幸田露伴の小説「観画談③」
大器氏は実に不思議な気がした。この老僧は起きて居たのか眠って居たのか、夜中の真っ暗な中で坐禅と云うことをして居たのか、座りながら眠って居たのか、眠りながら座って居たのか、今夜だけ偶然にこんな格好であったのか、何時もコウなのか、怪訝に思い判断に迷った。もちろん真の達人の境地では死生の間にさえ関所が無くなっている、まして覚めていると云うことも眠って居ると云うことも無い。僧侶たる者は決して無記(むき)の眠りに落ちるべきではないと仏説睡眠経で説いていることも、又、近頃の人の中にも死の時以外は脇を下に着けて横たわって寝ない人が幾らもいるということをも知らなかったのだから、座って居ると云うことと起きて居ると云うことが一枚になっているのを見て、ビックリしたのも無理は無かった。
老僧は晩成先生が何を思っていようとも一切無関心だった。
「〇〇さん、サア、ランプを持ってあちらへ行って勝手に休まっしゃい。押し入れの中に何か有ろうから引き出して掛けなさい。まだ三時過ぎ位のものであろうから」
と、老僧は奥を指さして極めて物静かに云って呉れた。大器氏は自然とお辞儀をさせられて、その言葉に通りになるほかなかった。あとはまた真っ暗闇になるのだが、そんなことを云うのも失礼な気がしたのでそのまま立って襖を開き奥に入った。やはりそこは六畳位の狭さであった。間の襖を閉め切ってそこに在った小机の上にランプを置いて、同じくそこに在った小座布団に座ると、初めてホッとして我に返った。
同時に酷く寒さが身に沁みて胴震いがした。そうして何だかガッカリしたが、次第に落ち着いて来ると、〇〇さんと自分の名字を云われたのがひどく気になった。若僧も自分も告げていないのに、また耳が聞こえないハズなのにどうして知っていたのだろうと思ったからであった。しかしそれは若僧が手話で紹介したからだろうと理解して、マズは解釈を済ませて仕舞った。 「寝ようか、このまま老僧の真似をして朝まで居ようか」と、何か有るだろうと云って呉れた押し入れらしいものを見ながら一寸考えたが、フと気が付いて時計を出して見た。時計の針は三時少し過ぎを示していた。三時少し過ぎているのだから、三時少し過ぎなのだ。驚くことは何も無いのだが、大器氏はまた驚いた。ジッと時計の文字盤を見詰めていたが、遂に時計を懐から出して、ランプの下、小机の上に置いた。秒針はチ、チ、チと音を立てた。音がするのだから、音が聞こえるのだ。驚くことは何も無いのだが、大器氏はまた驚いた。そして何だかハッと思った。すると外の雨の音がザアッと続いていた。時計の音は忽ち消えた。眼が見ている秒針の動きは止まることが無かった。確実な歩調で動いていた。
何となく妙の心持ちになって頭を動かして室内を見廻した。ランプの光がボーッと上を照らしているところに、煤けた額の掛かっているのが眼に入った。間抜けた字体で何かが書いてある。一字づつ気を付けて読んでみると、
橋流水不流
とあった。「橋流れて水流れず、橋流れて水流れず、ハテナ、橋流れて水流れず」と口の中で繰り返し、胸の中で咬んで噛んでいると、忽ち昼間渡った丸木橋がドウドウと流れる谷川の上に架け渡されて居た景色が眼に浮かんだ。水はドウドウと流れる。橋は心細く架かっている。橋流れて水流れず。サテ何だか分からない。シーンと考え込んでいると、忽ち誰か知らないが、途方もない大きな声で、
「橋流れて水流れず。」
と自分の耳の側(そば)で怒鳴った奴がいて、耳がガーンとなった。
フと大器氏はバカバカしくなって、「ナンダこんなこと、額なんぞにはとかくこんな変な文字が書いてあるものだ」と棄て去って、又そこいらを見廻すと、床の間ではない広い壁のところに、その壁いっぱいに大きな古い画軸が懸っている。何だか細かい線で書いてある横物で、一見したところモヤモヤと煙っているようなだけだ。赤や緑や青などいろいろな色が使われているようだが、どういう画だかサッパリ分からない。多分よくある涅槃像か何かだろうと思った。が、見るとも無く薄いランプの光の中に朦朧(もうろう)としているその画面に眼をやっていると、何だか非常に綿密に楼閣や民家や樹や水や遠山や人物などが画いてあるようなので、とうとう立ち上がって近くへ行って見た。するとこれは古くなってところどころが汚れたり破れたりしているが、なかなか丁寧に画かれたもので、巧拙は分からないが、かつて仇十州の画だと教えられて見たことがあるものに似た画風のもので、何だか知れないが大層な労作であることは一目で明らかであった。そこで特にランプを左手に執ってその画に近寄って、ランプを動かして見ようとする部分部分に光を移しながら見た。そうしなければ極めて繊細な画が古びて煤けているのだから、ともすると見て取ることが出来なかったのである。
画は美しい大きな川に臨んだ麗しい都の一部を画いたものであった。画の上半分を構成している川の彼方には、好ましい翠色の遠山が見えている。その手前には丘陵が起伏している。その間には層塔もあれば高閣もあり、黒ずんだ鬱樹に蔽われた岨道(そまみち)もあり、明るい花に埋められた谷もあって、それからズーと岸の方は平らに開けて、酒楼の奇麗なのが何軒かあり、老幼男女、騎馬の人、徒歩の人、商売に励む行商の人、種々雑多な人々が蟻のように小さく見えている。筆はただ心のままに動いているだけで、もちろん詳細が画けている訳では無いが、それでも自然と各人の姿態や心情が窺い知れる。酒楼の下の岸に遊覧船もある、船中の人などは胡麻粒の半分程だが、やはり様子がハッキリ分かる。大川の上には帆走している少し大きな船もあれば、笹の葉型の漁舟もあって、漁人が釣りをしている様子も分かる。ランプの光を移して此方を見ると、こちらの右のほうには大きな宮殿のような建物があって、仙境に在るような美しい樹や花が点在し、建物の下の庭のようなところには朱の欄干がうねうねと土地を分けていて、欄干の中には奇岩もあれば花もあり、人々の愛観を待つ様々な美しい鳥などが居る。だんだんと左へランプの光を移して行くと、大中小それぞれの民家があり、老人や若者や、蔬菜を担いだ者もあれば、蓋を張らせて威張って馬に騎(の)っている役人のような者もあり、裸足で柳の枝に魚の鰓を通したものをぶら下げて川から上って来たらしい漁夫もあり、柳が翠に烟(けむ)る美しい道路を、士農工商樵漁、あらゆる階級の人々が右往左往している。美服の人もあればボロ服の人もある。冠りものの人もあれば露頭の人もある。「これは面白い。春の川景色に併せて画いた風俗画だナ」と思って、まただんだんと灯りを移して左の方へ行くと、川岸がなだらかになって川柳が繁茂していて、雑樹がモサモサとなっているその先には蘆荻が茂っている。柳の枝や蘆荻の中には風が柔らかに吹いている。蘆の切れ目には春の水が光っていて、そこに一艘の小舟が揺れながら浮いている。船は網代を編んで日除け雨除けの屋根にしたものを胴の間に取り付けてある。何やら焜炉や皿などの家具も少し見える。老船頭が艫(とも)の方に立ち上がり、河岸の杭に片手をかけて、今や舟を出そうとしていながら、片手を挙げて、「乗らないか、乗らないか」と云って人を呼んでいる。その顔がハッキリ分からないので、大器氏はだんだんと灯りを近付けた。遠いところからだんだん近づいて行くと段々と人の顔が分って来るように、朦朧としていた船頭の顔がだんだんと分かって来た。膝小僧も肘もムキ出しに半纏のようなものを着て、極々(ごくごく)小さい笠を冠って、少し仰向いた様子は何とも無邪気なもので、寒山か拾得の叔父さんに無学文盲のこの男が居たのではと思わせた。「オーイッ」と呼ばわって船頭が大きな口を開いた。晩成先生はニッコリした。今行くよーと思わず返事をしようとした。途端に隙間を洩れて吹き込んで来た冷たい風に灯火がゆらめいた。船も船頭も遠くから颯(サッ)と近づいて来たが、また颯(サッ)と遠くへ去った。ただコレ一瞬のことで前後は無かった。
屋外(そと)は雨の音、ザアッ。
大器先生はこれだけの話を親しい友人に告げた。病気はすべて治った。が、大器先生は二度と学窓に現われなかった。山間の水辺に名を埋(うず)めて、平凡人として終える積りになったのでもあろう。或る人は某地でその人が日焼けしたただの農夫になっているのを見たと云うことであった。大器不成なのか、大器既成なのか、そんな事は先生の問題では無くなったのであろう。
(大正十四年七月)
注解
・無記の眠り:眠りは仏道の修行には役に立たない。
・仇十州:仇英、十洲は号。中国・明の画家。
・網代に編んだ:檜皮や竹や葦などを薄く細く削り交差状に編んで(屋根にした)もの。
・寒山、拾得:中国の伝説的詩僧の寒山と拾得のこと。拾得は天台山国清寺の豊干禅師に拾われたので拾得の名がある。寒山は寒山の洞窟に住んで居たので寒山の名がある。寒山は拾得と交友を持ち、国清寺に出入して炊事係りの拾得から残飯を得ていた。
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