く家に帰って相談して来なさい、儂が云う事はこれっきりじゃ、そう心得て帰るがよい、サア確かに云い渡したぞ、もはや帰ってもよい、しかし今日は儂も暇で退屈なので茶話の相手になって暫く居てくれ、浮世の噂などを儂に聞かせてくれないか、その代わり儂も古い話の可笑しなのを二ツ三ツ昨日見つけたので話して聞かそう」と、笑顔やさしく友達か何かのように二人をあしらって、サテ何事を云い出されることやら。

注解
・納所坊主:寺の雑務を行う僧。
・月代:当時の男子の髪型である丁髷頭において、前頭部から頭頂部にかけて頭髪を剃りあげた部分のこと。

       その九

 小坊主が持って来た茶を上人自ら汲んで勧められて、二人が勿体ながって恐れ入りながら頂戴するのを、ソウ遠慮されては言葉の角が取れなくて話が丸く行かない、サア菓子でも勝手に摘んでくれと高坏(たかつき)を押しやり、自らも茶碗を取り上げて喉をうるおされて、「面白い話と云っても、儂のような老僧にはそう沢山は無いが、この頃読んだお経の中につくづく成程と感心したことがある、聞いてくれコウいう話じゃ、むかし或る国の長者が二人の子を連れて麗らかな天気の日に、香りのする花が咲いて軟らか草が茂る野原を楽し気に散歩していたところ、夏の初めのことなので水は大分涸(か)れているが、それでもなお清らかに流れて岸を洗っている大きな川に出合った。その川の中に玉のような小石やら銀のような砂で出来ている美しい洲があったので、長者は面白さに任せて一尋(ひとひろ)ばかりの流れを無造作に飛び越えて彼方此方(あちらこちら)を見廻すと、洲の後ろの方にもまた一尋ほどの流れがあって陸と隔てられた別世界、全く浮世の生臭い土地とはかけ離れた清浄な土地であったのでひとり歓び勇んで飛び越えたが、渡ろうとしても渡れない二人の子供達が、うらやましがって呼び叫ぶのを憐れに思い、お前達には来ることが出来ない清浄な土地であるが、それほど来たいのであれば渡らせてやるから待っていろ、見ろ、見ろ、儂の足下(あしもと)のこの石は一ツ一ツが蓮華の形をした世にも珍しい石だ、儂の眼の前のこの砂は一粒一粒が五金の光を持つ世にも稀な砂であるぞと説き示すと、二人は遠眼にそれを見ていよいよ焦って渡ろうとするのを、長者は、待て、待て、と制して、洪水の時に根こそぎになったらしい一尋余りの棕櫚(しゅろ)の樹を架け渡して橋にしてやったが、僕が先だイヤ僕だと兄弟で争った末に、兄は兄だけに力強く終(つい)には弟を投げとばし、我れ勝に誇り高ぶって急いでその橋を渡り半分ほどに来たその時、弟が起き上りさま口惜さに力をこめて橋を動かしたので、兄は忽ち水に落ち苦しみ藻掻いていて洲に着いたが、この時弟がすでにその橋を難なく渡り越えようとするのを見て、兄がその橋の端を一揺(ひとゆ)すり揺り動かせば、もちろん丸木の橋のことなので、弟も堪らず水に落ち、ヤットのこと長者の立っているところへ濡れねずみになって這い上った、その時長者は歎息して、お前達にはどう見える、今お前等の足が踏んだことでこの洲はたちまち前と変わって、石は黒く醜くなり砂は黄ばんだ普通の砂になった、見ろ、見ろ、どうだと指し示せば、二人は驚いて眼を瞠って、見れば全く父の云う通りの砂と石、アア、このような物を採ろうとして可愛い弟を悩ませたか、尊い兄を溺れさせたかと兄弟は共に恥じて悲しみ、弟の袂(たもと)を兄は絞り、兄の衣裾(もすそ)を弟は絞って、互いに労(いたわ)り慰め合う。例の橋をまた引いて来て洲の後ろの流れに架けて、もはやこの洲に用はない尚も彼方(かなた)を遊び歩こう、お前達がマズこれを渡れとの長者の言葉に、兄弟は顔を見合わせて先刻(さきほど)とは違い、兄上先にお渡り下さい、弟よお前が先に渡るがよいと譲り合っていたが、年の順と云うことで兄がマズ渡るその時に、弟は兄が転ばないよう気遣って揺がないようにと橋をしっかり押さえ、その次に弟が渡れば兄もまた揺がないように押さえてやり、長者は難なく飛び越えて、三人が長閑にそぞろ歩くそのうちに、思いがけず兄が拾ったその石を弟が見ると美しい蓮華の形をした石、弟が摘み上げた砂を兄が覗くと眼にも眩しい五金の光を放っているのに、兄弟揃って喜び楽しみ、互に得た幸せを互に深く讃歎し合う、その時長者は懐中から真(まこと)の玉の蓮華を取り出して兄に与え、弟にも真の砂金を袖から出して大切にしろと与えたと云う、話してしまえば子供だましのようじゃが仏説に虚は無い、子供だましでは決してない、噛みしめて見ると味のある話ではないか、どうじゃそなた達にも面白いか、儂には大層面白いが」、と軽く云われた深く沁み入る喩え話も、上人の御胸(おんむね)の中にある真実からのものである。源太と十兵衛の二人は顔を見合せて茫然とする。

注解
・高坏:食物を盛る脚つきの台。
・一尋:両手を広げた時の巾。

       その十

 感応寺からの帰り道、半分は死んだようになって十兵衛、どんつく布子(ぬのこ)の袖を組み合わせて、腕組みしてのボンヤリ歩き、「御上人様があのように仰ったのは、どちらか一方がおとなしく譲れとのお諭(さと)しの謎々(なぞなぞ)だとは、幾ら愚かな俺でも分かったが、アア譲りたく無いものじゃ、せっかく丹誠に丹誠をこめて、さぞかし冷えて寒かろう御寝(おやす)みなされと親切に云ってくれる女房の世話までも、黙っていろ余計だと叱り飛ばして、夜の眼も眠らず工夫に工夫を積み重ね、今度という今度は一世一代、腕一杯の物を建てたら、死んでも恨みは無いとまで思い込んでいたのに、悲しい上人様の今日のお諭し、道理には違いないソウで無くてはならない事じゃが、これを譲って何時また五重塔が建つという当てがあるでなし、一生この十兵衛は世に出ることの出来ない身か、アア情けない恨めしい、天道様が恨めしい、尊い上人様のお慈悲は充分に分かっていても露ほども有り難くないとは思わないが、アアどうにもこうにもならないことじゃ、相手は恩のある源太親方、それに恨みの向けられるハズもなし、どうしても素直にこちらから身を退(ひ)くより他に考えは無いか、アア無いか、と云っても今更残念、なまじこの様な事を思い立たずにのっそりのままで済していたら、このような残念な苦しみもしないものを、身のほどを忘れた俺が悪かった、アア俺が悪い、俺が悪い、けれども、エエッけれども、エエッ、思うまい思うまい、十兵衛がのっそりで浮世の利口な人達の物笑いになって仕舞えばそれで済むのじゃ、連添う女房にまで内心では気の利かない夫じゃと愚痴を云われながら、夢のように生きて夢のように死んで仕舞えばそれで済む事、諦めて見れば情けない、つくづく世間がつまらない、あまりに世間が酷過ぎる、と思うのもやっぱり愚痴か、愚痴であるかは知らないが情けなさ過ぎるハ、言はず語らずに諭された上人様のあのお言葉の真実(ほんとう)のところを味わえば、あくまで深いお慈悲が五臓六腑に浸み透って、未練な愚痴の出場(でば)も無いわけ、争う二人をどちらにも傷がつかないように捌(さば)かれて、末の末まで共に好かれと、兄弟の子に喩えて尊いお経を解きほぐし、噛んで含めて下さったあのお話で云えば、もちろん俺は弟の身、なおさら他に譲らなければ人間らしく無いものになる、アア、弟とは辛いものじゃ」と思い悩む眼は涙に曇って、道も見分けられずにトボトボと、何一ツ愉快なことの無い我が家の方へ、糸で曳かれる人形のように我を忘れて行く途中、「この馬鹿野郎、気ちがいめ、気ちがいめ、吾(ひと)の折角洗ったものに何をする、馬鹿め」と突然かみつくように怒鳴られて、ハッと思えばガラリとよろけ、手桶を枕にして立て懸けてあった張物板に思わず知らず、一足二足踏みかけて踏み倒した不格好。
 尻餅ついて驚くところを、「狐憑(きつねつ)きめ忌々しい」と、駄力(だぢから)だけは近江のお兼、顔は正月遊びの福笑いに眼を付けて歪めた、お多福面(ずら)の房州出らしい婢(おさん)が怒り、拳(こぶし)でもって強く打ち、腕を伸ばして突き飛ばせば、十兵衛は堪らず埃(ほこり)にまみれて、「ハイ、ハイ、狐につままれました御免なされ」と云いながら、悪口雑言を聞きすてにして痛さを忍んで逃げ走り、ようやく我が家に帰りつけば、「オオ、お帰りか、遅いのでどういう事かと心配していました、マア埃(ほこり)まみれになってどうなされました」と払いにかかるのを、「構うな」と一言、気の無さそうな声で打ち消す。その顔をのぞき込む女房の真実心配そうなのを見て、なぜか知らないが無性に悲しくなってジッと潤みがさしてくる眼、自分で自分を叱るように、「エエイ」と思わず声を出し煙草をひねって、上の空で相手はするが言葉も無い何時もと違う夫の様子に、大方それと察してもサテ慰める便(すべ)もなく、訊いて好いやら悪いやら心にかかる今日の結果、口に出しては尋ねられない女房が胸痛めつつ、それ一本は杉箸で用の足りる消し炭を、火箸に挟んで添える頼りない火力を頼りに土瓶の茶を温めるところへ、遊びに出ていた猪之が戻って、「ヤア父(とう)さん帰って来たな、父さんも建てるか坊(僕)も建てたぞ、これ見てくれ」と、サモ勇ましく障子を明けて、ほめられたさを一杯に罪無くニッコリ笑いながら、指差し示す塔の模型。母は襦袢の袖を噛み声も立てずに泣き出せば、十兵衛は涙に浮くばかりの円(つぶら)な眼(まのこ)を剥き出して、まじろぎもしないでグイと睨んだが、「オオ、出来(でか)した、出来した、好く出来た、褒美をやろう、ハッハッハ」と咽び笑いの声高く天井までも響かせたが、そのまま頭を上に向けて、「アア、弟とは辛いなア」。

注解
・どんつく布子:地糸が太い節くれだった木綿地の綿入れ。
・張物板:洗って糊をつけた布地を張って乾かす板。
・駄力だけは近江のお兼:近江の国(滋賀県)に居たと云う大力のお兼という遊女。
・房州出:安房国(千葉県房総地方)の出身。田舎出。


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